一ヶ月近く更新してませんでした。最近異常に忙しいです。ひょんな事から合気道部のWebサイトを作る係りになってしまったり(何故ならボクしか作る技量のある人がいないから…同学科の人間は沢山いるのに)、大学祭の環境対策導入が本格的に始動し始めたりとか…。勉強は…殆どしてません。それでも結構出来てるからますますやらなくなる…。
最近また色々と悩むようになってきました。合気道の事もそうです。ボクは後輩達に合気を教えられるのでしょうか?まぁこんな事考えなければ悩まないんだけど。惰性で生きれば。合気道は単なる健康法だと思えば…皆で楽しくやってればそれでいいじゃんと思えば…
そして、このサイトの意味自体にも疑問を感じてきました。このサイトは何の為に存在しているのですか?存在するものには何らかの意味があるという立場をとる人には、その意味が解るのでしょうか?少なくともボクは、自分の為にこのサイトを立ち上げました。そしてこれを見てくれる人に、少しでも何かを感じてもらえたらという思惑もありました。…自分は何様のつもりなのでしょう。誰かに気づかせる前に、自分が何も悟ってない事に気づかなかったのでしょうか?
これといって特に変わりは無く、のうのうと生きてる…否定したはずなのに。自分のやりたい事が解ってきた気はする。工学部の知能情報処理の教授にちょっと相談してみたところ、文学部の専門授業を受けてみてはという解答が返ってきた。確かにそれは良い手かもしれない。今まで大学の授業を受けてきたけれど、唯一非常に感銘を受けた授業は、文学部の教授の「哲学」だけでした。自分はそっちに進みたいのかもしれない。でも、そんなことが可能か。とてもとても興味はあるし、哲学の本読んでるだけで色々な事が解ったような気にはなるんよ。でも、それは解ったような気がしてるだけなんではないですか?感銘を受けた、素晴らしいと思う。こんな事をしてゆきたい。でもそれはどんな事なんですか?少なくとも、自分からは何も出てきてない気がする。ただ読んで、理解したつもりになって、ちょっと自分が大きくなったような気がしているだけなのでしょうか?合気道に関しても同じではないか。最近合気が解ってきた?解ったような気がしているだけ。
今はただ本を読んでるだけ。哲学の教授に会いに行くわけでもなく、何か書き上げたわけでも無く…合宿の前日に、深夜1時から朝方の4時半くらいまで、不思議な?内容の文を書いていたけど、未完成。そのとき何を語りたかったかも、今は良く解らない。それが完成するのは一体いつだか…
一体どんな本を読んだら、良いのだろうかと最近思う。普通の勉強に関するものも。…私が何となくそう思っているだけだけど、情報工学の本は、最新、とか、実践、とかいうのが中心の本はあまりよろしくないような気がする。私が思う良い本とは、数年経ったら使えなくなるものではなく、長年に渡り、人人から評されるものが良い本だと思う。特に情報の本は、ダメなものは数年で使い物にすらならなくなります。他の分野、物理学、数学とかも同じ?図書館には数多くの本があるけれど、どれが良い本なのか、自分にはまだ解らないのです。私に解るものは、HTMLとか、CSSの本です。最近良い本とダメな本を見分けられるようになりました。ダメな本を熱心に読んで勉強している人を見ると、なんとも言い難い感覚に襲われます。
永井均教授の本ばかり読んでいるわけですが、本当にそれで良いのでしょうか。合気道部のある先輩を師に、合気を学んでいるのですが、本当にそれでよいのだろうか。最近そんな事ばかり…
ある尊敬するお方に、このサイトは更新が遅い!と言われてしまったので、更新したいと思います。とは書いても、日記だけですが…。このサイト、一体何がメインなんだろうか。もはや情報技術やってない。
3日の日記に、このサイトの意味とか書きましたが、そもそも意味なんて、付けようと思えば付けられるものなのではないでしょうか。いえ、意味なんて求める事自体がナンセンス。そもそも意味って何?
日記の意味とか幾つかのページで書いた気がしますが、そんなものも無いと思う。自分の成長のため?自分を知るため?生きた証?未来に生かすもの?…どれももっともらしい。でも、実はそんなことを考えて日記を書き始めたわけではない。
友人に、「何故日記を書いているの?」と訊かれた時、実は答えられなかったのですよ。何故って言われても…何でだろう?とそんな感じ。その後、色々理由を付けてこのサイトに公開したというわけです。
<今>あるもの、ただそこに存在するものに、後から理由とか何故こうなったのか説明しようとする行為は、ある意味見考古学という事なのですか?考古学というコトバに関して間違ってたらおっしゃって下さい。
ただそこにあっただけなのです。実際に、訊かれるまでは理由なんて考えてもいなかった。存在すらしてなかった。と思われる。私が日記を書こうと思った理由は、書こうと思ったからです。いつだったか、何故か解らないけど、ただ書こうと思った。それだけ。
もしかしたらこんな理由じゃ納得してくれないかなと思いました。でも納得してもらわなくていいやとも最近思います。
このサイトは、何なのでしょう?ていうか、流離い人って誰だよ。
あるこのサイトの常連さんからありがたいメールを頂きました。やはり読む本には多様性は必要だと。自分のものさしを創り出すには色々なものを見てみるのが一番かと…やっぱりそうですよね。
ただこれだけを理解する、この考え方が正しいんだ、というのはかつて自分で批判したものなのです。自分の高校時代、諸事情により色々と生徒、教員間で思想などの対立がありました。国旗国歌斉唱問題と聞けばお分かりの方もいらっしゃるのではないでしょうか。まぁ、指導する教員達はそれぞれ色々な「正しさ」をかざして何かを主張するわけです。そして、生徒もそれにつられて色々言うわけですね。その頃私はどうだったかと言うと、特に斉唱するでもなく、しないでもなく、どちらにしろ私には利害は無い、という立場を取っていました。(これは一体どのように皆に捉えられたんだろうか…)
どの意見にも、それぞれの正しさ、というものがあったのでしょうね。主張する側から見ればそれそのものは正しいに決まっている。…と言いたい所だが、私はまた別な事に気づいてしまった。
私にはかつて嫌いな先生がいました。硬すぎるのですよ。考え方が。頭が固くなるとはこういうことなのかなぁとさえ思いました。その人は、自分の信条に反するものは何が何でも認めようとはしませんでした。(その頃自分は何考えてたっけか…)本気でこの先生と対立した事もあったような…それは書かないけど。でも、たしか高3の秋頃、何かに気づいた。というか、やっぱり私はひねくれている。
実は、先生は無能な堅物を演じていただけではなかったのか、という事。先生は実は、彼自身のように、偏見的にしか世の中を捉えられなくなる事は良くない(この良くない、も正しくない気がする)という事を生徒に知らせたかったのではなかろうか。だから、多くの学生、教員とは相対する立場をとったのではなかろうか。それを悟ったとき、私は彼(現実の、では無い、そういう事をしている人物)を尊敬しました。実は私もそのような事を時々するのです。ある方向に意見が偏りがちになると、今までとは逆方向に力をかけたりするのです。私の尊敬する剣道の先生もそういう事をしてたようです。最近では勢力が今までとは逆転して、またそれはそれで嫌になった、とか去年言ってました。真ん中がいいのに、この高校は極端なんだ!とも…
話がそれましたね。まぁ、その嫌いだった先生には、「先生が実は右翼の堅物をあえて演じ、、皆からの批判にもあえて立ち向かい、生徒に何かを悟らせようとしたのであれば、私は先生の、反面教師をあえて演じた行為を非常に尊敬します。」と言ってみたかったのですが…まあ言わず卒業しました。ちなみに実はこれは皮肉にもなる…この発言をそのまま受け入れるならば、先生の主張したる事は、実は偽りである、という事になるし、ここで「お前の考えは間違っている」と言おうものなら、ただの反面教師とされてしまう…まぁ、これは完全に私を否定するしか逃れる手は無いですな。
最も感受性の強い時期、高校時代を、色々な主張、意見の混沌の中で過ごせた事は、その後の私の成長にとって、大いに役立つ事となったと思う。この混沌さが無かったら、きっと私はこんなサイトを書いていなかった。
実は、この混沌さそれ自体が、実は文部省の極秘プロジェクトの一環で生み出されたのではないかとすら疑った事があった…でも考えすぎだと思う。でも私はこのおかげで色々物事を考えられる大人になれたと思う。あくまで自分では。
結局良くまとまらず、わけの解らない文章になってしまいましたが、これが私の高校に対する思いです。私の母校の方はこれを見て何を思うのでしょうね。実は「進路のしおり」はこれを踏まえたうえで書かせて頂きました。…私一人が浮いている文章でしたね…
これで一通り、高校の事は書いたつもり。
特に書く事も考えていないんだよね、いつも。
今年の大学祭の環境対策は、DRPは不採用。今の所、エコ容器であるリリパックと、ゴミゼロナビゲーション(ゴミ分別案内人)を計画中です。
リリパックは容器の値段としては一般の使い捨て容器と同じかそれ以下程(発注量に依る)、何より環境に優しいからというのを前面に押し出して紹介したのですが、希望団体は70団体中17ほど…少ないですね。環境の事は考えていないのでしょうか、とサークル内ではそんな話も出てました。
多くの団体は、「わからないから」というのが一番の理由らしいのです。私もそう思います。何がわからないのでしょうか。分からない?解らない?判らない?
今まで通りが良い、という考え方。それも確かに楽ですね。でも、惰性。面倒くさいから。確かに何も考えない方が、楽ですね。環境の事より自分らの出し物の方が心配。リリパックを回収したりするのは面倒だし。お客に説明するのも面倒。システムが解らない(注:会議にて、普通の使い捨て容器と使用法は同じと説明した筈…)。そんなシステム理解するより食べ物の作り方を覚えなければ。
まぁ多分こんな風な理由が本音ではないでしょうか。基本的にこんなものなのですよ。大学生って。私は今日はあえて、環境対策計画員であるにも拘らず環境対策批判をしてみようと思う。まぁ、多分怒られるかも知れない…
実際、本当にリリパックにする事が環境に良いのかが判りません。環境に良い良いで推してるけど、本当に良いの?此間東京大学五月祭の環境対策を見学しに行ったのだけど、そこで行われている対策に、私はちょっと疑問を抱きました。確かに凄いのです。きちんと計画されているし、報告書の質、量共に非常に良いものでした。ちょっとした研究のようなものです。まぁ…それは公式サイトにでも載っているでしょう。私が疑問に感じたのは、私たちがやっている事は本当に環境に良いのか、という一点です。
環境に良い、悪いを判定するのには、様々な要因が必要で、すぐには答えが出ませんし、後々変わってきたりするかも知れません。LCAという方法があるのだけれど…どうなのでしょうね。
私たちは、環境対策を導入しようと色々頑張っているわけですが、普通の人は、特にあまりそんな事考えていないのでしょうね。(ノリで)広報?としてサークルに説明に行って交渉しようかという話にもなったのだけど、それも如何なものか。…大学帰りに、キリスト教の会?の人に、聖書について訊かれた。しつこかったので、「興味ないです」と言って振り切ってしまったのですが、…彼らにしてみれば、宗教は大切な教えであり、広めるべきものなのでしょう…。なんか、私たちのやっている環境も、普通の人から見れば同じなのかなぁと、思ってしまった。…環境って、宗教?そうは考えたくないな。どうなんでしょう…
そういや、昨日書こうと思ってたものがあった。
サークルの飲み会には十分御注意!!…サークルとは名ばかりのああいう集団が、各大学にはいます(断言)。バカじゃないの?ボクはそういう集団を知っている…ていうか彼らは大学生ではないです。早大には友人が何人か通ってるけど、どう思っているのだろうな…ところで退学処分と放学処分て、どっちが重いのだろうか? ん?でも放学にすると、大学は無責任過ぎるか…まぁ彼らには長い間獄中生活を送ってもらいたいものです。
受験生に大学選びのアドバイスを書いて下さいと言われたので、それをここにも書きます。
まずは、自分が何をしたいのかを知る事。何が好きなのかを知る事。大学を知る前に、自分自身を知る事が大切。大学によって、教育には特に大差は無いと思う。というか、大学の講義を憧れに思っている方は、凄くがっかりすると思う。塾などの、受動的学習に慣れきってしまった方、大学合格の為だけに勉強している方は、恐らくやる気を無くすでしょう。自分で何とかするしかありません。ただしごく稀に、大変素晴らしい講義も存在します。実際その大学に入って何が出来るのか、を考えて選ぶと良いでしょう。入っても勉強するだけ、ではなんともつまらないものです。別に勉学だけではなく、部活動が盛ん、とか、大学間で色々な、例えば環境や福祉などの活動が出来るところは良い大学であると思います。
高校生の皆さんは、大学に何を求めていますか?何がしたくて大学に行くのですか?行く必要があるの?行かねばならないの?そもそも自分は何をしたいのですか?…答えが出るまで自問自答し続けて苦しむのも良いとボクは思います。
重罪を犯す大学生らを見てどう思うのですかね?そしてこんなボクの事をどう思います?堅苦しいの?真面目…?少なくとも真面目な人ではないね。そんな人はこんなサイトを作らない…。
またもや尊敬する方から、メールを頂きました。引用しちゃマズイかな?
最近色々あり過ぎ…自分の心に影響を与える要因が。とりあえず、今日あった事。
本日は合気会の合同稽古に行って参りました。ボクの大学の合気道部だけではなく、県内のいくつかの道場とも合同で、館長先生に直々に合気道を教わるのです。
こういう稽古の時は、まずおじいさんを取りに行きます。取りにいくというのは、合気道は相手と組んで稽古を行うので、その相手を取りに行くという事です。簡単に言えば、合気道は稽古を積めば積む程、強くなれる武道です。基本的に指導者の年齢が高いのもその為です。そういったおじいさんおばあさんらには、若さでは決して勝てません。力ある男子でも、簡単に制されてしまいます。…そういうおじいさんに、色々と教えてもらえる稽古なのです…
これはよくある事なのですが、道場が違うと同じ流派でも技か多少変わってきます。教える先生に依るのでしょうね。微妙に違うから、あれ?って思う事もしばしば…稽古が単なる馴れ合い、形骸化している人ほど、こういう感覚に陥るのかもね。ボクは思う存分出来て満足だったけど。
そして、館長先生からお話がありました。
合気道は、相手の力を利用して技をかける守りの武道だ、と知らない人には言われるが、そうではない。対峙した時から既に勝負なのだ。
そうなんよ。先に動いたほうが負けるって分るんだよね。多分。…この域までいくと、「相手と一体となる」という状態になってくるから、ボクにはまだ分からないんだけど。
ほかにも色々話されていた事はあったのですが、私が(それに関連して)自分の考えを練りまくっていた為、あまり記憶に残っていないという事実…(ぉぃ。しかも、その時はかなり何かを悟っていたかのような感覚に陥っていたのですが、今現在さっぱり覚えていません(ぇ!。…まぁそのうち思い出したらすぐさまメモっておく事にします…最近レコーダーを持っていこうかなと思ってる(ぉぃ。
本当に一番今気になっている事、今一番悩んでいる事はまた別にあるのですが…それはいつか書くかもね。最近そのせいでかなりムネがイタイです…
最近日記を書くのはいつも就寝前の数分間。何か今日は日記を書きまくりたかった。だから書いた。惰性で書いている訳ではないんよ。
…先輩方は何を何処まで知っているのだろう。先輩だけじゃないね。周りの人みんな、恐い。自分の事どう思っているんだろ。
自分は…最近人を避けていると思う。精神的な距離で。…授業では確かに一緒にいる。でも、それ以上の会話にならないよね。勉強だけ。
授業中、なんだか胸が締め付けられるというか、久しくて、懐かしくて、切ない感覚を覚えた。…誰か、の言う通り、深呼吸すると落ち着く。
(中略)
昔と同じだよ、これじゃ。何も変わっちゃいないんだ。何かを変えなきゃいけないんだ。自分の中で。
…皆不自然に見えてくる…。実は皆、私が考えている事を知っているんじゃないの?知らないのは私だけ?私は皆に騙されているの?世界はそういう風に出来ているの?皆、私が何かしようとする事とか、既に知っているの?
世界が偽りに見えてくる…。何もかも偽り。でも何処までが偽り?私の周りが偽りの世界?私も偽り?私も、実はこんな事していない、実は日記なんて書いてない、という事はありうるの?過去の記憶が偽りである、という事は容易に想像できるけど、今の私が、私の行動が、私の何かが、偽りであるって何なのだろう?自分に嘘をつく、という事?そんな事ではない気がする。この日記を書いていると思い込んでいるだけに過ぎないという事?それすらも考えていると思い込んでいるんでしょ?無限に超越して言えてしまう…。こういう場合って、やはり論理的にありえないといえてしまうのだろうか。論理まで疑ったらどうしようもないけど。そこまではいかない。
(中略)
何故こういう事になってしまうの?私がおかしいから?何がおかしいの?世界が?どうしたらいいの?教えてよ…