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「こんなすごいピッチャーがいるとは知らなかった。」 (社会人野球の名監督、松永怜一、 昭和63年6月都市対抗野球和歌山地区予選観戦後に)

「野茂さんは凄い、野茂さんがいたから僕らが今あるんだ」「ボクにはあんなまねは出来ない」 (石井投手)

「(野茂の存在は)めちゃくちゃでかいですよ。途中でマイナー契約もあったけど、はい上がってくる。 現役の野球選手で唯一尊敬していますね。僕がこうやって野球をやれているのも、野茂のおかげなんですよ。 96年に左手首の手術を米国で受けられたのも彼の力。野茂がくれた野球人生ですね。」 (横浜、石井浩郎、 2002年3月27日付朝日新聞夕刊)

「僕のものさしでは測れない。すごすぎる。」 (ロッテ、伊良部秀喜、最初のノーヒットノーランのときに、 平成8年9月19日報知新聞)

「野茂は世界の中で一番野球界に貢献した功労者だ。」 (ソウル五輪で野茂をコーチした法大山中正竹監督、野茂胴上げ投手に、 平成7年10月2日日刊スポーツ)

「野茂は、野球に対してはものすごく純粋なんです。 もう、そのへんの子供と一緒。 よく言えば、僕らが変にスレてしまって、忘れ去ってしまったものを、 ずっと大切に持ちつづけている。」 (佐々木修、野茂英雄、二宮清純との対談で、Number 362号)

「野茂は高校時代からやられたところには、 必ずやりかえしていたんですよ。」 (宮崎彰夫、野茂の大阪・成城工高野球部時代の監督、最初のノーヒットノーラン、 平成8年9月19日サンケイスポーツ)

「野茂クンってなんかボーッとしているように見えるじゃない。 でも、黒目がこう、パパパッと上を向くときがある。 そのときの頭は通常の五倍、十倍というすごい速さで回転していることを、 おれは発見した。」 (江夏豊、二宮清純との対談で、週間朝日1995年6月30日号)

「ぎりぎりのところで、まるで計算したようにやりよる。」 (仰木監督、平成2年8月24日対オリックス戦、 最後の二人を三振にとり五試合連続ふた桁奪三振の日本新記録達成)

「野茂は球界の宝だ。」 (村山実)

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