《 専門家向けの補足 》
本文書には、専門家からの反発が予想される。そこであらかじめ、反発への解説を書いておこう。
( ※ 一般の人は読まなくてもいい。ただし専門家はなるべく読んでほしい。)
* * * * * *
予想される反発は、次のことだ。
「真偽値の『重み』というが、そんなものはもともと導入されている。生死が半々だということは、それぞれの値が半分だということであって、それぞれの値が1だということではない。つまり、矛盾ではない」
この反発については、次の (1) 〜 (8) で答えられる。
(1)
なるほど、そういうふうに「半分ずつ」という解釈が普通だろう。少なくとも、数値上はそうだ。そして、そのことは、もともと本文書に示してある通りだ。(量子力学の数値がそういう意味だというふうに示してある。)
問題は、その解釈だ。数値上では「半分ずつ」というふうになっているのに、現実の解釈は「重ね合わせ」という概念を導入することで、「両方がともに成立」というふうに解釈される。次のように。
・ 二重スリットでは、電子が二つのスリットを同時に通る。
・ シュレーディンガーの猫では、猫が生きていてかつ死んでいる。
ここでは、「両方がともに成立」というふうに解釈されている。
しかし、本当は、そうではないのだ。「両方がともに半分だけ成立」ということだ。もっと正確に言えば、「両方がともに未決定(成立するか否か不明)」ということだ。
本文書は、「両方がともに成立」という解釈を否定している。量子力学を否定しているのではない。誤解しないこと。
(2)
「両方がともに半分だけ成立」という数値を突き詰めれば、「重ね合わせ」は否定されて、「未決定状態」が取られる。
一方、従来のように、「重ね合わせ」を突き詰めると、「両方がともに1」という奇妙な数値になる。(量子力学に矛盾する。)
本文書が示していることは、「量子力学と『重ね合わせ』概念とは、究極的には矛盾する」ということだ。つまり、「重ね合わせ」概念を否定している。量子力学を否定しているのではない。誤解しないこと。
(3)
なお、「半分だけ成立」ということが何を意味するかは、明確な科学的なモデルによる説明が必要だ。
つまり、「赤と青との重ね合わせ」というような文学的表現(言葉だけの比喩)を取るかわりに、「赤と青の微小粒子の振動」という科学的な説明(モデルによる説明)を取るべきだ。……これがつまりは、前の文書に当たる「シュレーディンガーの猫の核心」で示したことだ。
本文書では、「重ね合わせ」概念を否定するだけだが、かわりにどんな説明を取って真実を知るかということは、この文書(〜の核心)の方に記してある。本文書の読者は、そちらをあらかじめ読んでいることが前提となる。
(4)
というわけで、そちらの文書をあらかじめを読んでおいてほしいわけだが、読んでも忘れてしまった人もいるだろうから、ここでふたたび紹介しつつ、本文書と合わせて、わかりやすく説明しよう。(専門家向けというより、ちょっと初心者向けになるが。)
具体的に示す。
二重スリット実験を取ろう。これについては、「重ね合わせ」の解釈では、次のように説明される。
「一つの粒子が二つのスリットを両方とも通る。二つの状態の重ね合わせになっている」
しかし本文書の説明では、次のように説明される。
「一つの粒子が二つのスリットを両方とも通る、ということはない。『通る』のではなく、『通るらしい』もしくは『通るかもしれない』という二つの状態の共存があるだけだ。」
ここでは、「共存」つまり「同時成立」がある。ただし、「矛盾」ではない。なぜなら、どちらも完全成立しているわけではなく、部分成立しているだけだからだ。
では、部分成立とは何か? つまり、「らしい」もしくは「かもしれない」とはどういうことか? それは、次の二通りだ。
・ ミクロの世界では、「状態の振動」
・ マクロの世界では、「決定の確率的分布」
では、ミクロの世界における「状態の振動」とは、何か? これは、「シュレーディンガーの猫の核心」で示したとおりだ。図式的に言えば、「赤直線と青直線の重ね合わせ」でなく、「赤点と青点の交替」である。(前文書で図示したとおり。)
これを特に二重スリット実験に当てはめよう。スリットAを通る経路を赤線で示し、スリットBを通る経路を青線で示す。
すると、「重ね合わせ」の解釈では、次のように説明される。
「赤線の経路と青線の経路がともに成立する。事実はこの二つの状態の重ね合わせである」
一方、本文書の解釈では、次のように説明される。(ミクロ的に)
「赤線の経路と青線の経路は、ともに部分成立する。部分成立とは、この二つの直線がともに完全成立していないということだ。つまり、直線にはなっておらず、点線になっている」
両者の説明を図式的に比較すれば、次の通り。
《 重ね合わせによる説明 》
経路A ━━━━━━━
経路B ━━━━━━━
《 本文書による説明 》
経路A ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
経路B ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
比較すればわかるように、後者の図(本文書による説明)では、経路は、実線でなく点線になっている。これがつまり、「完全成立」でなく「部分成立」であるということだ。
つまり、二つの経路(完全成立)の「重ね合わせ」があるのでなく、二つの振動状態の経路(部分成立)の「共存」がある。ここでは、「共存」というところに特別な解釈が必要なのではなく、「振動状態」(部分成立)というところに特別な解釈が必要となる。
そして、その特別な解釈は、前文書で示したとおりだ。それは、モデル的には「波」や「振動」という概念で理解される。より詳しくは、専門家向けの「超球理論」(超球と超ヒモ)で説明される。もっと知りたければ、そちらを参照。
(5)
「未決定状態」についてもモデル的に示そう。
「未決定状態」とは、この二つの点線の共存のことを言う。一方、決定するときには、二つの実線のどちらか一方だけになる。
特に、二重スリット実験で言えば、電子が到着点に達したときに、そうなる。到着点では、電子は、未決定状態ではなく、決定状態になる。つまり、到着点においては、点線ではなく実線になる。どちらになるかは、確率的に決まる。
ただし、途中の空間では、実線ではなく点線になる。つまり、途中の空間では未決定状態(= 点線)であるが、到着点では決定状態(= 実線)になる。こういうふうに、途中の空間と到着点とでは、異なる。このことは、「超球理論」における「玉突きモデル」で説明される。
( ※ とりあえず簡単な説明もある。 → 「玉突きモデル」)
(6)
この文書で示そうとしたことは、重ね合わせの解釈を否定することだ。つまり、「経路Aと経路Bが両方とも成立する」という解釈を、否定することだ。(矛盾という形の解釈を否定する。)
なお、重ね合わせの解釈では、次のような説明も考えられる。(矛盾という形を避けるために。)
「実線のまま、真偽値の重みをつけて、実線を稀薄化する」
これは、発想的には間違っていない。だが、ただの文学的な比喩にすぎない。なぜなら、「稀薄化する」というのが何のことなのか、さっぱりわからないからだ。
たとえば、二重スリット実験で言えば、「稀薄化した電子」が運動することなのか? まさか。「稀薄化した電子」なんていうものはありえない。同様に、シュレーディンガーの猫でも、「稀薄化した猫」なんていうものはありえない。
「稀薄化した電子」とか「稀薄化した猫」とかいうのは、文学的な比喩である。そこで、文学的な比喩を捨てて、科学的なモデル理論で示すべきだ。それをやったのが、前文書である。そこでは「稀薄化した電子」という文学的な表現を取るかわりに、「振動」という概念で、科学的なモデル理論で示す。
量子について、「波でもあり粒子でもある」とか、「二つの場所に同時に存在する」とか、「二つの経路を同時にたどる」とか、「猫は生きていて、かつ、死んでいる」とか、そういう表現もある。だが、これらはすべて、ただの文学的な比喩にすぎない。そういう文学的な表現に、科学的な説明(モデル的な説明)を与えるのが、前文書だ。
(7)
なお、説明を放棄する立場もある。たとえば、「波でもあり粒子でもあるのであって、量子とはそういうものだ」とか、「量子の世界では日常的な世界の用語では説明不可能だ」とか、そういうふうに、説明を放棄する立場だ。
しかし説明を放棄するのは、もはや科学ではなく、神秘主義であるにすぎない。いわば神を持ち出して、「神様がそういうふうに世界を作ったのだから、それ以上は説明する必要はない」というわけだ。こういうのは、19世紀ごろの科学主義よりも数百年も前(中世)の、神秘主義であるにすぎない。
科学者たるものは、科学的な説明を放棄するべきではない。「そういうものなんだ」で済ますことなく、モデル的な説明を構築するべきだ。モデルとは、自然の基本原理である。つまり、真実である。
たとえば、ニュートンを見よう。彼は重力について「そういうものだ」と片付けることはなく、モデルを構築して、万有引力の法則として数式化した。そういう科学的な態度こそ必要なのだ。
多くの物理学者は「重ね合わせ」という概念を取る。そのとき、稀薄化した電子や、稀薄化した猫を、心のうちで想定している。しかし、そういう文学的な発想を捨てて、はっきりとモデル的な説明を与えるべきだ。そのために、「振動」という概念を導入するべきだ。
(8)
そもそも、シュレーディンガー方程式をよく見よう。そこには「複素数の波」が表現されている。その「複素数の波」という振動するものこそが、量子の実態なのだ。つまり、量子というものの真実は、シュレーディンガー方程式という数式に示されているとおりなのだ。
にもかかわらず、数式を離れて、文学的に「重ね合わせ」という解釈を取る人々が多い。そんな彼らに、こう言いたい。「数式を読め。数式をあるがままに受け止めよ」と。換言すれば、こうだ。「複素数の波として示された数式を、古典力学的に解釈するな」と。
古典力学的な解釈ならば、「粒子の直線状の運動」という解釈になるだろう。しかし量子の世界では、そういう解釈を捨てるべきだ。かわりに、「複素数の波」という解釈を取るべきだ。
物事の真実は、数式にはっきりと現れている。数式は「振動」をはっきりと示している。次の形で。
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「重ね合わせ」という解釈の難点は、量子力学の数式を、古典力学的なモデル(実数のモデル)で解釈することだ。