NOMO

―「彼は本物のプロ。私たちはみな彼を尊敬していた」―
(ブルワーズのスタッフ、毎日新聞 2003年4月21日)

野茂はダントツで、新庄は尊敬するけどいまはなりたくは無い大人で、イチローは人の子らしいですが、若者の 目指すべき形のようなきがするのですが、どうでしょう。中田は一人でしょっててそれを自覚しちゃったりして てイチローとは違うように見えます。(まっちゃん、30歳、2003年6月25日)


このコーナーがなかなか充実させられないので、 不本意ながら暫定的にジャックします。


1995年8月5日、ドジャース野茂英雄投手はジャイアンツ戦に先発し、 被安打1 与四球3 奪三振11 で完封勝利。 惜しかったんです。翌日の日刊スポーツによれば、

「7回2死一塁、クレイトンを迎えた場面。カウント2−2と追い込んだあと 高めに浮いたこの日92球目のフォークを三遊間に転がされた。 一塁走者カレーオンが単独盗塁気味にスタートを切ったことから、 ショートのオファーマンが二塁方向にステップした逆を突かれた。 今年球宴にも出場したオファーマンは逆シングルで捕球したまま ノーステップで一塁に送球したが、 走者の足が速かった。」

ジャイアンツのダスティ・ベーカー監督は 「あそこでランナーが二塁に走っていなかったら、 ノモはノーヒットノーランをやっていただろう。 なぜもっと走らないかって?だって塁に出られないじゃないか!」

一塁走者のカレーオンは外野の控え選手で、前日に足を怪我していて、 しかももともとどちらかといえば鈍足らしいのに。 いろいろ言うのはかっこ悪いと分かっていてもファンとしてはいろいろあって。 ショートのオファーマンもその時点で24失策とナ・リーグの失策王で、 なにかとあったんです。もし上手に?ファンブルしていればエラーがついて...?

でも、記憶はすこし怪しいのだけれども、ピアザ捕手がこの時、 「心配するな。野茂はこれから何回もノーヒットノーランやるだろう」 と。これは本当にすごい。見る目の確かさとはこのことです。


ドジャース時代のラソーダ監督が野茂を 高く評価していたのは有名ですが、 フィル・ガーナー監督はもっとうわてですね。 1999年メッツを解雇されその後もドタバタがあって、 結局ブリューワーズに入団したときの監督です。

「野茂には、マウンドに上がるたびに感心させられるんだ。 個人的にもね。マウンド上の外科医みたいだよ。すごく冷静で落ち着いているよ。」

「今日の野茂はこれまでの投球の中で最高とは言えない、 しかし2回以降はよく頑張り、相手打者を次々に切ってとった。 非常に冷静で巧みな投球だった。彼のピッチングは見れば見るほど感銘を受ける」 「野茂が少し疲れている、と言ったから交代させたんだ。 ファンが野茂を見たいのはわかるし、オレへのブーイングも仕方ないけど、 そのへんはわかってほしいね」

次なんかはなんだか監督というより、単なる野茂ファンという感じです。 この監督、野茂投手を代走に起用したことだってあるんです。

「野茂が歩いたグラウンドをキスして回るよ。すごい仕事をしてくれた。 ガッツ溢れるパフォーマンスだ。何か、こうやろうと決めたら、 必ずやり遂げてしまう男だ」

この年ブリューワーズは野茂投手と最低年俸に近い金額で契約していて、 野茂投手があまり活躍すると(金額的な問題で) 放出せざるを得ないという事情がありました。 シーズン途中から野茂投手のトレード話は絶えなかったのです。 もちろんガーナー監督はことあるごとに、 「野茂は出したくない」と言っていました。 一度野茂投手があまりいいピッチングをできなかったときなどは こんなことを。 ここまでくると野茂投手の恋人みたいです:

「これだけ打たれれば、どこも野茂を欲しがらないだろう?」

実際は、ガーナー監督がシーズン途中でクビになってしましましたが。 でもガーナー監督、次の年はタイガースの監督に就任し、

「ヒデオは是非獲得したいと思っている。 今、オーナーとGMに掛け合っているところだ。」

といって野茂投手を獲得、開幕投手にしてしまったのだから、 恋も成就哉。


野茂投手は大リーグで1000奪三振を達成しています。 登板147試合目での達成というのは、 クレメンス、グッデンに次いで大リーグ史上3番目の記録で、 ランディ・ジョンソンを上回っています。 500奪三振については大リーグの最速記録です。ちなみに、 日本において投球回数871回で1000奪三振というのも 最速記録です。

平均奪三振率も現役投手ではランディ・ジョンソンに次ぐ 2番目の数字だと一時言っていましたが、 現在はどうでしょう。1995年に達成した7連勝というのも、 当時はリーグ記録タイだったと思います。

日本のプロ野球におけるふた桁奪三振試合の回数の記録は、 第一位 金田正一 103試合、第二位 野茂英雄 70試合となっていますが、 金田投手は実働20年、野茂投手は実働5年ですから比較になりません。

1989年 ドラフトで当時史上最多の8球団から指名を受け近鉄に入団。 1990年三試合目の登板で17奪三振(デーゲームでは最多記録) の当時リーグタイ記録で初勝利しパ・リーグ連盟表彰を受け、 結局このシーズン、 最多勝、防御率、勝率、奪三振王、沢村賞、MVP、新人王、 ベストナイン(パ・リーグ)のタイトルを総なめ。 その後4年連続最多勝かつ奪三振王。 こんなピッチャーが大リーグに行く時にその活躍に「否定的見解」を あらわした人たちがいたことはいまだ解せません。

ちなみに野茂投手は、1994年7月1日の西武戦で1試合16与四球の日本新記録。 ところがこの試合、野茂投手は西武打線を散発5安打で3失点に抑え完投勝ち。 うんうん(いろいろ論議のある試合だったようですが)。


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