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はじめての音楽
初めて自分で買ったレコードは、たしか荒井由実の"翳りゆく部屋"だった。
それ以前に確か、桜田淳子や林寛子を買ったような気もするが、これは伏せておく。
初めて自分で買ったアルバムは、カーペンターズの"緑の地平線"だった。
あなたのとって、癒しの音楽とはどういうものだろうか。

ユーミンはその後聴かなくなっていったが、カーペンターズの方はのめり込んでいった。
もっともお金がなかったので、アルバムが欲しいと思うことはあっても買うことが出来なったから、エアチェックが中心だったが。
そうなのである。私にとってカーペンターズとは、せいぜい"ジャンバラヤ"以降からの後期の作品がメインなのである。
確かにその時期に、キッスやクイーンも聴いたが、キッスは"デトロイト・ロックシティ"以降聴いてないし、クイーンも"オペラ座の夜"以降のものは受け付けなかった。
のめり込んでいなかった割には、クイーンのその後の変貌は私にとってショックだった。
もちろん、ずっとカーペンターズばかり聴いていたわけではない。
アルバムが出ない間は歌謡曲に戻ったり、クラシックを聴いたりしていた。
歌謡曲は、NHK−FMの"ニューヒット歌謡曲"が中心であったが、クラシックの音源のほとんどもそのNHK−FMだった。
そういえば、自分でフルトベングラーの廉価版を買ったような気もする。
ベームやカラヤンが嫌いだったので、この選択は当然の成り行きだったような気がする。
作曲家でも、バッハはともかくとしてベートーベンやモーツァルトは大嫌いだった(毎年の終わりに、一年でもっとも苦手な季節がやってくる)。
受け付けるようになるのは、ハイドンからこっちである。
ラベルやムソルグスキー、リストは大好きだ。チャイコフスキーや、ヨハン・シュトラウスもそうだ。シューベルトはダメなほう。ショパンはものによってというところか。
このようにクラシックも耳にするという環境が、私を映画音楽につなぎ合わせたと言うことはおそらく否定できない。
どういうわけか、その映画音楽を聴き始めた初期にグレン・キャンベル(ラインストーンカウボーイ)とであい、モーリン・マクガバン(モーニングアフター)と出会った私は、映画音楽の虜になってしまっていた。
最初に買った映画音楽アルバムは、ジャケットにキングコング(リメイク版)のポスターの絵が掲げられたもので、その"キングコング"の他に"大統領の陰謀"や、えーとなんだっけ忘れてしまった、 とりあえずその他もろもろが入っていたのである。
そのお値段1300円。
以前にも書いたが、そのダイナミックレンジの低さは特筆もので、ボリュームを普段より2段階くらい上げないと、レベルが低すぎて何が鳴っているかわからないくらいであった。
が、その後にブームが到来するイージーリスニングに比べたら、演奏の出来はまずまずといってよかったし、演奏者に映画音楽を提供してるんだというような誇りのような物が感じられた。
映画音楽ブームに引きつられて、世間ではイージーリスニングは結構流行った。
だが私には、イージーリスニングはNGだった。
流行っているからといって、エアチェックもしてみた。
でも、だめだった。カセットを持っていても、全く聴かないのである。
その一連のブームの中で、"恋はみずいろ"でさえも、私の耳は拒絶していた。
流れるような音楽というものがダメだったらしい。
MIDIをかじり始めた自分にも、音楽が和音からなっているということは分かり始めている。
映画音楽に完全になじみってきっていた私には、一つの旋律を分解して異なる楽器で複合的に演奏された"複合的旋律"に慣れすぎて、同じ旋律をだだ単に音域を変えていくつかの楽器で演奏されただけのものに、拒絶反応を示すようになっていたらしかった。
その代わりに、今度はオリビア・ニュートン・ジョンに結構はまった(なんだかなあ)。
彼女はあの"そよ風の誘惑"が有名だが、あのベタベタした歌い方は大嫌いで、彼女の後期のさっぱりした歌い方の方が好きだった。
そのせいか、そのせいか人気の方はどんどん落ちていった。
最近念願かなって、ようやくLD版フィジカルをオークションで入手できた。
久しぶりにフィジカルの映像を見ることができて喜んだが、うたい文句と違って、映像に影響が出るほどの大きな傷があるのがショックだった。
ここまで書いて、音質だの旋律だのという割にはしょうがない趣味と思われるかもしれない。
そう、なんといってもスターウォーズのサントラを買いに行ったにもかかわらず、店頭に飾られていた"ジャケット"につられて大場久美子嬢のラストアルバムを買った人である。
その音楽センスたるや、容易に察しがつくというものであろう。
しかしジャズではないが、私は"ブルーノート"(チョコっとはずれた音)をも愛する人なのである。
大場久美子嬢の歌声がいわゆる"チョコっとはずれた音"かどうかは、人によって判断の分かれるところであろうが(分かれないかな)、彼女のデビュー当時のものから比べれば、その成長ぶりは目を見張るものがあったといっておこう。
その音は多分に、リバーブやエコー、ボイスエキサイターがかかったものではあったが。
相当にいいわけがましい音楽センスであることはおわかりいただけたと思うが、何を言いたかったのかというと...  私はかつて謝って大場久美子嬢のラストLPを購入して所持していたが、迂闊にもこれを処分してしまった。
非常に悔やんでいる、と言いたかったのである。
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