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秘密基地
子供の頃、勉強が大嫌いだった。
私の子供の頃は、小学校の校庭で放課後野球をやることは、場所をとりすぎたり飛んできた球があぶないと言うことで禁止だった。
だから、放課後の遊びといえば軟式ボールを使用した三角ベース(6文とも、ゲンペとも言う)かドッジボールだった。
三角ベースでは、バッターはバットを使わず自分の手で打つ。場所をとらずに遊べる大変便利な遊びだったのだ。
それらをさんざんやり倒した後のめり込んだのは、つきあいのあった悪友が見つけた(それ以前にそれはそこにあったのだが)笹の竹藪での秘密基地ゴッコだった。
秘密基地での主な業務(あそび)は、古タイヤを利用したバクテンの練習および笹を利用した紙デッポウの作成であった。
古タイヤがなぜ必要かと言えば、古タイヤの輪の部分をロイター板の代わりにするからだ。
ロイター板がなにものかというと、筋肉番付とかが好きな方ならご存じだと思うが、要は跳び箱をするとき使う踏み板である。
もちもんバクテンの練習時には、痛くないように廃棄されたマットを地面に敷いていた。
紙デッポウは、ぬらした花紙を弾にして前に詰め、後ろから笹の芯で作った撃芯を詰めて発射するものだ。結構飛んでいく。
これを作るには、100円ナイフ(工作ナイフと当時呼んでいた)といわれる、鉄製のナイフが必須である。カッターでやろうとしても、刃が折れてしまってできないはずだ。
適当に太い笹を切断してきて、平らなところで(当時は学校のコンクリート面とかで)繰り返し転がして適当長さに切断する。
先っぽの細い方(でも強度がないとダメだ)も同様にして切断する。
太い方の後ろの方を、5cmくらい切断する。
細い方の節をナイフで削り落とし、5cmに切ったヤツの穴に差し込む。これが撃芯になる。
太い方の前に濡らした花紙を詰め、撃芯を後ろから詰めて勢いよく押し込むと、弾が勢いよく飛び出していくと言ったものだ。
結構威力があって非常に危ないので、実行するときは人に向けて撃っては絶対にいけない。

子供の頃、この鉄砲(ピストル)というものは、非常によく登場する遊び道具だった。
小学校の1年くらいの頃には、銀玉ピストルとして現れた。
もちろん弾が銀色なのであるが、土のようなものを固めて銀色にしていたものをバネで発射するものだった。実際の弾が飛びだし、連射できるのが売りだった。
同じ頃、火薬ピストルというものも売られていた。
運動会などで使用するものとを原理は同じだ。こちらは音を楽しむものだった。
初めは1cm四方の火薬だったが、後にロールタイプとなって連射ができるようになった。
小学校3年くらいの時の登場したのが、円盤ピストルだった。
これは、緑色のプラスティック板を発射するものだった。円盤がくるくる回りながら飛んでいくのである。
弾倉に連装して連射が出来たが、あまり調子載って連射すると、よく弾詰まりを起こした。
これをご覧の皆さんが見たことがあるか分からないが、小学4年くらいの頃には、よく校門でどっかのうらぶれたおじさん(おじいさんのこともあった)が、輪ゴムピストルやハリガネピストルを放課後に売っていたものだった。
輪ゴムピストルは、もちろん弾に輪ゴムを使用するもので、なんとピストル自体も結わえた輪ゴムと割り箸だけで出来ているといったものだった。
輪ゴムをピストルの先端に掛け、引き金の反対側にもう片方を掛けて引き金を引くと、輪ゴムが飛び出していくといったものだ。
どうなっているのか自分で分解すると、二度と組み立てられない代物だった。
ハリガネピストルはこの輪ゴムピストルの改良型であったが、ピストル自体が太いハリガネで出来ており、弾自体も輪にしたハリガネであった。動力にはやはり輪ゴムを使用した。
なにげにハリガネを曲げてあったが、同じものを自分で作ることはほとんど不可能だった。
この二つのピストルは、どのようして作ってあったか覚えていないのだが、どちらもその後連射が出来るようになっていった。
これらを売っていたおじさんは、放課後の30分くらいしか校門に存在せず、規定数を販売すると風のように去っていった。

予定の内容と違って、ここまで書いて気が付いてみたらピストル論になっていたが(なんか危ない話である)、秘密基地の遊びで流行っていたものを思い出した。
ピストルとは何の関係もないが、竹馬である。
初めの頃は、父親に木の廃材で作ってもらったものであった。これでさえも私は乗れなかったが、いったんマスターしてしまうと、これでは満足できなかった。
どうしてそのようなものが売られていたか覚えていないのだが、それに飽きた私はアルミ製の竹馬を買ってもらったのだ。
これは学校中で流行った。最後の頃には、ゲタ位置を地上1mくらいにして高速で歩き回れるようになっていた。
だが、秘密基地や竹馬と分かれる日は刻々と近づいていた。
秘密基地の存在が学校にばれ、おまけにその場所には生協ができることになった。
竹馬は、よくあることではあるが、うかつものが竹馬から落ち、足を骨折して禁止となった。
最近、その懐かしい思い出の生協は、売りに出されて中堅のスーパーとなった。
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