2004年1月

2004年1月8日(木)

遅れましたが新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

5日から大学が始まってしまいました。やたら忙しいです。バイトの人数が足りなくて、自分の負担が増えてるせいもあるけど…今月は試験中ですので、 多分更新はほぼないと思います。何か壊れた事があれば更新するかもしれませんが。あぁ、早く休みにならないかなぁ…。でも試験頑張 ります。誰かも頑張ってるみたいだしね。

これといって面白い事書きませんが、この辺でいいですかね?とりあえず生きてますっていう報告という感じで(笑)。


1月21日(水)

もう朝ですか。最近徹夜が多いです。実験レポートが非常に大変なので…。実際のところ、物理化学実験なのですが、私はもうレポート書くのが苦痛でな りませんでした。本当に、私は化学は向いてません。…こんなレポートに時間を費やしているくらいなら哲学書読んでる方がよっぽどためになる…って考えてい る時点でダメですかね?なんだかもう工学やる気が失せてきましたね。

今期、工学の授業ももちろんとってますが、哲学や心理学などの分野の授業も多く取っているのです。…工学の授業よりもよっぽど面白い。別に工学の勉強が嫌いなわけではなく、授業自体に差がある感じ…。

…なーんかおとついはわりかし思想的にやばかった気がしますが、今日は特に面白く書けませんね。残念です。こういうときは無理に書こうとしない方が良いものです。

う〜ん?でも何で更新してんだろ?


1月26日(月)

こんばんは。思いっきり試験中です。とはいえ、日記を更新しないのはやっぱりダメな感じがしますね。そもそも、今月は成人式、そして二十歳の誕生日と、書くべき内容が盛り沢山になる…筈とお思いでしょう。ところがそうでもなく、そのことについて今のところ書く気はありません。

今日は、勉強するでもなく、昔の日記を読んでました。丁度、二年前の一月一日からの日記を。高校三年の、受験生の頃ですね。あー、そういえば、こん な事を考えていたんだなぁ、とか、あれ?これって…?というようなものもありました。この日記は私の宝物です。以前も書きましたが、この日記によって、記 憶が呼び出されるのです。この身体に。今まで忘れていたけど、受験生の頃考えていたこと、高校卒業の思い出、卒業旅行。そして、卒業式後、日記を書かなくなた事も。今日読んだのは第六冊目で、大学入学してちょっと迄です。この頃の日記も好き。色々なことを考えていたり、考えが希薄になったり、意識が遠のいたり、私とは何なのかを問うたり、恋だったり。それでも真っ直ぐ生きようとしてますね。大変興味深いです。

この頃の日記から、哲学という語が書かれていますね。自分は人間哲学がやりたかったかなぁとも書かれています。だがはたしてそれは哲学だったのでしょうか。あくまで自分独りで考えていたものだから、学問とはいえないのだろうね。今私がしていることだって、哲学とはいえないのかもしれない。

いつだったか高校の事書きましたが、それを悟った(?)のは丁度この頃です。その時は、これは広めてはいけない考えだと思ったのです。暗黙の了解でなくてはならないと。答えを教えてはいけないのですね。真偽は別として。

一つ、一部引用します。

一月三十日(水)

夢物語

(略)自分の人格は連続して発生している。ある程度時が過ぎた者は記憶の奥底に入り思い出せなくなる。だが消えはしな い。そう簡単に。何かの拍子に浮き上がり、人格と記憶を呼び起こす。結局、私もその中に含まれる存在なのだ。他人をコピーして、他人の擬人格もある。そう して存在するのが自分なのだろうか。謎が解けたようで、さらに増えていく。

つまるところ、私はどうなっていくのか。私もいつか、これを見て「今と違う」と思われるとき、記憶の奥底に沈んでいるということになるのだろうか。消えてしまうことだって、まだ「ない」って言えない。現に、小学生の人格はどうなった?…覚えてるか…。だが大分希薄になってきているのは確かだ。大きな存在ではない。いやそもそも大きな存在だったのか?記憶を呼び起こす「つて」が無ければ、その記憶は消えていってしまうようだ。現に十年程前のことは写真を見ても全く消えている。今は日記があるけど。

記憶と人格、人格と私、自分の自我、…いまいちこれらを一本でつなぐ核心的なものが謎のままだ。それはいつか分かる時がくるのだろうか。

今回の一件は、もしやするとその謎を解くためだったのだろうか。冬休み、人格と記憶が消えていないことを解し、そして、人格の構成は?というところまで。

では果たして、「自分」とは何なのか。そして、「自分」は何の方向へ、何の意思があって向かい、存在しているのだろうか。

一段落ついたら、全て思い出してみるべきなのかもしれない。最近、までは。…どうも記憶、人格が封じられがちの様に思えるから。その方が勉強に良いからなのだろうか。封じた、今までの記憶、思い出さねばならぬようだ。さすれば、また何か解るのかもしれないし。

ただ、今はこの謎に挑むときではないだろう。今はこうして書き記すことでいいのだと思う。いつかまたこれを開いて、見ているだろうから。その時は私ではないのだろうけど、でも自分だから。そこは変わらないのだろう。

いやー、複雑ですね。何気取ってんの?って感じ。こんな風にふらふらした日記が受験の時期と重なって書き連ねられています。二年前の高校三年生って、こんな風だったのかな?(笑)

でもなかなか考えさせられる、っていうか私の生涯に渡る問題を提示していますね。つくづく変な人間ですか。まぁいいや。

私も二十歳となりました。そして私は決めました。生き方を。私の生涯のキーワードは、哲学、情報、武道、日記です。私は、情報と哲学から、その二つ の学問を支えて生きたいと思っています。もしかしたら情報と哲学を結びつけた学問かもしれない。私は、その学問のために、一生を捧げる事にします。

…そんなわけの分からぬ流離い人ですが、どうぞ宜しくお願いします。