先のエッセイ「音楽プロデューサーの意義は?」の際には、知人の音楽家氏に大変お世話になった。
「明快なポップな曲は飽きられやすい」というフレーズは、前々から私は感じていたことであるが、先のエッセイの意見を伺っている際に、ふとその音楽家氏のご意見の中にでてきたものなのである。
そうなのだ。職業で音楽を生業にしている方でも感じられることだったのだ。
たしかに、「明快なポップな曲は飽きられやすい」のは、事実だと思う。
耳に残るような明快なポップな曲は何十回か聴いたあと、突然飽きが来る。
私事で大変恐縮だが、自分の場合は、その原因はわかっている。というか、今年になってモバイルプレイヤーで音楽を聴くにつれ、そのフレーズをずっと考えさせられ、ある日突然その原因がわかった。
私はよほど表現力のある(印象に残る)楽曲しか、「音の強弱の印象」が残らないのだ。
「明確なポップな曲」であればあるほど、音程と長さ(要はメロディか。それもかなり曖昧でしか残らないが)だけが記憶として残るのだ。
だから、自分の頭の中で楽曲を自由に再生できるようになった時点で、その音楽に強弱がないため飽きが来るのである。
他の諸氏が、自分と同じかどうかは定かではないが、まったく同じでないにしてもおおよそ大差のないことだと勝手に思い込んでいる。
単純なメロディの繰り返し、それを回避するために最近の楽曲が定型的な2コーラス半を踏襲しなくなっていることは十分に理解できる。
近年、完全口語体の歌詞が多くなってきたが、今のその世界にたどり着くまでに悠久のごとくの時間の間さまざまなアプローチが繰り返され、忘れ去れてきたアーティストが星のごとくいることも理解しているつもりだ。
その過程で「なんじゃこりゃ」的楽曲がいくつあったか、あまりに多くて数え上げる気にもならない。
その完全口語体の楽曲をつく出すのに、アーティストや音楽プロデューサーがどんな思いして作っているのかも、おおよそ想像がつく。
だが、消費者(聴衆)の一人の観点から一言言わせていただきたい。
音楽に限らず、ものごとというものは完全フリーフォーマット(完全自由形式)では存在できない。
それが何かしらの「もの」である限り、何らかのフォーマットを持っているのだ。
その限られたフォーマットの中で、自由度をいかに広げていけることができるかということが、真の創造ではないだろうか。
近年の楽曲に、2コーラス半というフォーマットを「完全に」置き換えるくらいの「圧倒的な表現力」を提供することができているのか、という問題なのだ。
おそらくこの問題は時間が解決してくれることだと私は信じているが、いまはそれが完全に置き換わる端境期にあるのではないか。ようやくそれができる世界が実現でき始めたというところだと思うのである。
その世界は間違いなくそこまで来ているし、このエッセイを書いている間にも、そういう曲を聴きながら書いているところである。
しかしできれば一消費者として、CDを購入にした際の最初の再生時に、トンでない展開をして「しまった」と思うことがないような、安心して聴いていられる楽曲であってほしいと思うのである。
追記
このエッセイを書くパワーをもらうのに、2つの曲にお世話になった。
さんざん難癖をつけた2コーラス半を踏襲していない2つの曲
・「ただ、ありがとう」 MONKEY MAJIK
・「そら」 Hearts Grow
のである。
どちらも心に響く、大ヒット曲になるべくしてなった素晴らしい楽曲である。
彼らと友人の音楽家氏の今後に期待したい。
追記2
ごく最近、モバイルプレイヤーについて、もっと考えさせられることが起こった。
買ったばかりのモバイルプレイヤー「ソニーNW−S616F」の音に飽きてきたのである。
最初は「また金がかかるのか」という無念さだけだった。
たしかに、音は自分好みの「ビビット」タイプではない。バスブースとをすると、低音のニュアンスがすべて消え、どの音も「ボンボン」という音になってしまう。高域のエッジも切れ込むタイプではない。
頭の中で「もしかして...」という疑問がわいた。
疑問の趣旨は「音の強弱の印象がないことに、自分は飽きが来ているのではないか」ということだったが、その「もしかして...」に相当するのが「MP3−256Kbpは音の強弱を殺すのでは?」というものだったのである。
一度心の底に住み着いた疑問は、容易なことで払えるものではなかった。
「MP3−256Kbpsの音をもう一度検証しなおす必要がある」 そう思い立って、「MP3 320Kbpsは256Kbpsよりよいか? それともロスレスか?」をエッセイしてみることにした。
その結果は、私にとってはとんでもない事実だった。もしかすると、「自分の持っているすべての音楽ライブラリを作り直す必要がある」くらいのものであったのだ。
「明快なポップな曲は飽きられやすい」というのは事実だとしても、それだけの問題ではなかった。
そうなのである。音の強弱が印象に残らないのは、単に楽曲やモバイルプレイヤーだけの問題ではなかったのだ。
音楽について勝手にテーマをつけてエッセイするシリーズ(そんなシリーズだったのか)、次回は第3弾、「MP3 320Kbpsは256Kbpsよりよいか? それともロスレスか?」をお送りしたい。
|