2003年になりました。あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
多少案内を変更し、またXHTMLを使ってみました。上手く表示されない場合は御連絡下さい。
31日大晦日から今日まで祖父母の家に行っておりました。毎年夏冬の行事だったのです。自分はかなり長い間行ってないな〜と家族と話してたのですが、今日記を読み返して見ると、最後に行ったのは2000年の夏でした…(家族は去年の夏に行った)。一昨年は受験期で行けませんし、去年の夏は合気道の合宿で行けませんでした…久しぶりだと感じるのは当たり前です。御祖父さんと話すのが少しぎこちなく感じたのもそのせいでしょうか…(ぇ
今日お昼に手作り蕎麦を打ちました。そば粉から作るのです。おばあさんが何処かの蕎麦屋さんの人に教えてもらったのだそうです。ボクも妹と手伝いました。蕎麦粉にうどん粉を混ぜ、水を混ぜつつこねていくのです。続いて蕎麦を伸ばしていきます。四角く伸ばすにはコツがあって、麺棒(麺を伸ばす棒)で縦に巻きつけ伸ばしたら、横に広げ、続いてまた縦に捲きつけ伸ばし、横に広げを繰り返すと四角くなってくるのです。伸ばしたら適当な大きさに折り、包丁で切ります。ボクは見た事がない刃の包丁でした。恐らく蕎麦包丁という物です。普通に切ってたらおばあさんに、「太い」って言われました…ボクは料理はからっきしです…
さて、食べる時を迎え、自分と妹の作った蕎麦ざるを持ってくると…確かに太い。うどんっぽい(ぉぃ。でも食べたらおいしかったです。ちゃんとゆで上がってましたし。ただ、ほぐれてなかったのがダメでした。打ち粉が足らなかったのでしょう…
その後も蕎麦つゆを飲んだり、蕎麦かきという物を食べたりしました。どちらも自分は初めてです。蕎麦つゆは蕎麦を茹でたあとの残り湯です。味があまり無いので麺つゆと混ぜて飲みます。蕎麦かけは蕎麦粉にお湯を少量混ぜて一気に箸で練り上げた食べ物です。おじいさんが作ってくれました。砂糖醤油に浸けて食べるとかなりおいしい。お手軽です。
一月二日は書初めなどをやりますが、まさか初蕎麦打ちをやるとは思いませんでした。色々な初体験をさせて頂きました。
これらの料理は昔からあって、うちの親は知っているのです。だのに自分が初めて今日知るという事に、不思議な感覚を覚えました。
何か今日は料理だけで終わってしまいそうですが、まだまだ祖父母家篇(?)は続きます。
3日から親戚の家に行くので…宿題全く出来ませんね。ヤバイですかなり。ハイ。
やっと帰ってきました。一番下のいとこ(2歳)も大きくなって…
うちの包丁は祖父に研いでもらっています。うちには上手く包丁を研げる者がいないからです…というより祖父は研ぐのが上手いのです。
祖父が言うには、「大学教授はどうやったら研ぐ事が出来るか、研ぐとはどういった理論かは解っているが、実際研げないのだ。」との事らしい。炉の使い方など、他の工学技術もそうだと。…なるほど、そうかもしれない。また、どんなに機械が発達しても熟練の人間の最後の一研ぎには敵わないのだそうです。顕微鏡で見てみると非常に鋭くなっているとの事。機械がやるとその刃には極小さなギザギザが出来てしまうそうです。研ぎ石も平らでないと刃が丸くなってしまう。だからうちで研いでもダメなのだ、今度は研ぎ石も持って来いと…
ボクも包丁研ぎを習っておこうと思ったのですが、残念ながら(?)終わってしまいました。
当時の学生たちは、真空管、基盤などを大学から拝借してラジオを作っていたそうです。町の人々からラジオを作ってくれと依頼されていたらしいです。当時は何も無かった時代ですから、ラジオはもてはやされたみたいです。ラジオの外箱は何処かから買って来た木箱で作ったそうですが、中身がどの学生もほぼ同じですので、外箱を自分なりにアレンジしていたのだそうです。…お金かかってないなぁ。
とまぁ思いがけなく色々と工学系の話を聞く事が出来ました。そして、初めて祖父が工学技術者である事を知りました(ぉぃ。
うちの父も工学の技術者です(サラリーマンだけど)。母、祖母は先生、父、祖父は技術者、果たしてボクは一体何になるのでしょうか?あいだとって工学教授?(爆
はてさて大学が再開いたしました。しかしながら冬休み中に課題を全て解く事はできませんでした。故に水曜、木曜は徹夜…実はボクは今までに徹夜というものをした事がないのです。かなり稀な人間かもしれません。やってみるのもやはり勉強になるのだろう、と自分を納得させて徹夜をしました。
徹夜など今までのボクからすれば、はっきり言って非日常的です。非常識です。よろしくない行為です。しかしながら今現在、かつて非常識的だと思っていた事などを、さも当然の事のようにこなしています。徹夜カラオケなど、そもそもやるべきではないと考えていました。
私たちの住んでいる世界において、非常識的である事と常識的である事、非日常的である事と日常的である事との境はどのように決められているのでしょうか。
私が思うに、これらの境を作っているのは各々の主体であるのではないか?その決められた境は他人には見えない。そもそもそんなものは存在しない。これが常識だ、とか、あたりまえ、などというのは、たまたまそういう人間が多かったからではないか。
謎は尽きない。
水曜日、なんだか授業を出るという気分ではなかったので、授業には行かずに大学構内を見て廻ろうと考えました。ボクはこの大学に来てもうすぐ一年経つけれど、いまだに良くわからない場所、行ったことのない校舎などが数多く存在する。以前に自分の大学キャンパスの地図を書いたとき(大学日記参照)にそう感じていたので、いつか時間があったら気ままに散策してみたいと考えていたのです。
そういった考えもあったのですが、ボクはいざサボろうと心に決めたときに、また違った、何か悪い事をしているとも感じられる感覚も、意図せず味わう事が出来たのです。何故に人にはこのような感覚が生まれるのでしょうか。背徳的行為において感じられる感覚の所以は?とにかくも私はこんなちっさい悪によってそのような感覚を得ました。これは何故か私にとって興味深い事です。ちなみに、他の人は「意味がわからない、つまらない」と言ってましたが、三島由紀夫著の金閣寺に私は少し興味を感じました。別に金閣寺を燃やすとかそういった悪の行為に興味を持ったわけではなく、私にとっては、あの作品の中にあった「事実」が全く別の「事実」であったとしても、私は興味を感じたと思います。
話がそれましたが、あまり人のいないキャンパスを一人徒然に歩いていくと、知っているはずの道も不思議と初めて訪れた場所のようにすら感じられます。
もちろん行った事のない建物の中に入ったり、通った事のない道を歩いたりもしました。そして普段気にもかけない、校舎の端にある葉の落ちた木を見たとき悟りました。
自分は普段、頭の中の、現実を模倣し縮小して自分の認識世界の内部に収まるようにした現実世界を見ているに過ぎなかったのだ。見えるものをありのままに見ているのではないのだ。
その発見は自分に新鮮な感覚を与えました。それから通ったこともない裏口から、大学の周りを廻っても見ました。友人の家はここからも行けるのかと、どんどん地図は繋がっていく。
結論として、ボクはあの日授業をボイコットした事で、色々学ぶ事ができたのだ。授業に真面目に出続ける事が、「学ぶ」と言う事ではない事を、今学生である人々や、これから大学に入ろうとして頑張っている人々にも伝えておきたい。
長くなりましたね。祖父母家篇や金閣寺の哲学レポートなどもまだまだ紹介したかったのですが、また今度に致します。
さて、明後日は大学入試センター試験です。これを見ている受験生はまさかいないとは思いますが、こんなもの見ているくらいなら精神を集中させておいた方が良いです(ぉぃ。どちらかと言うとこのサイトは揺さぶりをかける類のものでしょう…皆様頑張って下さいまし。
ボクは実は少し哲学者にもなりたいのであります(ぉぃ。今受けている授業は、この大学に入ってよかった、と思えるほどに素晴らしい授業です。とはいっても哲学のさわりを教えているに過ぎないのだろうけど、ボクには大変興味深いです。「翔太と猫のインサイトの夏休み」(永井均著)
を教科書に、哲学とは何なのかを読み進めていきます。
自分に哲学が出来るかなあと考える事は多々あります。哲学とは何か解っていない未熟な子供の単なる憧れであるのかもしれません。
このサイト、徒然日記を読み返してみても大した事は載っていません。敢えて哲学的であると言えるのは、「私は嘘つきです」くらいですね。他はダメ。単なる思想家の戯言に過ぎないのですよ。思想しか出て来ないようでは哲学なんぞ出来るものではない。思想家は哲学の死んだ姿とも言われるようです。本当かどうかは判りませんが。
しかしながら、ある考えが浮かんでおりますので、もしかしたらそれをここで書くかもしれません。
これより試験期間となりますので、暫く更新しません。その間に少し考えて頂きたいものがあります。
「私は今ウソをついている。」
これは真であるか、偽であるか、理由も付けて説明が可能であるかという問題です。ウソをついている、というのは現在進行形です。「今ウソをついた」、とは違います。さて、いかなる現象がおきるのか?
明日はセンター試験準備のため大学が休みであるので、みんなで映画「AIKI」を観に行ってきます。