国語審議会の「表外漢字」試案(2000-09)
概観
今回の国語審議会の試案は、基本的な方針は、次の通り。
「世間一般の文字づかいの現状を調査する。
その上で、字形は、標準的なものになるべく統一する。つまり、
同じ文字に何種類もの字形が流布するという混乱状態をなくす」
というわけで、きわめて常識的な方針と言えよう。
この試案の概要は、次の通り。
・常用漢字以外で使用頻度の高い漢字1022字を選ぶ。
・それらは原則として「(いわゆる)康煕字典体」を用いることとする。
・世間的に使用頻度が高い略字22字は「簡易慣用字体」として併用を許容する。
・この22字以外の略字は許容しない。
・ただし若干の字形差は「デザイン差」として許容する。(具体例を列挙。)
・「しんにょう」「しめすへん」「食へん」を略字化した略字も認める。
・手書きの字形は、規制しない。略字は自由。
・パソコンなどの電子機器でもこの方針に従うことが期待される。
[ 付記 ]
簡易慣用字体は、1999-06-24 の試案では、39字だった。
それを列挙すれば次の通り。
(芦)(欝)(厩)頴噛澗祇櫛荊(隙)薩讃煎曽遡掻痩楕辻壷兎
砺涛祷祢桧桝薮篭蝋卉惧渕絣纒臈靱(祀)(臘)
※ ただし ( )内はJISで示せないもの。
[ 後日記 ]
正式答申後に、WWWページが公開された。下記。
http://www.monbu.go.jp/singi/kokugo/00000040/
感想
細かい点はともかく、全体的に見れば、十分に納得が行くものと言えよう。
字形を標準的なものに統一する、というのは、ごく当たり前のことであり、世間の支持を得るだろう。
ただ、「国語改革派(国語簡略化運動派)」に属するような人たちは、文句を言うだろう。彼らは国語を自分好みに改革したがっているので、国語を現状通りに受け入れるのを嫌がっているからだ。
一方、担当官庁の方ではどうかというと、どうも、はれもの扱いで、面倒なことには巻き込まれたくない、という色がありありである。彼らが手を引けば、そこに国語改革派が付け込む。道理が引っ込めば、無理が通る。ま、そういうふうにはならないことを期待したいが。
マスコミはといえば、だいたいは、国語審議会の方針を支持しているようだ。ただ、朝日の一部だけは、なんとか国語改革にしがみつきたいらしくて、改革派の野村某氏のコメントをわざわざ引いている。とはいえ、朝日の社内も一枚岩ではなく、改革派以外に普通の神経をもっている人も多いようであるから、今後はこちらが優勢になることを期待したい。(朝日の社内でも、頭が妙な色で染まった人たちは、だんだん定年に近づきつつあるようだ。「妙な色」というのは、金色ではない。念のため。)
ただ、今回の試案は、全体的に見ればまともではあるが、細かく見ると、問題点がなくはない。そういう細かな点については、以下で述べることとする。
文字一覧 (電子文書化は不可能)
文字の字形の一覧については、2000-09-30 の朝刊各紙を参照してほしい。
(各紙があるが、朝日新聞のものが詳しくて便利。)
なお、インターネット上のファイルとしては、画像を私がアップロードしておいた。下記から入手できる。
《 後日記 : 2002年11月以降、公開停止。現在、リンク切れ。 》
code1022.gif (ver 1.1) [251KB]
画像の説明:
( ) 内は、今回認められた略字体(簡易慣用字体。)
* の字は、ほかにデザイン差として認められる別字形がある。
△ の字は、「しんにょう」「しめすへん」「食へん」の略字形も認められる。
この画像は、読売新聞の紙面から、スキャナで読み取ったもの。
(厳密に言えば著作権法に抵触しかねないが、私が商用目的で利用するのではなく、読者一般のために学術的な目的で利用するのだから、大目に見てもらえるだろう。そもそも、元のネタは、国語審議会にあるのだから、読売新聞社に著作権があるとも思えないが。)
300dpi で読み取ったので、あまり精密ではないが、ご容赦いただきたい。これ以上細かいと、ファイルサイズが巨大になりすぎる。200dpi だと、文字の判読が困難なので、このくらいが限度。せっかくスキャナで読み取ったのだから、これをOCRで判読して、JISの文字に変換できればいいのに、と望みたくなる。だが、もちろん、できない。
今のパソコンのOCRは、略字を読むことを原則としているので、正字は正しく読み取れないのが普通だ。これは当たり前の話であって、たとえば「鴎」を「區鳥」という正字として読み取っても、パソコン上の文字では「区鳥」としか表現できないのだから、どうしようもないのだ。
つまり、今のパソコンは、印刷物の電子化にはまったく適していないのだ。世界各国は印刷物の電子化をどんどん進めているのに、日本だけは印刷物の電子化が原理的に不可能になっているのだ。
ひどいありさまである。これが日本の「IT」の現状だ。そして、日本の「IT」をこのように遅らせている張本人は、誰かといえば、(本来は「IT」を推進するべきはずの)JISの担当機関である。
新聞報道によれば、文化庁や工業技術院は、今回の国語審議会の試案の方針に従うかどうか、いまだ決めかねているらしい。このようにして、日本における文字データの電子的伝達を、徹底的に阻害しているわけだ。彼らのせいで、「鯖」や「湮」などの正字はいつまでたっても正常に画面表示できないし、プリンタで印刷することもできないし、一般の出版印刷物からOCRで読み取ることもできない。かくて国民は「電子的な文盲」にさせられているわけだ。
※ 特に、戦前の印刷物をデジタル化する場合がそうだ。電子文書化ができないので、
「丸ごと画像にする」という方法が取られる。かくて、データ量は膨大になる。
例 : CD-ROM 39枚で 88万円。 → 参考情報
考えてみれば、ひどいのは官庁だけではない。一般のメーカもそうだ。すべては米国系の会社に任せっぱなして、自分たちではまともに日本語の文字づかいのことも決められない。それでいて画像処理などばかりに、かまけている。「画像処理能力の高いマシンが優秀なマシンだ」と思い込んでいる。かくて、いつまでたっても「電子的な文盲」から抜け出せないわけだ。彼らは会社で、どんなコミュニケーションをしているのだろう? 文字を使わず、ジェスチャーで通じ合っているのだろうか? たぶん、そうなのだろう。人間と類人猿との差は、言葉の使用ができるかどうかにある、と言われている。言葉をまともに使えず、ジェスチャーでコミュニケーションすることばかり考えているような会社は、類人猿並みかもしれない。……という悪口を読んで、怒ってくれれば、彼らにもまだ望みはある。しかし、その気はないだろうね。相も変わらず、画像処理能力の高さばかり競っていて、文字のレベルは「まともに正しい文字を使えない」というようなパソコンばかり売るのだろう。ま、仕方あるまい。彼らはまともな言語能力がないので、彼らに何かを伝えるには、画像かジャスチャーで伝えるしかないからだ。
不足分
国語審議会では1022字を示した。では、これで十分か?
この点については、前回試案における「不足分」の文字を、私がすでに公開した。(資料「略字&正字」にある data-add.htm )
ここでは、次の30字を不足分として示した。[カッコ内の2字は無視]
鵠杓灼蛸鱈凋塘 (菟)
唳堋捩湮甄硼箙粐綛綮綟芍荵蟒褊諞鮗譁
恢梛扈邉 冤 (寃)
これらの30字が、今回試案ではどうなったかは、30字をいちいち1022字と較べてチェックすればよい。私が少しだけチェックしたところでは、「蛸」はあるが、「湮」はない。(私のチェックミスでなければ、だが。)
というわけで、「湮」を初めとして、いくらか漏れがあるようだ。
なぜこれらの略字を、国語審議会は調査しなかったのか? 1022字も調べたくせに、この肝心な30字だけはあえて調査対象から抜かしているのだ。画竜点睛を欠くというか。……今からでも遅くはないので、最終案では、この「漏れ」の分も補充しておいてほしいものだ。そうすれば、漏れはなくなるのだから。
(国語審議会は1022字を調べたが、漏れを減らすためには、このあと何千字も調べる必要はない。ここに列挙した30字だけを調べれば、それで何千字も調べたことになるのだ。この30字以外には、調査すべき文字はないのだ。この点については、資料「略字&正字」を参照。)
異体字
今回の案では、「異体字」という概念が欠落している。普通は
・異体字
・包摂
・デザイン差
と区別されるものを、国語審議会では、すべて「デザイン差」と称している。この点には、注目しておいた方がよい。
たとえば、
冊 册
の2字がそうだ。これらは、どう考えても別字だろう。画数はたまたま同じになっているが、手書きの運筆がまったく異なるからだ。
また、「卑」の正字と略字もある。これらは、画数が異なるので、別字と見なすべきだろう。
(正字では、上側中央縦線と、その下の小さな斜線が連続しており、「ノ」のようにつながる。だから、1画。新字では、両者は別れるので、2画。つまり、両者は画数が異なる。)
以上のように、普通は「別字」と見なされるものまで、今回の国語審議会の案では「デザイン差」ということになっている。
さて、これは一見、大問題のように見える。「デザイン差」では済まないようなものまで「デザイン差」と称しているからだ。しかし、実は、根本的な問題ではない。国語審議会では用語を独自の意味で使っているのだ、と考えればよい。(JCSが「包摂」という用語を独自の意味で使っているのと同様。)
国語審議会では、別に文字コードを扱っているわけではないから、どれとどれが同じか違うか、というような同定の問題は生じない。異体字であろうがデザイン差であろうが、どちらも区別せずに同様に扱っても、出版印刷の際にはあまり問題とならない。(しょせんは、別の活字[写植文字・電子フォント文字]として扱われるだけだからだ。)
ただ、電子的に伝達する文字コードを扱う際には、コードポイントの同定の問題があるので、異体字とデザイン差とは明白に区別されねばならない。この問題は、国語審議会の負うべき問題ではないが、文字コード関係者としては、留意しておくべきだろう。
代用字
今回の国語審議会の案には、明白な間違いが一つある。それは、「ろ」と発音される「〓」(さんずい+戸)という簡易慣用字体である。
国語審議会では、これを「濾」の簡易慣用字体であると認定した。とすれば、「濾す」を「〓す」と書いてよいことになる。
しかし、そのような用例は見出されないはずだ。(あるとすれば誤用だろう)
一般の教科書や参考書や公的文書を見ても、また、三省堂国語辞典(見坊編)を見ても、「〓紙」(ろし)や「〓過」(ろか)はあるが、「〓す」(こす)は無い。
にもかかわらず、世間ではまったく使われていない文字遣いを、国語審議会は「これも正しい」と認定しているわけだ。つまり、「世間の文字遣いに従う」という原則をはみ出して、この文字については「新たな文字遣い法」を発明しているわけだ。
これは、「越権」と呼んでもいいが、正確には「誤認」と見なすべきだろう。
なお、もし国語審議会の方針が正しいとしたら、次のような例はどうなるか。
・戦闘 → 戦斗
・編輯 → 編集
・車輛 → 車両
これらの例では、国語審議会の方針によれば、「斗」「集」「両」は、「闘」「輯」「輛」の略字(簡易慣用字)だ、ということになる。しかし、そんな馬鹿なことはない。両者は別の字である。別の字を代用して使っているだけだ。(これを代用字と呼ぶ。当て字は個人的なものだが、代用字は公的・世間的なもの。そこが当て字とは少し異なる。)
確かに、一部の参考書などでは、
・濾紙 → 〓紙
という例がある。しかし、だからといって、「〓」が「濾」の略字である、ということにはならない。「〓」はそもそも「瀘」の略字である。下記参照。
正字 : 蘆 櫨 爐 艫
略字 : 芦 枦 炉 舮
すでに述べたように、「車輛」を「車両」と書くのは、別字を代用しているにすぎない。このような代用があったからといって、
「両」は「輛」の略字だ
ということにはならない。同様に、「〓紙」(ろし)や「〓過」(ろか)という用例があるからといって、
「〓」は「濾」の略字だ
ということにはならない。
(「〓」は、「濾」の略字ではなく代用字であり、また、「瀘」の略字である。)
※ この種の「代用」は「書き換え」とも呼ばれる。下記参照。
読売新聞 2000-09-30 1面コラム「編集手帳」
※ この「〓」という字を、JISの枠内に採択することは、間違いではない。
(それは文字コードに関する立場の差にすぎない。)
しかし、この字を、「濾」の略字だ、と述べるのは間違い。
この字は、「瀘」の略字であり、「濾」の代用字である。
国語審議会は、その点を、混同したため、(国語的に)間違えている。
※ 国語審議会では、「略字」という言葉のかわりに「簡易慣用字体」という
言葉を使っている。ただ、本質的には、同じことだ。上述の論旨は、その
まま当てはまる。どうしても簡易慣用字体として「〓」を示したいのなら、
正字としては「瀘」を掲げるべきである。
そのあと、この字を、「濾」の代わりとして転用・誤用するのは、書き手
の問題であって、国語審議会の関知するところではない。そもそも、この
手の転用・誤用は、「戦々恐々」(←戦々兢々)のように、よく見られる。
(ただし国語審議会は、「恐」は「兢」の簡易慣用字体だ、と言うかも。)
※ 余談だが、ATOK は「編集」はあっても「編輯」はない。他の語でも同様。
「英知」はあっても「叡智」がない、と私が前に言ったら、この語だけは
ATOK13で追加された。でも、この語だけじゃ駄目なんですけどね。
(この点、VJE は比較的マシである。MS-IME 2000 はやはり駄目。)
3部首の例外
国語審議会の方針では、次の3部首は、例外となる。
・しんにょう
・しめすへん
・食へん
つまり、これらの部首については、略字体も許容される。
この方針は、当初の試案にはなく、日本新聞協会の要望を受けて、あとで追加されたものである。
日本新聞協会
その要望文書(全文)
しかし、この論旨は、かなりおかしなものである。
・「食へん」……
見た目で、正字と略字の差が僅少であり、わざわざ略字を残すメリットが少ない。
・「しめすへん」……
見た目で、正字の「示」の方が見やすい。略字の「ネ」は「ころもへん」に似て
いるので、かえって、見た目で見づらい。メリットどころか、デメリット。
・「しんにょう」……
これは、まあ、略字のメリットは、一応は、理解できる。
つまり、以上のことからして、この「食へん」「しめすへん」をあえて略字にするメリットがろくにない。
その一方で、略字にした方がメリットがある字形もある。たとえば「噂」「溢」などは、正字体よりも略字体の方が見やすい。だから、これらの略字体を認める、というのなら、まだわからなくもない。しかるに、これらのかわりに、「食へん」などだけを例外扱いする、というのは、話の方向がおかしい。
また、「食へん」については例外扱いするくせに、「漑」は例外扱いしない、というのは、矛盾しているように感じられる。該当部分の字形は同じなのに、どうして「食へん」だけ例外視するのか? わけがわからない。
より本質的なこともある。そもそも、新聞というのは、常用漢字の枠内で書くことを原則とする。(常用漢字以外の文字を使いたくなったら、なるべく別の語で書き換えるようにしている。) そんなふうに「表外字を使わない」ユーザの要望を聞き入れて、「表外字を使う」ユーザの要望を無視する、というのは、完全な本末転倒である。
そもそも、新聞協会が何を言おうが、まったく無視していいのだ。彼らは原則として表外字を使わないのだから。
にもかかわらず、無理筋からの横やりが入るとすぐに屈する、というところを見ると、国語審議会というのは、腰砕けで肝っ玉のない軟弱な人たちの集まりであるようだ。もうちょっと剛毅な精神をもってほしいものだ。他人の無理なわがままを聞いて、へいこらと従うだけなら、審議会の委員など無用だ。そこいらの腰抜け役人にでもやらせておけばいい。
結局、よく考えればわかるとおり、新聞協会の要望とは、
「自分たちは表外字を使わないが、例外的に使う場合に備えてシステムを変更するのがイヤだ。つまり、システム変更の小金が惜しい。だから、旧来のシステムを使えるようにしてほしい」
というものだ。つまりは、自社の財布が、国民全体の言語よりも、ずっと大切なわけである。こういう拝金主義者たちの意見に屈する委員たちというのは、まことにもって情けないとしか言いようがない。
cf. 参考資料 : 「略字 侃侃諤諤」の補足新聞社の奇妙な例:
「食へん」の例としては、「日蝕」の「蝕」がある。
新聞社が略字で「日蝕」と書きたい、というのなら、まだわかる。しかし、実際には「日蝕」ではなく、「日食」と書く。だから略字の「蝕」は必要ない。
一方、どうしても正字の「蝕」を使いたいときがある。たとえば、固有名詞で、平野啓一郎の「日蝕」を表示したいときだ。こういうふうに正字が必要なときに限って、略字で「日蝕」と記す。
つまり、略字で書いてもいいよ、と言われたら、略字を使わない(かわりに代用字を使う)。正字で書くべし、と言われたら、逆に略字を使う。こういうふうに、新聞社というのは天邪鬼でメチャクチャなことをするのだ。
なお、ここでいう「新聞社」とは、朝日や通信社系のことをいう。読売は、こんなに馬鹿なことはしていない。つまり、「世の中、狂人ばかりでもない」ということ。 (「世の中、巨人ばかりではない」と言うと某オーナーに怒られるが。)
※ 朝日というのはかなり気まぐれで、「掻」という字はJISと違って正字。
(2000-10-06)
【 補記 】
もう少し述べよう。対象となる「食へん」の文字(常用漢字外かつJIS内)を、具体的に列挙すると:
飩飫飭飴餃餅餉餌餒餔餘餝餞餠
餡餤餬餽餾饂饅饉饋饌饐饑饒
である。このうち、よく使うものは、「飴 餌 餡 餅 饅 饉」ぐらいだろう。だがいずれも、「あめ」,「え/えさ」,「あん」,「もち/モチ」,「まん」,「きん」(←ききん)というふうに仮名書きされるのが普通である。「飴 餌 餅」という漢字三つは、ときどき見ることもあるが、それ以外は、普通の人はまず見ることもないだろう。むろん、新聞で漢字になることは、まずない。となると、これらの(仮名書きされる)文字のために、あえて略字体を用意する必要など、まったくないと言える。
結局、こうだ。
「飴 餌 餅」という漢字は、略字体を見かけたり使うこともあるので、この3字だけ例外扱いして、略字体を「簡易慣用字体」として認めてもよい。
だいたいね、新聞協会がこんな原則を打ち出すくらいなら、実際に、
しかし、それ以外の文字まで一律に「食へんは略字体でもよい」とするのは、あまりにメチャクチャで無意味な原則である。
「飩飫飭餃餉餒餔餘餝餞餡餤餬餽餾饂饉饋饌饐饑饒」
を略字体で使えばいいのだ。なのに、現実には、使うことはない。「餃子」は「ギョーザ」だし、「饒舌」は「冗舌」だし、「餞別」は「せんべつ」だし、「飢饉」は「ききん」となる。
(実例は次の通り。朝日新聞記事より引用。
1998/08/19 :「野良猫十四匹へのせんべつだ。」
1998/09/08 :「アイルランドのききんを逃れた難民も押し寄せる。」 )
要するに、「『食へん』は例外」という国語審議会の原則は、まったく無意味なものでしかない。少なくとも新聞社は、こんな原則は利用しない。そのことをわきまえておくべきだ。
【 余談 】
新聞はそもそも常用漢字しか使わないから、新聞協会の要望など無視してよい。──と先に述べた。
このことからもわかるが、相手の話を聞くのはいいが、それが本質的にどんなものであるかを理解することは、大切である。
いい例が、JCS の「教科書の漢字用例調査」だ。 この調査では、「1500冊も調べたぞ」と、JCSは鼻高々である。しかし、そもそも、教科書というものは常用漢字内に漢字制限している。このように「原則的に常用漢字内」のもののなかに、「常用漢字外」の文字を見出そう、というのは、荒唐無稽と言うしかない。「常用漢字外」のものを見出そうとするなら、むしろ、漢字制限していないものを調査するべきだ。
JCSのしたことは、魚を見出そうとして、青空のなかを探すようなもので、まったく無意味な調査である。無駄な汗をかいて人生を浪費したとしても、それはJCSの勝手だが、われわれとしては、そうした無意味なことのの本質を理解するべきだろう。
* * * * * * * * *
けなしてばかりいては申し訳ないので、少しは褒めておこう。
新聞協会にも、まともなところはある。略字と代用字をちゃんと区別しているところだ。たとえば、「日蝕」「冗舌」と書いても、
・ 「食」は「蝕」の略字だ。
・ 「冗」は「饒」の略字だ。
などと、メチャクチャなことは言わない。代用字は代用字であり、略字ではない、とわきまえている。この点、「濾」の代用字と略字を区別できない国語審議会よりは、ずっと賢明である。爪の垢を煎じておくといい。誰かに一喫させるために。
( 国語審議会というのは、自分[第3委員会]でも公言しているとおり、日本語より英語の方針を立てることに熱中しているようだから、日本語のことは苦手なのかもしれない。ま、お茶ぐらいは飲んでくれそうだが。 (^^); )
【 参考 】
大辞林で調べたところ、「蝕」を「ショク」と読む熟語(「浸蝕」など) では、いずれでも、「蝕」を「食」で代用することが可能である。(例:「浸食」) しかし、訓読みでは、「蝕」を「食」で代用することは 不可能である。(「食む」を「むしばむ」と読ませたくても、できない。「食む」は「はむ」と読むから。)
代用字というのは、音読みの場合にのみ同音の文字で代用(借用)するのであって、字義を代用(借用)するわけではない。国語審議会は、そのことがわかっていないようだ。
※ 「代用字」は「代字」とか「借字」とか呼ばれることもある。
新JIS( X0213 )との関連
今回の国語審議会の案についてのコメントは、以上で終える。
さて、この案と、新JIS( X0213 )との関連を考えてみよう。
今回の案と、 X0213 を比較すると、 X0213 では不足する文字がたくさんある、とわかる。つまり、 X0213 では、今回の国語審議会の案を満たさないのだ。つまり、 X0213 は、まともな文字表現のためにはまったく駄目な規格だ、と判明するわけだ。
とはいえ、世間では、誤解が広まっている。
「X0213 ならばたいていの文字は使えるぞ。」
「文藝家協会の要望があったが、これは X0213 で満たされるぞ。」
などと。しかし、このようなJIS礼賛の主張は、まったくの間違いだ、と判明するわけだ。たとえば、「鯖」などがそうだ。国語審議会では正字の方を選んだが、X0213 では正字の方はない。(略字のみある。) つまり、X0213 では、国語審議会の示した「正しい(標準的な)文字」を使えない。
このような規格は、もちろん、欠陥規格である。
一部の関係者は、「 X0213 はすばらしい、 X0213 を普及させよう、そうすれば文字の不足はなくなるぞ」などと主張しているが、こういう嘘八百に洗脳されてはならない。誰が何と言いくるめようと、ヒトラーは独裁者だし、麻原は殺人鬼だし、裸の王様は裸だし、 X0213 は欠陥規格である。略字主義者がいくら嘘で塗りたくろうとしても、事実は変えられないのだ。
(にもかかわらず、「嘘も百ぺん言えば真実になるはずだ。嘘を繰り返して、国民を洗脳しよう」と試みる人はいる。とりわけ、東京の築地のあたりに。みなさん、ご注意を。)
現JISとの関連
新JIS( X0213 )は無視していいとして、現JIS(83JIS)からの移行はどうするべきか? 現JISのワープロやパソコンは、いかにして国語審議会の方針に対処するべきか?
新聞記事では、
「ワープロ専用機などでは字形の変更が必要となるだろう」
というふうな考えが示されていたが、ま、これが無難なところだろう。つまり、「字形の変更」をするわけだ。
「字形の変更」で対処するのは好ましい方法だ。そうすれば、特に大きな混乱はなく、正字に移行することができる。数年間におよぶ経過期間の間は、新旧両方の併用で、一種の混乱が起きるが、これは大した問題ではない。「今までは100%の機種で間違いだった」のが「70%に」「50%に」と間違いが減っていくだけの話だ。病気が治る途中経過のようなものである。「中途半端はイヤだ、混乱する」という意見は、「いつまでも病気のままがいい」というのと同じようなものである。「駄々をこねている」ようなものだ。
「字形の変更」ではなく、「字形の追加」で対処する、という方法もある。しかし、これだと、次の難点がある。
・新たに追加された文字は、旧マシン(旧ソフト環境)では文字消失する。
・これまでの文書が間違った略字のまま残る(正字に自動変更されない)こと
で、混乱が永久に続く。(正字のつもりで書いた「鴎外」が略字のまま残る)
・本来使ってはならない文字が残ることで、誤用による混乱が永久に生じる。
(マシンに略字が残るので、使うつもりはないのに、つい使ってしまった、
というミスが永久に続く。)
(なお、78JISにあった誤字は、83JISでは「字形の訂正」で修正さ
れたので、78JISの誤字は現在では自動的に修正されて表示され
る。「78JISの誤字を残せ!」と主張する人はいないようだ。)
字形の変更に反対する人もいる。
「字形の変更は困る。83の字形の交換と同じような混乱を起こす」
と主張するわけだ。しかし、これは勘違いないし誤解である。
「字形の変更」は「字形の交換」とはまったく異なる。この点に留意するべきだ。ちょっと似ているように思えるので、同じようなものだろう、と勘違いする人が多いが。(物事を精密に考えないで、思いつきだけで発言する人が、いかに多いことか。)(なお、詳しくは、「略字 侃侃諤諤」などを参照。)
さて、メーカなどが勝手に字形の変更をして、JISの規格に反しないだろうか?
実は、字形の変更は、JISで公認されている。
97JISでは、(特に混乱が生じない限り i.e. 別々のコードポイントがすでに指定されているのでない限り) 正字と略字を同じコードポイントで併用することが許容されている。たとえば、「鴎」の文字コードポイントに、「區鳥」と「区鳥」のどちらを用いてもよい、とされている。
そういうわけであるから、今回の国語審議会の方針にのっとって、JISの略字を正字に書き換えたとしても、それは、JISの方針で許容されている範囲内にあることになる。(比喩的に言えば「合法的」というようなもの。)
だから、このように字形の変更をしても、JISの側から「規格に反する」と文句を言われる心配はない。
ただ、JISの観点からは「合法的(?)」であっても、このような字形の変更が適切でないこともある。つまり、例外的な場合もある。
それは、unicode のなかに、すでに正字・略字の両方がある場合だ。
たとえば、「鴎」がそうだ。unicode には、正字・略字の両方がある。この場合、無理やり字形を変更すると、unicode において、同じ字形がダブってしまうか、もしくは「字形の交換」が生じる。それは、まずい。だから、このような場合は、例外として、字形の変更をしない。
対象となる文字は、できれば列挙したいところだが、私としては調査していないので、列挙できない。とにかく、「 unicode において正字・略字の両方がある文字」が、字形の変更の例外となるわけだ。
(ただし、このような例外は、非常に少ない。数個程度だと思われる。換言すれば、「鴎」の正字など、unicode で新たに追加された正字は非常に少なく、ほとんどは略字のままである。)
(「字形の変更」は、 unicode でもすることになる。このことについては、「 unicode の字形変更なんて大変だ」と思うかもしれないが、さにあらず。unicode では「同一コードポイントに複数の字形(異体字)が共存する」という場合は多い。有名なところでは、「骨」という文字の字形が、日本語と中国語簡体字とで異なる。両者はフォントの切り替えて区別する。
こういう事実があるのだから、(今までの)「間違った字形の日本版 unicode 」と (新たな)「正しい字形の日本版 unicode 」とが共存するとしても、特に問題はない。)
【 追記 】
「2種類の unicode が共存する 【 上述 】 なんて、とんでもないことだ。
だから『字形の変更』はやめて、『字形の追加』にしよう」
という主張がある。しかし、それは勘違いというものである。
仮に、「字形の追加」をしたとしよう。この場合も、
・ 旧バージョンの unicode
・ 新バージョンの unicode
というふうに、2種類の unicode が共存するわけだ。だから、この点は、「字形の変更」をした場合と、何ら差はないのだ。
しかも、さらにひどいことも起こる。
「字形の追加」をした場合、国語審議会で示した正しい字形は、新バージョンの unicode で「追加」されることになる。さて、これらの新バージョン専用の文字を、旧バージョンの unicode で読み取れば、どうなるか? もちろん、すべて文字消失する。 「文字化け」ほどひどくはないが、普通に使う文字があちこちで「文字消失する」わけだ。たとえば、 (正字の)「榊原さん」 が 「 原さん」 になってしまう。これでは、あまりにもひどい。まったく実用にならない。もし実用的に使えば、いたるところで混乱を引き起こす。
「字形の変更」をした場合は、この混乱は生じない。文字が消失するかわりに、略字体で表示されるからだ。
JISの文字で比喩的に例示すると、原文が「學藝」であった場合には、
「字形の追加」なら :
「いま學藝は」 → 「いま は」
「字形の変更」なら :
「いま學藝は」 → 「いま学芸は」
となる。前者では、文字消失(ゆえに意味消失)が生じる。後者では、字体の違いは生じるが、意味の違いは生じない。両者を比較して、どちらが混乱を起こさないかは、一目瞭然であろう。
【 コメント 】
「新しい文字は追加すればいい」
という考えは、一見、自然である。たしかに、めったに使われない文字を補充するならば、そうした方がいい。
しかし、「めったに使われない文字」でなく、「もともとよく使われる文字」であれば、「新たに追加する」というのは、多大な混乱を引き起こすのだ。
両者の違いに気づくべきだ。気づかない人は、「追加すればいいだろ」と主張しがちだが、こういう人は、「単細胞」と言うべきであろう。いわば、武器も兵士も区別しない将軍のようなものだ。「どっちだって同じく、ただの道具さ。足りなくなったら、追加すればいいだろ」と。
普及法
上記のように「字形の変更」をするとして、それを普及させるには、どうしたらいいか?
私としては、次のようにすればいいと思う。
「政府の購入する、官公庁用・教育用のパソコンは、国語審議会の字形に
従うものであることを条件とする。(条件を満たさないものは購入しない。)」
(具体的には、そのようなフォントをインストールしているだけでよい。)
「既存の公用・教育用パソコンにインストールするフォントも購入する」
こうすれば、国語審議会の方針に従ったフォントが一挙に普及するだろう。
もちろん、学校で使われるパソコンの文字も、正しい字形になる。だから、
「教科書では『區鳥』なのに、パソコンではどうして『区鳥』になるの?」
という疑問も生じなくなる。めでたしめでたし。
このようにするとして、問題点は、特にない。なぜなら、
・ 上記のような条件を満たすには、そのためのフォントを作ればよいが、そう
するためのコストはごくわずか(数十万円程度?)で済む。富士通やNECの
ような大メーカにとっては、雀の涙だろう。それで一般消費者用にも数百万台
を販売できるからだ。
・ 既存ユーザ用にも、問題ではない。一太郎や MS-Word や年賀状ソフトでは、
バージョンアップの際に、新フォントが添付されるからだ。1年以内に、大部分
の既存ユーザに行き渡るだろう。OSにも添付されるわけだから、OSの更新
にともなって、4年以内に、ほぼ100%の既存ユーザに行き渡るはずだ。
というわけだ。
要するに、政府としては、かける費用は、ゼロでよい。「やる気」だけあれば、それで十分。(もっとも、そいつが一番の難題だが。……)
【 補足 】
読者から次のような提言をいただいた。
「役所に提出する電子的文書もまた、(正字を使う)標準フォントの使用を義務づけるべきだ。さもないと、どんな字で申請したのかわからなくなる。」
まったく、その通り。下手をすると、官公庁のあちこちで混乱が起こりかねない。
でもまあ、役人ってのは、問題が起こってからでないと、腰を上げないんですよね。
実施の期限
読売新聞夕刊(2000-10-25)によると、政府は国民全員に、ICカードとしてのIDカードを配布することを検討中だという。時期は 2003 年。
※ ICカード …… 集積回路カード。多大なデータを組み込める。
※ IDカード …… 個人識別カード。健康保険証との兼用も検討中。
さて、ここでは当然、字形を正式に定めることになる。97JISのように、
「榊」は正字でも略字でもどちらでもいい。
なんていう方針では駄目だ。それでは、(IDカードから)実際に印刷した文字で、二つの字体が流通することになるからだ。そうなると、見た人が「別の人だな」と誤解するという、混乱が生じる。
「あんた、略字の榊原さんでしょ。正字の榊原さんとは別人だから、駄目。」
というようなことが起こりやすい。
これに対して、JCSは「包摂する」と言うのだろう。しかし、包摂するという方針はいいとしても、代表字形ぐらいは、一意的に定めていないと、上記のような混乱が生じるわけだ。
そこで、とにかく、字形を一意的に定める必要がある。その字形は、当然、国語審議会の示した字形となるはずだ。つまり、原則的に略字でなく正字となるはずだ。
このように字形を一意的に定めれば、あとは、包摂をしても、特に問題はない。たとえば、
「『榊』は電子字形では正字」
と定めたとする。略字の榊原さんもいるだろうが、「電子字形では正字に統一する(包摂する)」という原則を立てておけば、それはそれで問題ない。(戸籍では略字の字形も容認する。その字形は、文字コード上の異体字でもいいし、手書画像でもいい。)
とにかく、以上のように、電子文字の字形を一意的に定める必要がある。そして、その期限は、上記のように、IDカードを配布する 2003 年である。(実際には、配布前のデータの準備をしなくてはならないので、遅くとも 2002 年頃までに、字形を一意的に定める必要がある。)
※ 将来、略字と正字の双方が文字コード組み込まれたとしても、それはそれで
構わないが、もしそうするとしたら、やはり、この時点で、そうしておくべきだろ
う。
こうして期限が示されたわけだ。
このことは、もちろん、JISを担当する工業技術院が行なうべきだろう。
ただし、どうも、工業技術院はサボってばかりいるようだから、当てにしない方がいいかもしれない。自治省あたりにやってもらってもいい。工業技術院がやらなければ、自治省が否応なしにやらなくてはなるまい。
ついでに、JISを定める権限も、工業技術院から、自治省に移管して
しまえばいい。サボってばかりいる工業技術院の役人は、クビにしてしま
おう。政府の経費が浮く。 (^^);
電子政府へ
朝日新聞夕刊(2000-10-27)情報面のコラムに、興味深いことが書いてあった。 (著者は岡部一明氏)
アメリカでは電子政府 FirstGov を立ち上げたのだそうだ。これはポータルサイト[= 玄関ページ]のようなものだが、そこでは政府のもつ多大な情報がまとめて一箇所で公開されているという。さらには各種の手続きさえ可能であるのだそうだ。「あれもこれも」という例が記事には掲げられている。
一方、日本の方は反対で、サイトはバラバラだし、内容はほとんど何もないようだ。(政府の自己宣伝なら、うんざりするほどたくさんあるが。)
たとえば、一番基本となる資料である六法全書さえない。(民間には有料のものがあるが。) 大蔵省の有価証券報告書も、もちろんない。ただ、これは、WWW上にはなくとも、CD-ROM 版ならあるが、何と、1年分で80万円(!)だという。ほとんどすべてが無料で提供されるアメリカと比べ、彼我の差はあまりに大きい。
さて、有料であろうと民間製であろうと、とにかく、電子データがあるのならば、まだいい。今はなくとも、将来できるのならば、まだいい。しかし、原理的に不可能なのだ。文字がないのだから。
たとえば六法全書だ。刑法で「証拠いん滅」と漢字で書こうとしても、「いん」の字がない。略字の「湮」はあるが、正字の方はない。
ないことに気づいていれば、まだマシだが、国語審議会は、この文字がないことを指摘していない。 (先に「不足分」の章で記述したとおり。)
とにかく、刑法の「湮滅」でも、地名の「鯖江」でも、今のコンピュータではまともに使えないのだ。電子政府は原理的に不可能なのだ。
政府は、この点を何とかしてもらいたいものだ。どこかの大臣は、「IT推進」を口にして、次のように唱えているが。
「数千億円で、コンピュータ講習券を老人にばらまこう!」
【 参考 】
「老人にコンピュータの講習会をする」
という案は、実は、すでにあちこちで実行されている。
その実態は、すでに紹介されているが、次の通り。
・ 1週目 ── 「マウスの操作法」
・ 2週目 ── 「マウスの操作法」 (前回の分は忘れたので)
・ 3週目 ── 「マウスの操作法」 (前回の分は忘れたので)
………………
………………
………………
※ ジョークのようだが、ジョークではない。
Unicode との関連
「JISは文字をいじらずに、すべては unicode に任せよう」
という意見がある。
これはまあ、わからなくもない。
「日本のことはすべてはアメリカに決めてもらうべきだ」
というような考えであろう。こういうふうに植民地的な考えをする人は実に多いので、ま、その気持ちもわからなくもない。
ただ、現実には、これは難しい。特に、「常用漢字に対応する正字」でそうだ。
※ この問題は「表外字」とは、ちょっと話がずれるが。
「常用漢字に対応する正字」は、是非とも追加する必要がある。これらの正字は現実に多くの用例がある。たとえば、戦前の文書では大量に使われているので、百科事典や教養書や教科書などで引用文がある。 また、前述のIDカードでも、必要となる。人名の用例は多くあり、すでに市役所レベルの電子化で公認されている。(参考 :ほら貝のページ)
さて、「常用漢字に対応する正字」は、必要ではあるが、unicode では今のところちゃんと採用する予定はない。(なぜならJCSがこれらを追加要望書に含めなかったから。)
(細かく言うと、X 0208 における不足分の約520字のうち、 X 0213 で追加されたのは300字程度で、残りの200字程度は漏れた。前者は unicode にたぶん追加されるだろうが、後者は unicode には入らない。たとえば、「青」「羽」の旧字は漏れる。)で、この不足分を unicode に採用するには、どうしたらいいか? それにはまず、「採用するべきか否か」を unicode の側が自発的に提案して審議しなくてはならない。そして、仮に誰も提案しなかったり、あるいは提案しても外国人が「採用すべきではない」と決定したら、日本人はそれに従わなくてはならない。つまり、日本人の日本語の使用法は、外国人によって制限されることになる。外国人がお許しを下さらない限り、日本人はまともに日本語を使えないのだ。
(だったら、アメリカ人の英語利用も、日本人が勝手に制限してもよさそうなものだが、そうはならないのだろう。冒頭のように「unicode に委ねる」というのは、一種の奴隷根性であるから、奴隷がご主人様にたてつくことなどはできまい。)では、日本人が日本語をまともに使う方法はないのか? 実は、ある。それは簡単だ。
「日本人が自分で日本語の規格を定めること」
つまり、
「日本のJISに、『常用漢字に対応する正字』を収録すること」
である。こうすれば、
「原規格(JISなどの各国規格)で別の文字は、unicode でも別の文字にする」
という原則( unicode 内の原則 )にしたがって、unicode でも、「常用漢字に対応する正字」は自動的に収録されることになる。
つまり、上記のようにすれば、何も問題はない。「日本人が自分で日本語の文字コード規格を定める」というのは、ごく当たり前のことだし、無理難題ではない。
ただ、世間には、「自分のことは自分で決めよう」というのに反対する声が多い。「JISでは何もしなくていい」「何もかも外国人様に指図していただこう」「すべては unicode に委ねよう」という意見がけっこう出回っている。この点には、注意されたい。もしそのような奴隷根性 丸出しの意見に従うとしたら、われわれはいつまでたっても奴隷状態から抜け出せまい。
※ ま、奴隷状態なのが好きな人も多いだろう、とは思うが。
最近は、金髪にしてカタコト英語をしゃべったり歌ったり
する人も多いしね。ご主人様の物真似が上手。ただし、
肝心の英語だけはへたくそなんですよね。
※ 彼らは何もかもご主人様に決めてもらいたがっている。
「奴隷根性」というよりは、「犬根性」かもしれない。
犬には、骨をやれば喜ぶ。だから unicode ではしばしば
「骨」の字が問題になる。unicode 礼賛論者には、「骨」
の字を投げ与えてやろう。尻尾を振って喜ぶだろう。 (^^);
※ 前述の「電子的な文盲」の箇所も参照。似たことを述べた。
Q&A (初心者向け)
国語審議会の方針に対して、WWW上で、疑問が発せられた。
かなり初歩的な疑問なので、文字講堂の読者であれば、自分で答えることもできるだろう。ただ、文字講堂をまだよく読んでいない読者だと、自分では答えを出しにくいだろう。
そこで、初心者にもよくわかるように、以下で説明することにする。 Q&A の形で、質問に答えるふうに記すこととしよう。
( ※ Q&A 以前や、文字講堂の各ページを、すでに読んだ読者
にとっては、既知のことなので、特に読む必要はない。)
Q 国語審議会の方針では、文字コードをどうするべきかはわからない。
これは当然のことだ。国語審議会の方針は、出版物における印刷標準字体を定めるためのものであり、コンピュータの文字コードを定めるためのものではない。
文字コードを定めるのは、文字コードの担当者のすることである。国語審議会に要求するのは、お門違いである。
Q 国語審議会の方針では、包摂がどうなっているか、よくわからない。
すでに本文書の「異体字」の章で述べたとおり。
要旨:
包摂は文字コード上の問題であって、文字コードで包摂をどうするかは、国語審議会の関知するところではない。国語審議会では、出版上のこととして、すべて「デザイン差」と称している。それをどう分類するかは、文字コード担当者の決めること。
Q 国語審議会の方針では、デザイン差の説明として、不足している点がある。たとえば、「閏」のなかが「王」か「壬」かが不明。
たしかに国語審議会の説明では、説明不足のところがある。しかし、異体字の問題は、非常に難しく、説明不足だとしても、やむを得ないとも言える。
少なくとも 97JISよりは、国語審議会の方がずっとマシである。( 97JISでは、「間」の旧字と正字を包摂するというような、とんでもない方針を出している。これは、「常用漢字は新字で」という政府の方針を否定する、暴論だ。)
では、国語審議会の方針が不足だとすれば、どうすればいいか? これについては、国語審議会の説明では不十分でも、そのかわりに、文字講堂がすでに十分な説明を出している。 異体字の迷宮 を参照。
特に、この文書の §2−4 包摂の詳細 の原則を適用すればよい。
「閏」の「王」か「壬」については、
(5) 部分字形が明らかに異なるものは、包摂しない。
を適用する。部分字形が別字(「王」「壬」)であれば、本体の字(「閏」の2字形)も別字となる。
壬の「イ」の部分の接点がくっつくか離れるかも、同様。 [ (5) の原則を適用するが、くっつくか離れるかに関する (1) の原則もある。そこで、微妙なので、個別の考慮してもよい。]
Q 国語審議会では、「正字とは何か」をはっきりと示していない。
国語審議会は示していないが、文字講堂は示している。
すでに 正字とは何か で述べたとおり。
Q 国語審議会では、「いわゆる康煕字典体とは何か」をはっきりと示していない。
これも同様。
Q 「いわゆる康煕字典体」というのがはっきりしないと、各人が勝手に文字を使うことになって混乱する。
これは論理的な間違い。
国語審議会は「いわゆる康煕字典体を使え」と述べているのではなく、「印刷標準字体を使え」と述べている。「印刷標準字体」さえはっきり示せば十分。「いわゆる康煕字典体」をはっきり示さなくても構わない。
※ 上の質問は、「いわゆる康煕字典体」と「印刷標準字体」を混同している。
Q 「閏」のなかが「王」と「壬」とで、どちらが康煕字典体か?
これは無意味な(どうでもいい)質問である。
国語審議会で示したのは、「現代日本の活字書籍でよく使われている字体」である。これは必ずしも、康煕字典体と同じではない。微妙な差があることもある。だから、「康煕字典体」とは呼ばずに、あえて、「印刷標準字体」という別用語を用いたのである。その点に留意。
「正字らしい」ような二つの文字があることはときどきある。たとえば「荊」という字は、草かんむりが全幅のものと半幅のものがある。国語審議会では、そのうち一方を「印刷標準字体」と認定した。
[これはこれで問題が出ることもある。たとえば、国語審議会の 1998-06 の試案では、草かんむりが半幅の方を「印刷標準字体」としたが、文字講堂は草かんむりが全幅の方を「印刷標準字体」とするべきだ、と意見表明した。 (表紙ページにある資料「略字&正字」の「conc-kok.htm」を参照。) そして、 2000-09 の試案では、全幅の方が「印刷標準字体」となった。このように、意見の差が出やすい。]
さて、「どちらが康煕字典体か」がはっきりとしない(または異論がある)としよう。そのような場合、印刷物の字体については、国語審議会が方針を示した。では、文字コードでは、どうするべきか?
実は、文字コードでは、この問題は存在しない。文字コードの場合、「どちらが正字か」というような属性は、文字(文字のコードポイント)には付属しないからである。正字またはそれに準じるような二つの文字がある場合、どちらが正字であるかを考慮することなく、どちらも採択すればよい。それだけのことだ。(前述の「正字とは何か」でも述べた。)
あとは、包摂するか否か、という問題だけだ。これは包摂の問題となる。(「包摂」については、「異体字の迷宮」を参照。)
とにかく、「国語審議会に何もかも解決してもらおう」というのは、過剰な期待である。何もかも解決してもらわなくても構わないのだ。 (ひとつ前の質問を参照。)
Q 国語審議会では、1022字を示したが、それ以外の文字は?
すでに本文書の 「不足分」の章 で述べたとおり。
つまり、先に示した30字を見ればよい。これでパソコンの略字は尽くせる。
他には、略字を使っている書籍はないので、書籍に関する限り、上述のことだけで十分だ。
実を言うと、書籍ではなく新聞では、JIS第二水準に相当する箇所で、多量の略字を使っているところがある。朝日新聞がそうだ。
たとえば、つい先日も、妙な字を見かけた。「桟」から「木」へんを除いて、その残り[つくり]の上に、竹かんむりをつけた文字である。いったい何という字かわからず、途方に暮れてしまった。もちろん、漢和字典にも出ていない(はず)。
実はこれは朝日略字であった。正字ないしJIS文字では「箋」である。これなら「便箋」「付箋」というふうにしばしば使われる文字であるから、たいていの人は読める。しかるに朝日略字にしたせいで、読めなくなってしまう。しかも、これが本当は「箋」という字だということは、略字化の部分字形の原則を知っていないと理解できない。まるで漢字パズルである。記事でパズルをやるのだから、呆れてしまう。
※ なお、記事は金曜夕刊。用例は「電箋」で、Eメールの和訳(?)。
さて、朝日新聞は、このように大量の略字を使っているが、これは次の二点で無視してよい。
・朝日新聞も書籍では、正字を使う。(朝日字体を使わない)
・朝日新聞も記事では、原則として、朝日字体を使わない。
(記者の書いた記事では、常用漢字のみを使うのが原則。
外部の人が執筆して、「正字で」と指定したときのみ、逆に略字を使う。
……このアマノジャクな点については、先に「日蝕」のところで述べた。)
※ なお、朝日はすべて略字にするかといえば、そうではないそうだ。たとえば、
「銅鐸」の「鐸」は略字にしないそうだ。(cf. 「驛」→「駅」)
[この項、高島俊男『お言葉ですが・・・』[「週間文春」2000-11-09号
(2000-11-02 現在発売中)]による。
ついでだが、南堂の挙げた例もある。前述「掻」の箇所。
Q 1022字以外についての、原則がわからない。
わからなくてよい。先の30字を追加すれば、それでもう十分なのだから。略字はないのだから、正字を適当に使えばよい。
※ 「どれが正字かわからない」というかもしれないが、別に、構わない。
複数の字体があるとしても、それはそれで、別に構わない。現状通り、
適当に使えばよい。難しい文字で、正字らしき複数の字体があるとし
ても、そんな細かなことの決定まで、国語審議会に負わせることはない。
そんなことをやりだしたら、キリがない。
今回の国語審議会方針は、あくまで「変な略字を排除すること」である。
そのことに留意すればよい。(略字派の人は憤慨するだろうが。……)
※ あとは、朝日新聞が勝手なことをしているだけだが、これは、たぶん、
手書きの文字と同様に、「自分勝手な自己流の文字遣い」というふうに
扱われるのだろう。 「朝日字体についても言及すべきだ」という要望も
あるかもしれないが、世の中にいる変人の変な文字遣いについて、いち
いち国語審議会が言及する必要はない。常識の問題。
Q 国語審議会の促す「字形の変更」では、新旧2種類のフォントで字形の差が出て、混乱する。X0213 ふうの「字形の追加」(文字の追加)ならば大丈夫なのに。
すでに本文書の 「現JISとの関連」の章 および その「追記」 で述べたとおり。
要旨:
「字形の変更」では、たしかに、小さな混乱が生じる。(正字から略字への文字化け)
しかし、「字形の追加」をすれば、大きな混乱が生じる。(正字から空白への文字消失)
小さな混乱を避けようとして、大きな混乱を招くのでは、困る。上記の質問では、
“ X0213 ふうの「字形の追加」ならば大丈夫”
と思い込んでいるようだが、とんでもない勘違いである。先の 「榊原」→「 原」 という文字消失の例を参照。
【 付記 】
そもそも、元が文字化けしていたのだ。たとえば、「鯖江」とか「石川啄木」とか書いても、JISでは略字に文字化けする。このように文字化けしていたのを、正しい文字に戻したからと言って、それを「文字化け」と非難するのは、話が変である。悪人が善人を見て、「悪人!」と非難するようなものだ。ひどい詭弁である。
※ 下記は、将来、リンク切れになる可能性がある。
http://www.mainichi.co.jp/news/newsflash/10minutes/news14.html
http://www.sankei.co.jp/paper/today/itimen/30iti001.htm
http://www.yomiuri.co.jp/newsj2/ic29i114.htm
http://www.asahi.com/0929/past/ppolitics29009.html
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/199904/28/0429m120-400.html
朝日新聞 2000-10-02 朝刊社説
……新聞紙上にあるが、WWW上でも、朝日の社説として読める。
2000-10-02 中なら、「本日の社説」で。以後は、有料記事検索で。
内容は、「おおむね賛成」という常識的なもの。目新しい情報はない。
朝日の論説室はまともなものになりつつある、ということはわかる。
国語審議会
……12月の最終答申まで、国民各界からの意見を受け付ける、とのこと。
受付先および国語審議会資料は、意見募集のページを参照。
姓名のローマ字表記についての私見
……ローマ字表記の「姓−名」順に関しての私見。(すでに公開済みのもの)
氏 名 南堂久史
メール nando@js2.so-net.ne.jp
URL 文字コードをめぐって (文字講堂) (表紙ページ)