2004年6月

6月1日(火)

こんばんは。もう六月ですね。早いものです。予想通り、どうにもなっていません。日常が止まっている感じです。いえ、動きそうな感じもするんだけど、凄く重い感じもするんよ。

なんかね、自分の中で何かが澱んでる感じがする。まぁ原因の大体の予想はつくけど、どうにも出来ない感じがする。今の自分では。ある人と深い話をしたけど、本当は私の方が良く解らなくなってる。私にはっきりした気持ちがあると言うのは本当か?実際私は周りの想像以上にかなりダメ人間で、本当は一番やばいんだけど、そんなことは知ってるんだろうか。

ああ今日もまたこんな調子で日記が始まるのね。

いや、やっぱもう終わり。


6月2日(水)

昨日に引続き更新。もうちょっと頻繁に更新したいと思ってますが、三日坊主になるかもね。そんなに長文は書かないつもりです。

知識工学という授業を今日は受けてました。この学問は私の進む情報の分野の一つだと思います。工学と名前がついていますが、内容はどちらかといえば哲学、論理学、言語学、心理学などです。情報科学は(世間一般的な)工学的なことだけを学んでいてもやっていけないと思います。C++言語やJava言語を扱える人はいるでしょうけど、オブジェクト指向について理解している人は果たしてどれほどいるものか。

知識工学の授業中に、意味があるとはていうのが出てきました。見かけは重要ではないものの、それより重要なものとの関係(ブルームフィールド)。どういうものかというと、意味の無いように聞こえる言葉(つまり外延的には無意味に見える)も、受け手にとって価値があるものであれば、その言葉は意味を持つ(内包的な意味がある)という。…まだ解りにくいので、例えば、ん〜って言ったとする。この言葉自体には意味なんて無い様だけど、発話者が何だか難しそうな顔をしていれば、それは思考しているという事を意味しているよね…あー違うか…これヴィトゲンシュタインの言語ゲームの方だっけ…?

何ていうか、何でこれを取り上げたかというと、最近私が意味の無いように感じてた陳腐な言葉も、その受け手にとって価値があるように思えるなら、その思った時点で意味が生まれるんじゃないかと思いました。ある人と、言葉の意味とか、そのことについて2月くらいに話したことがあるんだけど、なんだか今日思いがけなく思い出されました。

実際私はただ綺麗な言葉が意味を持っているようには思ってませんし、これからもそうだと思います。でもそれは言葉や発話者が悪いんじゃなくて、私の問題なんだなと、今改めて思いました。そんなわけで、私は感動させるような言葉を使うのに抵抗があります。無意味な感じがしてしまうから。だけど、意味があるか無いかも、感動するかしないかも、その人間に依るんだろうと思います。勿論聞き手には、その発話者自身も入るよね。自分でも同時に聞いたりできるから。

何だか、部の同期がとても重要な鍵を握っている他者達なのではないかと、今現在感じている…人が本当に考えていることはわからない。人の心が分からない。そこまで行きました。少なくとも、一歩踏み込んだ証拠だと思います。…私にそれを解明する技量はあるんだろうか…


6月3日(木)

何とか三日坊主は避けたいです。とはいっても書く事も無いんだけど。何も浮かんでこないし、何か書きたいわけでもない。こうしてうだうだどうでもいい事を書いてるだけ。今日は珍しく昼寝をしたんだけど、その時の夢がやたら意味深で、気になってます。明日は暑くなりそう。


6月4日(金)

本当に卒業できるのか?と思います。いえ、工学部の授業にあまり興味が持てなく…情報系は興味あるんですが、画像学とかは…で、実は流離い人は卒業要件の単位取得数が他の人より少ないのです…。何故情報学科なのに、画像化学とか写真工学が卒業要件に認められ、言語学や論理学などが認められないのだろう…やはり誤った学科統合なのだと思ってしまいます。

まぁ実のところ、ボクのいる学科はもう先が長くありません。名目だけの学科統合の歪みがもう限界まで来てるんだと思います。情報学科には文学部との学際的な交流が必要だと思いますが…。きっとそうはならないんだろうなぁ。

オブジェクト指向への招待を読みました。割と最初は解り易いと思います。工学の本ですが、やっぱり哲学者ヴィトゲンシュタインとか出てきます…情報科学は哲学、言語学、論理学も柱としてるんだよ。

最近、ある特定のプログラミング言語を覚えても、そのメタ的な物事の考え方が出来なきゃ情報はやっていけないのではないかと思った。…まぁJava言語を殆ど覚えてない事に対しての言い訳っすよ。


6月6日(日)

やっぱり一日空いた…。そんなにネタがあるわけじゃないしね。無理に書くもんでもないでしょう。

さて、最近Mozilla系や、Nvuなどに興味を持ち始めてきました。前々から使ったりしてきましたけど、今回はそのプログラム・コードに対して、という意味です。まだあまりソースコードを見て回ってるわけじゃないんだけど、結構参考になったりする部分があるんじゃないかなって思ってます。今のところ考えてるのは、JavaScriptを使い、LINK要素を用いてサイトナビゲーションを作り出す汎用スクリプトを手始めに作ってみようかなと。IEの殆どは、このナビ機能を使えないし、Mozilla,Operaでも、インターフェイスはサイト側で全く指定できないので、そのあたり閲覧者スタイルとの兼ね合いを調節して考えてみます。

六月号の文藝春秋の、畑村洋太郎先生と甲野善紀先生との対談、失敗学と古武術を読んで、安全とか便利さにばかり気を取られ、どんどん危険や不便を取り除いていくと、人の元々持っている生きる力、解決する力をダメにしていくんではないかと、ちょっと考えさせられた。

このサイトでもアクセスキーを採用したり、アクセシビリティに考慮したサイトをつくろうとはしていますが、やり方を間違えれば、良くない効果が起きてしまうのかもとも思っています。そのときに思ったんだけど、Flashとかで自動ナビゲーションをつけたり、選ばなくても勝手にページが進んでいったりするのは、一見便利な機能に見えて、実は人の力を失わせている類のものではないかと思った。それに対してアクセスキーは、自らキーを押さねばならないが、ユーザに対するインターフェイス(キーを選び、押す)は統一されている(勿論それぞれのサイトを訪れてもパソコンのキーボードは変わらないでしょ?)し、アクセスキーを選択するっていうこと自体が、適度な不便なんではないかと思った。何でもかんでも操作を無くせば良いというもんではないんだと思う。見習い技術者としてこの辺り心に留めておくべきだなと思いました。

…とはいっても、アクセスキーはキーとなっている文字がまだサイトによってばらばらなんですよね。指針とかあるのでしょうか?W3CのHTML仕様書には書いてないような…


6月16日(水)

更新できませんでした。何回か更新しようとしたんだけど、途中で止めました。書いていて気に入りませんでした。どうでもいい事しか出てきませんでした。最近かなり迷走していると思います。よく分かりません。何だか凄く居付いている感じがする。存在が。

こないだ部活で副将と組太刀を行なってみたんだけど、メタメタにやられました。以前から敵わなかったけど、更に差が開いていました。既に構えの時点で、中心を取られている、気圧されてる。自分の気が抜けてたんだな。前より更に悪くなった。ぼろぼろです。

とにかく、何だか自分のいる世界が固まってきている感じがする、悪い意味で。解決する方法が判らない。何かをつかめていない感じがする。その何か、がどこにあるかも分からんのですよ。自分の中にあるのか、人との関係の中にあるのか、誰かとの中にあるのか。この世界の外側にあるような感じがする。どういう感じかというと、例えるなら鏡の中のリンゴを取るような感じです。あるんだけど、つかめない、みたいな。いや、見えてるだけそっちの方が楽か。

バイトを辞める事にしました。3年になってから考え始めたんだけど、やはり忙しいのが理由です。でも、それだけじゃない気がする。少しでも、自分のいるこの環境を変化させたかったのかもしれません。突然言ってしまったし。来月くらいまでかな。2年間、お世話になりました。居心地の良い、人らしいお店だった。

これから実験レポートかぁ、もう嫌だ。


6月21日(月)

早いもので、もう来週は7月ですね。最近は随分深みにはまってました。よく分からなくなってました。バイトも辞める事にした。部活でも、体が堅い。…そして誰かには、こんなメールも送ってしまった。

…っていう人にメールを送っているんだけど、本当は、そんな人はいないかもしれないね。いたとしても、実は送っている相手はその人じゃないかもしれないね。何だか色々聞いてくれたり、教えてくれたりするけれど、実は偽りかもしれないね。そういう振りをしているのかもしれないね。何かを知っているのかもしれないし、教えてくれないのかもしれないね。

アホだな、自分。返事が返ってきてから気づいたんだけど。自分は誰かに甘えてたんだな。自信が無かった。力も無かった。

なんだかはっきりとした。どんどん落ちている感じがしてて、底が見えなくて、いつ向上していくのか分からなかったけど、何のことはない、自分で浮かび上がればいいんだな。海に潜って、浮かび上がるようにね。これは何かこれこれこういう理論によってていうものではなくて、何とも説明のしようの無いものだな。ただ浮上するんだって。

またいつか、より深く潜るときがあると思う。浮かんで来れなくなるぎりぎりまで。潜らねば何かをつかめない気がする。心の奥底の何か。こういう風にして、心のハード層をゆるめていくんだろうか。


6月22日(火)

身辺整理と環境の再構築

ちゃんと授業起きて、勉強した。情報理論は大丈夫そうだった。今までの自分の環境のマイナス要因を、いくつか削って、リソースを他にまわせるようにした。

一つ、授業を切りました。切るというのは、修得を止めるということです。もともと興味も無かったし、時間も勿体無かった。話なんか聞いてないから。他の授業の為に、止めるべき科目だった。

そして、環境サークルを退会しました。別に、年会費が必要なわけでもなく、定例会に出席しなければならないわけでもなく、何かをしなければいけないわけでも無いので、別に名前があろうと無かろうとあまり関係の無いことなのですが、はっきり、辞めました。もう半年くらいまともに行かなかったしね。大学に入って最初に入ったサークルだけどさ。

環境に興味がなくなったわけではなく、なんだろう、環境活動自体に疑問を感じてきたというか、…多分去年の6月頃からだと思います。所詮は自己満足なのではないかと感じてから、進みにくくなりました。ただ自分達だけでひっそり活動して、自己満足を覚えるとかではなくて、人々にアピールしたり、考えさせていくようなこと自体に何か引っかかるものを感じるのです。水汲みに例えるなら、前者は一人せっせと働いている人、後者は、もっと人々に働きかけて、みんなで仕事を少しずつ分担しようという人。でも実は両方とも、仕事に汗を流しているんだけど、バケツに穴が開いてたり、水を汲んでいるように思ってるんだけど本当はその場でかき混ぜてるだけ、っていう感じもするんだね。確かに仕事の達成感は素晴らしい。でも一体何の仕事をしたんでしょう?

決して、堕落してるから次々辞めてるのではなくて、もう一度作り直すためです。自分の合気道の術理だと思っていた基盤や、どうでもいい小手先なんかも壊して、より感覚や意識を向上させていきたいです。