一言で「熱処理」と言っても、その内容は多岐に渡り、どれが適切な処理方法なのか迷ってしまう場面は多くあるでしょう。このあたりの判断はやはり知識の豊富さが必要になってくると同時に「慣れ」も重要かと思います。様々な熱処理に関って経験を積むと、製造工程に熱処理を含む場合に、どのような工程設計をすれば良いかが見えてくるようになります。このサイト内を行ったり来たりしても、‘経験’は身に付きません。工場内で「よく壊れる部分」「摩耗が早い工具」「腐食でやられる部品」「精度面で困っている加工」などのトラブルに対して積極的に関り、熱処理で解決できないかを探りながら慣れていって下さい。自分が直接的に熱処理を行うのではなくても「このような処理をしたら結果が良かった」「この処理方法では効果が少なかった」などの結果を体験することは大きな意味のあるコトです。
ここから各種熱処理内容とそれを示す熱処理記号が出てきますが、記号の最初にはいずれも‘H’が付いています。これは‘heat treatment’を示す記号で、場合によっては省略されます。例えば「焼なまし済みのS45C」だったら「S45CのHA材」とはなるところを、単に「S45CのA」とも言い表せます。
手順としては「鋼を加熱して空冷する」ということになります。もっと細かく言い表せば「鋼を均一オーステナイト化して自然放冷する」ということになりますが、製品サイズが大きくなると空冷では冷却速度が遅くなり、焼なましのようになってしまうので、大型部品では強制空冷や噴霧冷却、場合によっては液冷が必要になってきます。焼入れのように硬くなるのではなく、処理品の冷え方がゆっくりなため焼なましに似ている印象がありますが、焼なましが軟化を主目的とするのに対し、焼ならしは鋼を“標準状態”にすることを目的としています。適度に硬く、適度に粘るという鋼本来の性能を得られる処理です。焼なまし組織に比べて結晶粒が細かく、機械的性質が良好です。とは言っても調質 (焼入焼戻し) によって得られるソルバイト組織ほど機械的性質が高くないので、焼入れ硬化能の小さな低炭素鋼から中炭素鋼に適用されます。
他にも‘軟らかすぎない適度な硬さ’の利用例があります。低炭素鋼を焼なましすると軟化が進み、塑性加工をするにはいいのですが、切削加工では軟らかすぎて加工面がむしれてしまうことがあります。銅合金やステンレス鋼など、軟らかいとされる金属材料を削ってみると解りますが、刃先が食い込むような感覚で加工が進み、ツヤのない、ザラザラした感じの切削面が現れたりします。鋼でも同様に軟らかすぎると切削面が悪くなるのですが、焼ならしによって適度な硬さを与えると、むしれが軽減されて切削面粗さを改善することができます。
また鍛造品や鋳造品のように、組織のバラつきや結晶粒の粗大化が現れやすい製品の均質化や内部応力軽減にも適用されます。鍛造品では、塑性加工された温度によってサイズの大きく異なる結晶粒が混在する状態になり、性能が不均一ですが、焼ならしによって均質化が図られ、接触部品であれば結晶粒微細化作用によって耐摩耗性が向上したり、組織のバラつきによる部分的な弱さが改善されます。鋳造品では偏析を改善するため拡散焼なましを行うモノがあるのですが、高温処理である拡散焼なましで粗大化した結晶粒を整えるために焼ならしをする、といった適用がされたりもします。また鋳造品には大型の製品となるものも多いのですが、製品サイズが大きいと炭素量が高くても質量効果が大きく、調質による機械的性質の改善があまり期待できない場合があります。このような製品に焼ならしを行うことで、特に靭性面で大きな改善が図られます。
加熱温度は均一オーステナイト化する温度より高くしすぎると、組織が粗くなり良好な結果が得られません。必要な範囲で、できるだけ低い温度に保持するのが得策です。
焼ならし処理というものは加工品の熱処理ではあまりお目にかかりません。素材段階や鋳造、鍛造工程に併設で行われることが多いようです。しかしこのように組織改善による機械的性質の向上が見られる上、焼入れのように割れや変形の心配がない焼ならし処理は、場合によっては応用の利く熱処理と言えそうです。
工具鋼に焼ならしを施すことはないと言ってイイでしょう。材料段階で結晶粒の調整や、炭化物分布の改善を目的に行われることはありますが、最終的には球状化焼なましを行って出荷されます。ユーザーとしてはこの球状化組織を利用して耐摩耗性と切れ味を得たいワケですから、球状組織をキャンセルしてしまうような行為は考えられません。工具鋼は過共析鋼ですから、均一オーステナイト化するにはAcm線以上に加熱することになります。すると球状炭化物の多くがオーステナイトに固溶してしまい、冷却によって網目状炭化物が析出することになり、二度と出荷時の状態に戻すことはできなくなってしまいます。焼入れすれば硬くはなりますが、焼ならしによって炭化物が網目状に析出している状態からの焼入れですから、粒界が弱点となり、衝撃に弱くなってしまいます。
材料の内部応力低減、組織の均質化、軟化などを主な目的とする熱処理を焼なましと呼びます。一言で焼なましと言っても、目的に応じて色々なバリエーションがあり、熱処理依頼の際はどのような焼なましを行いたいのかを明らかにしなければなりません。いずれの処理でも冷却はできるだけゆっくりとするのが基本です。加熱温度が変態点を越える場合とそうでないものとがあり、変態点以下の焼なましを低温焼なましと呼ぶ場合もあります。
鋼を軟化させて加工性を良くするための熱処理です。単に‘焼なまし’と言う場合は完全焼なましを指す場合が多く、「応力除去焼なましを行いたい処理品で‘焼なまし’とだけ注文書に記入したら完全焼なましをしたものが返って来た」なんてこともあり得えます。また材質によって違う意味で使われることもあり、例えばオーステナイト系ステンレス鋼の固溶化熱処理を、処理の結果軟らかくなると言う意味合いからか‘焼なまし’と呼ぶこともあるようです。固溶化のためには急冷を要し、処理作業としては‘焼入れ’のようでありながら、結果的には軟化するのですから、作業を見ているワケではないユーザーの立場からすれば‘焼なまし’と言ってしまうのもうなずけます。使う用語の曖昧さが処理内容の誤りに繋がらないよう、依頼元、引受先の双方で注意が必要ですね。
処理内容としては「オーステナイト化によるフェライト消失まで加熱し、非常にゆっくり冷却する」ということになります。具体的には亜共析鋼ならA3線以上、過共析鋼ならA1線以上まで加熱し、炉冷するという手順になります。
「加熱保持した後そのまま放っておく」というコトになりますから、手順的には単純で、それほど厄介な処理ではないのですが、‘炉冷する’というのは生産活動として行うには適していません。炉の中で製品が冷えるのには相当な時間が必要で、できれば次から次に処理したいのに製品が冷えるまで‘加熱炉’として使えないのですから、設備の運転効率を考えれば避けたいものです。また、せっかく熱くした炉を冷やして処理品を取出すということは、次の処理品を入れたらまたイチから加熱し直すことになるので、エネルギー効率も悪くなります。
焼なまし処理時間短縮のためには等温変態曲線でパーライト化が短時間で終了する温度に保持する等温焼なましが行われます。例えば「780℃加熱後650℃に2時間保持後空冷」という手順なら‘650℃’に保持することから“等温”焼なましと呼ぶのですが、これは連続炉に適しており、780℃ゾーンと650℃ゾーンをコンベアで通過させれば処理が終了するのですから量産品には最適です。等温槽で処理するのであれば780℃のソルトバスから650℃のソルトバスに移し、最後に空冷するという手順で焼なましができます。いずれの場合も一旦加熱した炉を冷やすことなく連続操業が可能で、省エネ焼なましとなります。バッチ処理 (炉内で冷却まで行う) の場合も、処理時間が短く済むメリットがあり、工業分野では等温焼なましが日常的に行われています。
完全焼なましに比べて冷却の速い部分があり、結晶粒度や残留応力などの点で厳密には違いがありますが、硬さにおいてのみで論ずると完全焼なましに準じた結果が得られます。更に等温保持温度によって硬さを制御できたり、パーライトの層間隔を均一にできるなどのメリットもあります。炉冷という作業は冷却速度が非常に遅いとはいえ、冷え方は設備の保温性能任せであり、冷却をコントロールしての焼なましは炉内状況に左右されない、一定した結果を期待できます。このため焼入性の良い (軟化しにくい) 高合金鋼の場合は等温焼なましが常套となります。
層状組織を消滅させて炭化物を球状化することを目的とした焼なましです。過共析鋼では必須の熱処理で、SK材やSUJ材では材料出荷前に球状化焼なましが実施されています。もし金属顕微鏡を保有しているのであれば、S45CとSK105とで組織を見比べてみて下さい。両者は共に炭素鋼で、大雑把な言い方をすれば炭素量が違うだけのシロモノです。しかしS45Cは普通の焼なまし状態、あるいは圧延のままで出荷されるのに対し、SK105は球状化焼なましされているため、観察される組織は全く違います。
炭化物は結晶粒界やパーライトの層状組織に現れ、立体的に見ると膜のようになっています。造塊されたばかりのSK材も層状セメンタイトが析出していることになります。圧延により層状組織は乱されて、寸断された炭化物は加熱によって球状化します。
球状化焼なましにより軟らかいフェライト中に硬い炭化物が点在する組織となり、材料の硬さは極軟となります。炭素量が多いと焼なまし状態でも硬さが上昇してくるので加工性が悪くなるのですが、球状化焼なましを施すことにより「ラクに削れて焼入れで硬くできる」という、工具としての作りやすさを実現できることになります。また焼入後の組織も「硬いマルテンサイト中に更に硬いセメンタイトが、小さな石ころのようにバラまかれた構造」となり、刃物としての切れ味が良くなります。
球状化焼なましは網目状炭化物を消失させて球状化させるため、硬さとしてはその鋼における最も低い状態になることが期待できます。このため亜共析鋼でも塑性加工をしたい材料に適用すると好結果を得られます。硬い石ころにあたるセメンタイトが軟らかいフェライトに埋もれているイメージで、セメンタイトが塑性変形を阻害しないためです。標準組織であるパーライトは、軟らかいフェライトと硬いセメンタイトがミルフィーユ状に積み重なっており、塑性変形時は層になったセメンタイトをせん断するだけの力が必要になります。構造用鋼の冷間加工を行う場合に球状化焼なましを行うと、加工に必要な力が小さくて済み工程内のトラブルも少なくなります。一方で切削加工においては素材が軟らか過ぎることによって加工性が悪化する傾向があるので、冷間加工後に機械加工を要する製品では注意が必要です。
作業手順はいくつかのバリエーションが存在し、球状化処理前の扱いによってもどの方法が適しているかが変わってきます。
冷間加工した鋼では炭化物が寸断されており、球状化が容易です。A1変態点直下の温度に長時間保持すると、水が表面張力で丸くなりたがるかのように炭化物が球状化します。焼入れされた鋼でも、この方法でマルテンサイト中に固溶していた炭素が析出している炭化物に集まり、球状化していきます。
網目状炭化物が残る組織では、球状化のために変態点を超える温度まで加熱する必要があります。A1点の直上、直下の保持を繰り返して球状化を促す方法は炭素の固溶と析出を行き来することで、繋がっている炭化物をブツ切りにして球状化させます。亜共析鋼の球状化に適しているそうで、加熱、冷却のサイクルを2〜3回行うことで、比較的速く球状化が達成されます。
A1点上にまで加熱し、変態点以下までを除冷するか、変態点直下で長時間保持する方法もあります。これは完全焼なましや等温焼なましに類似した熱サイクルであり、炭素量が低い鋼ではパーライトを生じやすくなります。
いずれの方法においても網目状炭化物の分布状態が粗いと微細な球状化はできません。結晶粒度を調整するため焼ならしを行った上で球状化焼なましを行う方法もあります。焼ならしによって結晶粒が微細化すると、層状炭化物が薄く析出して球状化を容易にします。
鋳造品で見られる偏析を解消するため、非常に高い温度まで長時間加熱し、合金元素や不純物を均一拡散させるための焼なましです。処理温度が高い (1000℃以上) のでバーニング (部分的に溶融してしまう現象) に注意が必要です。拡散焼なましを行うと当然のコトながら結晶粒が粗大化するので、機械的性質を回復するために結晶粒微細化処理を行います。造塊工程の場合、湯からインゴットが作られた後、熱間圧延のため拡散焼なまし温度にまで加熱されます。この時点で偏析が改善されるのですが、結晶粒は粗くなります。この後の圧延工程で加工による微細化や再結晶が進みますが、特殊鋼になると人為的に制御された結晶粒度の調整が必要となり、焼ならしや焼なましが行われます。鋳鋼となると、その形が必要であるからこそ鋳造しているのであって、製品化に至るまで圧延工程は存在し得ません。よって焼ならし等の熱処理によってのみ結晶粒の微細化が行われます。
そもそも不純物がゼロであれば偏析もなくなるワケで、完全な純鉄のインゴットを得ることができれば拡散焼なましは必要なくなるのですが、不純物を完全に取除くことは工業製品としてのコストを考えれば現実的ではありません。居て欲しくない不純物がほんの少し混じっているなら、固まって存在するのではなく、散らしてやれば全体としての劣化は極小となるでしょ、と考えた結果が拡散焼なましという事になります。これは炭素を邪魔者と捉えるステンレス鋼において、局部的に集まりやすいCを固溶化熱処理で均一分散させてやる操作と似ています。またCのように、焼入れに必要で一定量固溶していて欲しい元素や、性能向上のためにあえて添加する合金元素なども、部分的な濃淡があっては不都合を生じかねないのですから全体的に拡散してやる必要が出てきます。
白銑から黒心可鍛鋳鉄を得るために行う焼なましで、白銑のセメンタイトを黒鉛に分解させることを目的としています。白銑は凝固時の冷却速度が速いため、炭素が分離できずにセメンタイトとして析出します。これを長時間高温加熱するとセメンタイトがオーステナイト化する際に、溶けきれない炭素が遊離します。鋼の場合、炭素量はオーステナイト固溶限までなので、オーステナイト化による黒鉛の分解は起こらないのですが、鋳鉄は炭素量が多いために総てがオーステナイトに固溶できないため、黒鉛として吐出されることになります。その後、変態点付近を除冷すると、オーステナイト中の炭素もこれに集まってフェライトと黒鉛に分かれた組織となります。
白銑は非常に脆いのですが、可鍛化焼なましによって伸びや絞りが大きくなり、軟鋼に近い性能を得ることができます。ねずみ鋳鉄のように黒鉛が片状に晶出するのではなく、熱処理によって塊状に析出させているので、引張強さはワンランク上を行く材料となります。
黒鉛化の程度を抑え、基地を総てフェライト化するのではなくパーライト混じりの組織にすると、粘りは低下するものの引張強さが増し、また焼入焼戻しが可能になります。パーライト可鍛鋳鉄と呼ばれます。
可鍛化焼なましに供されるような材料は、大物に適用できない (厚肉部は白銑化しない) 割に処理時間が長いのが泣き所で、量産品のように数をまとめることができないと実施は難しいかも知れません。
旋盤で削っているとシナモノがどんどん曲がって収拾がつかなくなった、なんて経験を持つ機械加工従事者も多いと思います。切削による加工応力が大きい (切削速度が速いとか送りや切込みが大きいとか) ために変形が進む場面も考えられますが、どんなに気を使って慎重に作業しても、どうしても変形してしまうというコトがあります。これは素材の内部応力が原因として考えられ、切削加工により部分的に応力開放が起これば、除去された部分が支えていた方向と反対に曲がってしまうという現象です。内部応力の発生原因は、対象となる素材がどのような加工履歴を持つかによって色々考えられますが、このような応力を持つ素材を、機械加工後も変形させないために行うのが応力除去焼なましです。例えば圧延されただけで供給される材料や、塑性加工工程を経た材料、溶接された半製品など、「ムリを内包した素材」を、切削前に「そのムリを緩和させる」ことによって加工後の変形を抑えるというのが応力除去焼なましの目的です。ステンレス鋼では内部応力に起因する応力腐食割れを防ぐために行われるケースもあります。
内部応力の除去には再結晶が関係してきます。再結晶は加工度が大きいほど低い温度で発生し、その温度での保持時間が長いほど進行します。組織にムリがあるほど再結晶しやすいワケですね。組織の歪みを緩和するための焼なましであるため歪取焼なましと呼ばれたりもします。再結晶温度にまで加熱された鋼は、歪みのない新たな結晶粒に置換わることにより、内部応力が除去されます。具体的には400〜700℃程度の加熱 (加工度が高いほど低い温度での処理が可能) で除冷します。
他にも、中間焼なまし、軟化焼なまし、再結晶焼なましなど、焼なましには色々な‘亜種’が存在しますが、軟化による加工性の改善や内部応力緩和を目的としている点は変わりはなく、目的や方法に応じた色々な呼び方が存在しているに過ぎません。また焼なまし作業手順の差によって光輝焼なましや低温焼なまし、箱焼なましなどの名称もあります。
オーステナイト領域からの急冷操作で、鉄鋼材料の場合は硬化処理と同義と捉えられます。硬化に必要な冷却速度は鋼種によって違いますが、その鋼にとって最も速い冷却速度を必要とする熱処理ですので、処理品にかかるストレスが大きく、様々なトラブルを引起こすリスクが高い作業となります。
鉄鋼材料において、焼入れによる硬化の主役は炭素です。鋼はオーステナイト化すると、約2%程度までの炭素を固溶できるのですが、これが冷やされてフェライトに変態すると、最大でも炭素を0.02%しか固溶できません。フェライトから追い出された炭素はセメンタイトとして粒界やパーライト結晶中に析出します。冷却を速くして炭素がオーステナイトから析出する時間的余裕を与えないと、変態点を下回ってもフェライトが析出できず、オーステナイトのままの状態を維持します。冷却を進めるといよいよ耐え切れなくなって、炭素を押込まれたまま体心立方格子に変態し、この場合はフェライトではなくマルテンサイトと呼ばれる組織が析出することになります。マルテンサイトは炭素によって軸長を伸ばされる部分があるので、正確には立方晶ではなく正方晶となります。
水を冷却材とした焼入れで、オーステナイト化した鋼を水に沈めて硬化させます。水温が高いと焼入硬化能が低下するため、30℃以下に管理することが必要となり、処理品に対して充分な量の水を準備しておかなければなりません。
処理品を水に投入すると表面温度は急激に下がり、逆に水は瞬間的に沸騰します。処理品が蒸気膜に覆われると冷却がやや緩やかになりますが、沸騰による気泡が浮かび上がることで新液に置換わり、水が撹拌されます。水は蒸気膜が破れ撹拌段階に至るのが速いので、冷却効率の良い冷却材です。この段階での処理品温度低下は焼入れの結果に対する影響が大きく、特性温度と言われます。鋼にとってもこの範囲の冷却でヤキが入るかどうかが決まることになるので臨界区域と呼ばれます。処理品温度が下がり沸騰が収まると、水は緩やかに対流して引き続き処理品を冷やしていきます。過冷オーステナイトがマルテンサイトに変態し始める温度 (Ms点) を通過する頃合いとなり、焼割れ等のリスクが高い温度帯なので危険区域と呼ばれています。
JISではS-C材やSK材は水焼入れを行った場合のスペックが参考値として記載されています。つまり焼入性に関わる特殊な合金元素を添加しない炭素鋼に適用するのが水焼入れということになります。しかし水焼入れは焼割れの確率が高く、量産部品で採用するのは歩留まりの面からハードルが高いのではないでしょうか。単品で一つづつ処理する場合は、危険区域を空冷する引上げ焼入れの適用が考えられます。冷やし切るまで水に入れるのではなく、まだ熱いものの臨界区域は下回ったというタイミングを見定めての作業で、要するに職人技です。日本刀の焼入れですね。水焼入れのリスクを低減するには急激な形状変化や質量変化の少ない、できるだけノッペラボウな形状に設計することが重要です。熱処理業者と充分に検討し、テストを重ねて焼割れを抑制する必要があります。
そこでこのような焼入性の悪い材料であっても、多くの場合で油焼入れを採用することになるのですが、冷却が悪くなる分、有効直径を小さく想定しなければならなかったり、焼入温度を高めに設定しなければならなかったりと、JIS通りの硬さは期待できません。炭素鋼では少しでも条件が悪いと本当にガクッと硬さが出なくなりますので、その辺りを踏まえて設計を進めて下さい。
「それならなぜ大径のS-C材を売っているのか。小さなものしか焼入れできないなら小径品しか売らない様にしてくれればイイのに」などと言う声も聞こえてきそうですが、浸炭や高周波焼入れ、窒化などの処理品表面だけが対象となる処理は可能であり、また例え直径が大きくても、薄く切断して製品となる場合や、中をくりぬいてパイプ状にすれば、直径換算値で小径品相当となる場合もあります。そうすれば焼入れ可能となるので大径品も存在するのですが、使い方を誤ると熱処理工程でコケることになりますから、事前の確認をしっかりと行っておきましょう。
水に混ぜ物をすると冷却速度を制御できます。食塩を溶かして塩水にすると冷却能が上がるので、更に強烈な焼入れが可能になりますが、焼割れが増えるので実用的ではありません。逆に冷却能を下げるために高分子化合物を混ぜて水溶液焼入れとすることで、水よりは割れにくく、油よりは速度の速い冷却を行うことも可能です。焼入時に処理品と接する部分では水だけが蒸発するため、使用しているうちに濃度が変化し冷却能が変わってくるので、濃度管理が欠かせません。
油を冷却材とした焼入れは非常にポピュラーで、幅広い鋼種に適用されています。水に比べて冷却が穏やかで、特に危険区域に当る温度域での冷却速度がゆっくりなので焼割れが少なくなります。ただし臨界区域の冷却も水より遅いので、水焼入れよりも硬さが出にくい焼入れとなります。油は粘度が高いので、ある程度温度を上げて (60〜120℃程度。焼入油の種類によって適温が異なる) 冷却材としての流動性を確保してやったほうが、効率よく処理品を冷やすことができます。低粘度油を60℃前後にした状態で焼入油として使うコールドクエンチ、高粘度油で100℃以上に温めて使うホットクエンチ、両者の中間であるセミホットクエンチに分けられますが、一般に油温が低いほど冷却能は高く、油温が高いほど変形を少なくできます。
焼入油には鉱物油を使いますが、菜種油などの食用油 (要するにサラダ油) でも焼入れは可能なので、工場にアセチレンバーナーがあれば焼入作業を実施することは可能です。ただし炉加熱ではないので処理品温度を測ることができず、処理品の色付きで温度を推測しなければならないので、適切な焼入れを行うにはある程度の慣れが必要です。また植物油は酸化による性能劣化が大きいので、繰返しの使用には耐えません。
油冷の場合、冷却材の撹拌が冷却能を大きく変化させます。処理品に対して充分な量の油で冷却するのは勿論ですが、処理品を上下させたり油を循環させたりして、常に新液が処理品に接触するような冷却を行うことで良くヤキが入るようになります。油の対流のみに頼っていると、処理品の周りだけ油温が高い状態が発生し、全体的な冷却速度が遅くなります。また自然対流は下から上の流れになりますが、変形を防止するため処理品を吊るして炉内に挿入した場合、下からは新液が供給されますが、上に上がるにつれて油温は上がり、結果的に下面は硬くなるものの上面はヤキが甘くなってしまいます。撹拌は強いほど冷却能が上がり、硬さを得やすくなります。
大気中に放置して冷ます、いわゆる放冷に当る冷却で行う焼入れです。JISでは金型用鋼の一部に空気焼入鋼があり、焼入性はピカイチです。大きなものであっても送風機で強制空冷 (つまり撹拌) すれば、かなりのサイズまで焼入可能です。しかし空気焼入鋼はいずれも高合金鋼で、焼入温度が高く、保持時間も長く必要ですので、処理品表面の酸化が問題となります。このため真空加熱や雰囲気加熱を適用する場合が多く、空気ではなくガスで冷却することが多いでしょう。冷却に使用するガスの種類によって冷却能は違ってきますが、窒素ガスを使うのであれば空冷と同等の冷却能と考えて差し支えありません。
冷却が緩やかであるということは変態応力のアンバランスが生じにくく、結果として焼入変形を小さくすることができます。冷間金型をSKS3などで作った場合、油焼入れで変形すると仕上加工がひと苦労です (何せ60HRCの硬さのモノを削るんですから)。SKD11を空冷で焼入れすれば変形が少なくなり、仕上加工の手間が少なくなります。材料費は上がりますが、加工工数が減ってトータルではコストダウンとなります。簡単な形のものならSKS3で作ってもOKですが、形状が複雑な現在の金型では、耐摩耗部品の材料としてはSKD11が主流です。
大気中の空気、‘以外’のガスを供給源とする気体冷却焼入れで、ボンベに詰められて流通している窒素やアルゴンを使用したり、工場にタンクを準備して使用するガスをタンクローリーから移し変えたりして使っています (映画「ターミネーター」シリーズで液体金属チックな敵を凍らせた液体窒素は焼入屋さんに運ぶ途中だったのだろうか)。真空焼入れなど無酸化加熱したものでも、冷却に酸素を含む空気を使ってしまっては表面が酸化するので、不活性ガスを使うことで光輝性を保つコトができます。水素やヘリウムを使った焼入れもあり、使用するガスによって冷却特性が異なるので、目的に応じてガスの種類を使い分けています。
ガス冷で特徴的なのは冷却時の炉内圧力を制御しやすい点で、高圧にするほど熱交換に関わる気体分子数が増えるため冷却速度が速くなります。炉内を1気圧にして循環ファンを回せば「空冷」に相当する冷却速度となるのですが、炉内圧を高くすると冷却速度が上がり、使用するガスと冷却時の圧力によっては、液冷に迫る冷却速度を実現することもできます。しかも水や油に接することなく焼入れできるのですから、処理品の表面が侵されず、キレイな仕上りが実現します。しかし日本では圧力容器に関して規制がキビシイので、超高圧ガス冷は難しいですね。
処理品をソルトバスなどの等温槽で冷却する焼入れで、マルテンパやオーステンパなどがあります。使用するソルトは等温保持時間に応じて適切なものを使用し、処理品サイズによって浸漬時間を決めます。
処理品を加熱するにソルトバスを使うのは直感的に解りやすいのですが、熱い状態のソルトバスへの挿入で冷却するという行為はちょっと引っ掛かりがあるのではないでしょうか。加熱品を水に入れて冷やすのは当たり前で、水ではなく、例えば200℃に保持されたソルトに処理品を入れても「冷えるの?」と思いたくなります。しかしソルトは密度も大きく案外冷却が速いもので、200℃のソルトバスなら“200℃までは速く”冷えます。ソルトバスの保持温度を処理品の鋼種における危険区域より高くすれば、マルテンサイト化のタイミングがずれることによる割れや変形を抑制できるので、「硬さがでない」とか「反りが大きい」などのトラブルに対して有効な方法となります。またソルトによって酸素と遮断されるので、酸化や脱炭といった表面劣化も微小です。
冷却条件の良さから炭素鋼など焼入性の良くない鋼材でも好結果が得やすい他に、均等な加熱、冷却ができる上、高温加熱に向きながらも酸素を遮断できることからハイスの焼入れでの適用例も多くあります。ただし処理品表面が速く加熱されるということは、中心部との温度勾配が大きくなりやすいことにも繋がるため、段階的に加熱を進めるための予熱が必須となります。異なった温度に設定された複数のソルトバスを移し変えるようにして、最終的には冷却用のソルトに処理品を挿入するといった手順です。
マルテンサイト組織を得るのではなくベイナイト組織とするための熱処理で、ベイナイト焼入れとも呼ばれます。具体的には処理品鋼種のベイナイトノーズより低く、Ms点より高い温度に等温保持する操作となり、熱浴焼入れの手順となります。焼入焼戻しで同じ硬さに仕上がったものに比べて靭性に優れており、変態応力が小さいため変形や内部応力が少ないというメリットもありますが、中心部分の冷却の遅れでパーライトノーズを横切るとNGなので処理品サイズが限られるという難点もあります。炭素鋼薄板のバネ製品などでの適用例が多いようです。ベイナイトノーズに近い、比較的高い温度で等温保持した際の組織を上部 (羽毛状) ベイナイト、Ms点に近い、比較的低い温度で保持したときの組織を下部 (針状) ベイナイトと呼び、機械的性質から下部ベイナイトを得られるような温度を選択するのが普通です。基本的に焼戻しが要りません。
ソルトバスなどでMs点の直上、あるいは直下まで急冷、等温保持し、ベイナイトノーズを横切る前までを連続冷却した後に空冷して焼入れします。焼入れといえば常温まで一気に冷やすイメージですが、加熱時の予熱のように「予冷」とでも言えるような冷却ができれば変形が少なくなるであろうことは想像できます。マルテンパはS曲線のベイ (湾) の部分に‘一時退避’して過冷オーステナイト状態を維持した後、ベイナイト変態を起こす前に冷却するという、非常に巧妙な焼入れです。処理品の内外温度差がある程度一定になってからMs点を通過するので、変態のタイミングが大きくズレることに起因するトラブルが軽減されます。
過冷オーステナイト状態の時間が長いためオーステナイトの安定化が起こり、残留オーステナイトは若干増えます。また時間設定にミスがあるとパーライト化やベイナイト化が起こり、焼入組織として問題が発生しますので、「多少長い時間加熱してもイイでしょ」とか「冷却材に入れてしまえばあとはそのまま放っとけばOK」という通常の熱処理のような感覚ではダメです。冷却材投入後の時間管理に厳密さが求められる点では、時間焼入れに通ずるトコロがありますね。
向かい合わせた導電体の一方に交流電流を流すと、他方には逆向きの電流が流れます。このような現象を誘導と言い、電気の世界では変圧器などで誘導現象が利用されています。これを熱処理に利用すると、製品の近くにコイルを設置し、コイルに交流電流を流すと製品内に誘導電流が流れ、鉄損に応じて発熱することになります。外部から熱を投入するのではなく製品そのものが発熱するので、非常に効率の良い加熱方法と言えます。
商用周波数 (50/60Hz) での加熱では対象品全体が加熱されていきますが、周波数を上げていくと表皮効果と言って導電体の表面部分に誘導電流が集まってきます。エネルギーが処理品表面に集中するので、非常に短時間で焼入れ可能な温度にまで上昇し、あとは冷却すれば焼入れ完了です。高周波誘導電流の表皮効果を利用して、処理品の表面だけを焼入れするのが高周波焼入れで、浸炭焼入れのように表面のみ硬く、内部は衝撃に強い組織とすることができます。しかも浸炭焼入れと違って全体加熱ではないので、内部組織を維持できるため、例えば調質で強靭化した構造用鋼の表面のみ硬化させ、内部組織は強靭なままにさせるなどといった利用が可能です。
表面のみ焼入れするのですから基本的に質量効果を無視できます。また内部が加熱されていないので、焼戻保持時間も中心まで均熱されるのを待つ必要がありません。全体加熱に比べて変態応力のトータルが少ないので、理論上は変形や割れのリスクが少なくなります。ただしこれには条件があって、単純形状で応力発生の向きが対称となっていることが必要です。例えばシャフト形状の外周焼入れであれば変形は少ないのですが、薄い板状の処理品で片面だけ高周波焼入れするとなると、焼入面にのみ応力が発生し、色々と障害が起きてきます。
処理品表面のみマルテンサイト化することで、硬さによる耐摩耗性を利用するテの他に、焼入膨張によって表面に圧縮残留応力を発生させることができ、耐疲労性が向上します。疲労破壊は繰返し荷重によって微小なクラックが発生し、それが成長して破断に至る現象ですが、もともと圧縮応力で内部的に押し合っていれば、外力で多少引張られても元の圧縮分まではキャンセルになり、表面クラックが発生しにくいため疲労破壊しにくくなると言うリクツです。単純な引張荷重ではそれほど効果はありませんが、曲げ荷重や捻り荷重など、表面ほど大きな応力を受ける機械要素には好適で、また機械要素のほとんどがこのような疲労破壊に繋がりやすい荷重を受持つことになるのですから、高周波焼入れによる耐疲労性向上の応用は広範囲に及びます。
急速加熱で処理が速いのは大きなメリットですが、一方で焼入温度に一定時間保持するような芸当ができないので、カーバイドの溶込みに時間のかかる高合金鋼の焼入れには向きません。炭素鋼や低合金鋼が適しており、またこれらの鋼材は質量効果によって硬さが低くなりやすい側面もあって、表面だけとは言え硬さの得やすい高周波焼入れは相性が良い熱処理です。表面の圧縮残留応力は、硬さ試験のダイヤモンド圧子が入り込むのを押返すので、硬さが通常より高く測定されるという裏ドラまであります。ただし電磁気学的な加熱であるため、電気力線や磁力線が形状の影響を受けやすいこと (凸部に集まりやすい) を思い出しても解るように、ちょっとした形状の変化が熱処理性能に影響を与えるため、のっぺらぼうな面にしか適用しにくいという注意点もあります。
アセチレン炎などで処理品表面を加熱して行う焼入れで、高周波焼入れの外熱版といった感じです。高周波焼入れのような形状による影響が少なく、特に凹部を部分焼入れしたい場合は現在のところ炎焼入れが唯一の選択肢でしょう。適応鋼材が構造用鋼主体であること、急熱によるトラブル回避のためには予熱が有効なこと、処理品温度を放射の色で判断する必要があることなどは、高周波焼入れに似ています。設備費が安く (高周波発生電源が不要) 手軽な表面焼入法である一方で、製品形状に合わせた火口の作成や焼入作業そのものにも熟練 (加熱冷却を連続で行う場合は炎の噴出孔と冷却材噴射孔の配置や大きさにおいて特に) を要する、ある意味職人仕事な焼入れです。経験がモノを言うという点では決して‘手軽’な熱処理とは言えませんね。
最も手軽な炎焼入れとしては、処理品の必要部分をアセチレン炎で加熱し、母材吸熱で冷却する方法があり、そのような焼入れに適した鋼材として開発されたフレームハード鋼で作る大型の金型に適用する例があります。プレス金型ではよく減る場所、つまり最も力がかかる場所さえ硬ければ工具寿命として満足できる局面もあり、また金型が大きくなると炉加熱による焼入れが困難となる上、そもそも材料が大きくなれば高価な高合金鋼を使っているとコスト面でもツラいこともあって、未だに職人仕事の残っている分野です。
処理品を均一固溶体とすることを目的とした加熱、冷却処理で、急冷を要することが多いため、工程的には焼入れと同様となり、処理記号が“Q”を含みます。しかし処理結果としては軟らかくなるので、焼入れと同一カテゴリに含まれることは、ユーザーにとっては違和感がありますよね。
オーステナイト系ステンレス鋼のように、固溶化熱処理が最終熱処理工程となる場合と、析出硬化系ステンレス鋼やジュラルミン、ベリリウム銅など、析出硬化の準備段階として固溶化熱処理を要する場合とがあります。非鉄金属分野では「固溶化熱処理+析出硬化」のことを「溶体化処理+時効硬化」と違った呼び方をするので注意して下さい。
オーステナイト系ステンレス鋼に強度の冷間加工を施すと、オーステナイトが変態し磁性を帯びるようになります。ホワイトボードに貼付けるような‘フツーの’磁石では判別できませんが、重い荷物を吊下げられるフック付の磁石みたいに強力なもの (ネオジム磁石など) があれば冷間加工直後に磁石がほんの少し引寄せられるのが判ります。これを固溶化熱処理すると磁石に全く反応しなくなるので、ステンレス鋼のプレス加工をやっている工場に入る機会があったら固溶化熱処理の前後で吸付き加減を比べてみて下さい。効果を実感できて結構面白いですよ。
TiやNbを含むステンレス鋼では固溶化熱処理によって炭素を均一固溶させた後、850℃以上に加熱してTiCやNbCとして炭化物を析出させ、炭素がCrと化合するのを防ぐ安定化処理を行って、耐粒界腐食性を高める操作がされます。
析出硬化のための固溶化熱処理は材料出荷段階で行われるので、機械加工後は析出硬化を行うのみでOKです。焼入れと違い大きな変態応力の発生がないため、硬化後の寸法や形状の変化が微小で、「硬くしても曲がらない」という点が重宝されます。
鋼は高炭素化、高合金化するに従ってMf点が下がり、残留オーステナイトが増えてきます。つまり室温までの冷却では焼入れが完了していないということです。焼入性を良くするために合金量を増やすと未変態部分が増えて焼入れし切らなくなるなんて、何だかジレンマですが、「室温で完了しないならもっと冷やしてしまえ」というアプローチがサブゼロ (‘氷点下’を示す和製英語) です。焼入冷却の続きとなる処理なので、焼入直後に行うのが基本ですが、サブゼロクラックが問題となる場合は極低温焼戻しを挟む場合もあります。この場合、残留オーステナイトの安定化が進み、サブゼロ処理後の未変態オーステナイト量はやや増加します。サブゼロが終了したら通常の焼戻しを行います。残留オーステナイトのマルテンサイト化が進んだ分、硬さがやや上昇します。
冷源としてはドライアイスとアルコールが手軽で、充分な量のドライアイスを用意すれば、-80℃程度まで冷やすことができます。それより低温にしたいなら液体窒素などによって-100℃以下にまで冷却することができるのですが、このような極低温処理を超サブゼロとか、クライオ処理と呼んで区別する場合もあります。そこまで冷やす必要がなければ、それこそ家庭用冷蔵庫の冷凍室でもそれなりの効果を得ることはできます。-20℃程度まででしょうが、それでもリッパな‘サブゼロ’です。
残留オーステナイトは経年変化や置割れの原因とされる「悪者」で、一般的には少ないことを望まれる組織です。サブゼロ処理によって硬化製品における寸法の長期安定性を図った (経年変化を抑制した) 例としては、SKS3をゲージとして使う場合などがあります。SKS3は高炭素鋼に合金元素を添加しており、焼入性が良好なため芯部まで均一にヤキが入るのですが、残留オーステナイトが出るため長期間では寸法変化することがあります。寸法の正確さが命のゲージで「3年経ったら膨らんでた」なんてコトは許されないのですから、サブゼロで残留オーステナイトを減らしておくことが有効です。工程としては、焼入れ→サブゼロ処理→低温焼戻し となります。
二次硬化を示すような高合金鋼の高温焼戻しでも残留オーステナイトのマルテンサイト化は進みますが、変態のメカニズムが若干違います。サブゼロは「常温までで不足ならもっと冷やしちゃえばイイじゃん」というチカラワザなのに対し、二次硬化は高温加熱によって残留オーステナイト中の固溶元素が移動可能となり、低炭素低合金化した残留オーステナイトのMf点が上昇することで焼戻冷却時にマルテンサイトが析出するという形態で、焼入時のマルテンサイトと二次硬化時のマルテンサイトとでは、正確に言えば中身が違ってきます。それでは「残留オーステナイトの多いハイスをサブゼロしたらどう?」という議論も生まれてきますが、ハイスは高負荷切削による熱に耐えるため600℃前後の高温焼戻しが必須で、この温度で焼戻せば二次硬化が顕著であり「わざわざコストの高い冷却に依らなくても加熱すればマルテンサイト化できますよ」ということであればサブゼロするまでもないですよね。つまり、高温焼戻しが前提である場合には、サブゼロ処理は‘もったいない’処理であって、「低温焼戻鋼材でありながら残留オーステナイトが発生する鋼でマルテンサイト化を促進する」ための処理として捉えるのが常識的です。つまり「サブゼロするなら低温焼戻し」であり、サブゼロ+高温戻し、という工程はナンセンスであると考えられます (何らかのノウハウによって、あえてそうすることもあるかも知れませんが)。
焼入処理品の内部ストレスを低減するため、A1変態点以下の温度で再加熱する熱処理です。焼入れによって生じたマルテンサイトを維持し、硬さを保った結果を得るために低い温度で加熱する低温焼戻しと、マルテンサイトから炭化物を析出させ、ソルバイト組織を得るために高い温度にまで加熱する高温焼戻しとがあります (‘低温’と‘高温’の境目は曖昧で、鋼種ごと、業界ごとで異なることがあるので注意して下さい)。
低温焼戻しは概ね200℃前後までの加熱で、マルテンサイトからε炭化物が析出して低炭素マルテンサイトとなりますが、硬さの低下は少なく刃物など工具の焼戻しとして適用されます。SK、SKS、SKD (冷間金型用)、SUJ、SUS (マルテンサイト系) などが対象となります。
高温焼戻しはマルテンサイトを維持せず、ソルバイト組織を得ることを目的として400〜500℃以上にまで加熱する焼戻しです。このような処理を調質と呼んだりもします。ただし高合金鋼では高温加熱してもソルバイト化せず、それどころか二次硬化によって硬さが上昇する鋼もあり、この場合はソルバイト化処理ではないためか調質とは呼びません。調質処理ではS-C、SMn、SMnC、SCr、SCM、SNC、SNCM、SUPなどが対象です。二次硬化を利用する鋼で高温焼戻しを適用する鋼材にはSKH、SKD (熱間金型用) などがあります。
焼戻作業には幾つかのタブーがあり、単に硬さだけを追いかけて不適切な処理を行うと、使っている段階で思わぬトラブルに繋がる場合があります。
構造用鋼において、焼戻温度を高くすると硬さは低下していき、反面伸びや絞りは回復していきます。つまり焼戻温度が高くなるにつれて軟らかくなるワケですね。しかし降伏点や衝撃値に付いては、温度によって単純に増減するのではなく、弱点となり得る焼戻温度が存在します。降伏点は焼入れのままよりも焼戻ししたほうが高く、300℃くらいからは減少していきます。これに対して衝撃値は焼戻しで回復傾向はあるものの、200〜250℃以上で一旦低下し、300℃付近で谷間を迎えます。つまり構造用鋼を300℃で焼戻しすると、静的には強いのですが、動的な荷重に脆くなってしまう現象が見られ、これを低温焼戻脆性 (300℃脆性) と呼んでいます。構造用鋼は300℃で焼戻ししないのが賢明です。
更に焼戻温度を上げていくと降伏点は一様に下がっていきますが、衝撃値は500℃辺りで再び下がり、この現象は一次焼戻脆性と呼ばれます。焼戻温度を上げれば衝撃値の回復傾向は見られるのですが、焼戻後の冷却で炉冷すると衝撃値は低いままとなってしまいます。一次焼戻脆性温度よりも高温で焼戻ししたにも関わらず、徐冷によって衝撃値が低くなる現象は二次焼戻脆性と呼ばれます。どちらの脆化現象も焼戻しとしては温度の高い領域で発生するので、一次焼戻脆性と二次焼戻脆性をまとめて高温焼戻脆性と言い、構造用鋼、特に合金鋼で顕著な現象です。構造用鋼は調質によって強靱鋼としたいのですから、このような高温焼戻脆性を避けるため、焼戻しは500℃よりも高い温度で行い、また徐冷しないことが重要です。JISの参考値でも例えばS45Cの調質では、焼戻しを「550〜650℃急冷」としており、SCM435では「530〜630℃急冷」としています。
ここで「焼戻後急冷とはどれくらい速く冷すのか」というコトになりますが、とにかく徐冷は最悪で冷却速度は速いほど良く、それこそ水冷しても構いません。焼戻しは変態点以下で行う加熱であり、変態点をまたいだ冷却とはならないので、変態応力で割れるようなトラブルは発生しません。ただし冷却が速いほど熱応力が大きくなり、内部応力として残るコトになるので、その辺のバランスですかね。少なくとも空冷以上として下さい。ちなみに「水冷してもいい」なんて乱暴なことが言えるのは構造用鋼だけです。残留オーステナイトが発生する鋼材では焼戻しによってオーステナイトの分解が起り、特に高合金鋼では二次硬化でマルテンサイト化が促進されますから、変態点以下の加熱であっても大きな変態応力が発生します。速く冷したいからと水に突っ込むと、焼戻しの冷却で“焼割れ”が発生するなんてコトになりますよ。
焼戻温度によって硬さを調整することは可能ですが、単に硬さだけを求めて焼戻しすると、靭性面で不利になることがあります。部品が壊れた場合に「硬過ぎて壊れたなら少し硬さを下げよう」と、根拠なく硬さ指定を変更すると、その硬さを実現するためにヤバい温度で焼戻しされてしまって、衝撃荷重で破壊するなんてことも起こり得ます。硬過ぎるから割れたのか、それとも他の要因で脆性を生じたのかを特定して対応を考えなければなりません。
鉄と炭素との固溶体であるマルテンサイトは、焼戻加熱によって炭化物を析出し軟らかくなっていきます。つまり結晶そのものが硬くて、炭素が逃げれば軟化する仕組みです。これに対して均一固溶体から加熱により異相を析出させると硬くなる場合があります。固溶体の状態では異種金属が整然と並んで結晶を構成しているので軟らかく、そこから異相が析出することで「結晶が細かいほど硬くなる」という仕組みで硬化するもので、ジュラルミンやベリリウム銅など、非鉄金属の強化方法として利用されます。鋼の中にも析出硬化系ステンレス鋼があり、炭素固溶を利用しない硬化法です。異相析出は時間経過によって起こるので時効硬化と呼ばれる場合もあり、加熱することなく長時間放置する時効を自然時効、加熱によって時効を促進する場合を人工時効と言います。工業製品においては加熱温度と保持時間によって性能が制御可能な人工時効を利用して析出硬化させます。
析出硬化処理をする素材は固溶化熱処理により過飽和固溶体の状態で機械加工されます。部品形状に加工されたら加熱による人工時効で析出硬化されて所定の機械的性質を与えられます。つまり「焼入れ」に当たる加熱·急冷処理は加工前に行われ、「焼戻し」に準ずる加熱のみが加工後に行われるため、硬化による形状変化は非常に小さく抑えられる上、硬化のための加熱温度が低く、酸化などによる表面状態の悪化が少ないため、硬化後の仕上加工が不要になるケースもあります。
焼戻しによる析出現象は結晶粒界などエネルギ的に不安定な部分から優先して発生しますが、析出硬化の場合は初期段階で発生するGP帯 (ギニエ·プレストン·ゾーン) を核に進行するので、結晶内部にも第二相が微細析出します。GP帯は結晶内部に大きな格子歪みを起こすので、転位の移動を抑え塑性変形を阻害しますが、高温で長時間加熱するほどGP帯は平衡析出に進み成長していくので、硬さは低下していきます。硬さを要する場合は低温で、靭性が欲しい場合は高温での析出硬化処理となります。
析出硬化系ステンレス鋼であるSUS630の場合、Cuを析出硬化合金として添加した低炭素ステンレス鋼で、1020〜1060℃からの急冷による固溶化熱処理でCuを組織内に均一固溶させた状態にして出荷されます。機械加工を行ったあと、析出硬化のための加熱によって固溶されたCuは移動してCu結晶を作ろうとしますが、温度が低いので移動速度や移動距離は制限され、結果として微細な結晶が析出して強化されるという金属材料です。処理温度によって、H900 (470〜490℃)、H1025 (540〜560℃)、H1075 (570〜590℃)、H1150 (610〜630℃)が規定されており、析出硬化処理温度が高いほど析出物は大きく成長するので硬さが低下し、靭性が高くなります。
鋼を焼入れで硬くすると、反面脆くなり衝撃に弱くなってしまいます。硬く、そして折れない、割れない、そんな部品ができれば機械要素として非常に重宝します。そこで低炭素鋼の表面にのみ炭素を拡散させて耐摩耗性を高め、芯部は低炭素であるが故に焼入れしても硬くならず靭性を持たせるようにしたのが浸炭焼入れです。全体加熱でありながら表面だけが硬くなるので肌焼とも呼ばれます。
温度と時間の管理が中心となる熱処理とは違い、浸炭は鋼表面で起こる化学反応を利用するので、ちょっとした化学知識が必要になってきます。通常の大気中加熱では処理品表面は酸化反応で脱炭しますが、浸炭処理はこれとは逆に表面の炭素濃度を増してやらなければなりません。酸化させたくないからという理由で「空気を抜いちゃえば酸素もいなくなるでしょ」と発想したのが真空熱処理ですが、浸炭では「酸素は要らないケド炭素は欲しい」という要求になります。単体の炭素はスス状の黒鉛で、このままでは鋼表面に浸入させることができません。気体の状態であれば処理品表面にまで届きますので、二酸化炭素や一酸化炭素、メタン等の炭化水素などが手軽な浸炭ガスとして使えそうです。
空気中で炭素が酸化すればCO2が発生します。酸素単体ではないこの状態になれば処理品を酸化させないようにも思えますが、実は鋼から炭素を奪ってCOを発生させるので、二酸化炭素は酸化性ガスになります。ではCOの状態で処理品に届いた場合にどうなるかと言うと、2つのCOからCO2が発生し、余った炭素が熱せられた処理品表面に取り残される形で浸入するという現象が起こります。つまり加熱した炉内で不完全燃焼をさせ、一酸化炭素の多い雰囲気にすれば、炉内にある処理品は浸炭されるコトになります。鋼に浸炭させたことで発生する二酸化炭素は浸炭を阻害するので、更に炭素を供給して炉内を常に炭素過剰の状態に維持し、二酸化炭素が再度一酸化炭素になるようにしておかなければなりません。
浸炭炉内で起こるこのような化学反応をブードア反応と言い、以下のような化学式で表されます。処理品表面では右辺から左辺への反応が起こり、炭素供給を受けて左辺から右辺への反応が起きます。
C+CO2=2CO
左辺第一項の炭素が、炭素源からの供給炭素であり、また処理品に浸入する炭素でもあります。このように見ると、酸化脱炭の嫌われ者である酸素を上手く利用して、脱炭どころか逆に浸炭させているのですからモノは使いようですね。ブードア反応を利用する気体浸炭において酸素は厄介な存在ではなく、それどころか「酸素がなければ浸炭できない」という不可欠な存在になっています。処理品を木炭粉に埋めて加熱すると木炭からの炭素供給で浸炭され、これが固体浸炭と呼ばれる熱処理になるのですが、処理品表面ではブードア反応で浸炭されるので気体浸炭と全く同じ原理で反応が進みます。しかし処理品を木炭に埋めて真空炉で加熱しても、酸素がなければ浸炭されません。
浸炭により処理品表面でどの程度炭素が浸入するかを示すのがカーボンポテンシャルという数値です。カーボンポテンシャル0.8なら、表面の炭素量を0.8%にまで上げることができるワケです。この状態で一定時間加熱すると、鋼の内部に向けて炭素が拡散し、加熱時間に応じた浸炭層を得ることができます。通常は炭素量0.2%程度の低炭素鋼の表面のみを工具鋼並みに高炭素化して焼入れすることで、60HRC程度にまで硬くします。硬化層深さは1mm前後が多いようです。
浸炭焼入れは非常に手間の掛かる熱処理です。最も歴史のある固体浸炭の場合、木炭粉に埋めたままでは油中投入できないので、浸炭後は一度冷まして木炭粉から取出し、焼入れのために再加熱します。焼入れも低炭素である芯部の結晶粒微細化を狙った一次焼入れ、表面高炭素部分を対象とした二次焼入れと2回行うので、都合3回の加熱になります。焼戻しまで数えれば4回も加熱するワケですね。浸炭処理は炭素拡散に要する温度が高く、概ね900℃前後まで加熱します。一次焼入れは低炭素鋼の焼入れなので850℃以上、二次焼入れは過共析化した表面部分の焼入れなので800℃となり、処理が進むにつれて加熱温度は低くなります。浸炭後の焼入れで脱炭しては元も子もないので、加熱は酸素を遮断して行う必要があります。制約の多い熱処理です。
しかしこれではあまりに時間が掛かるので、一次焼入れを省略することもあります。表面さえ硬ければイイということですね。更に気体浸炭の場合、浸炭温度から室温まで下げることなく、焼入温度に保持してそのまま油冷する直接焼入れという方法が採られます。熱処理炉に入れたら浸炭と焼入れが全部終わった状態で取出すことになり、大幅な時間短縮となります。それでも単価の高い“高級”な焼入れですケド。
「硬くしたいから焼入れ」「軟らかくするには焼なまし」と短絡的に図面指示していませんか?材料を生かすも殺すも適切な材料の選択と熱処理に懸かってきます。部品に必要な機械的性質を的確に見極め、適した材料に適した熱処理を施すことを心掛けましょう。どうしても自分だけで解決できない場合は予め熱処理業者に相談することも大切です。加工業、熱処理業にとって、図面は守るべきルールです。特に熱処理業者は加工業者から依頼を受ける場合が多く、更に中間で商社が絡んだりすると、不適切な熱処理、不都合や理不尽が存在する熱処理があってそれを相談したくても、設計者のところまでは中々たどり着けないことが多いものです。しかも熱処理が加工後に行われる場合、全工程の半分は既に終わっており、今更再スタートできない状況で依頼品が手元に届くことになります。
「よく解っていない設計者」がイイ加減にルールを作り、「よく解っていない加工者」が疑問を持つことなく機械加工を終え、「解っている熱処理業者」に依頼品が届いても“今更後戻りできない状況”になってしまっているワケです。設計者の立場でよく解っていないなら、図面描き (=生産活動において‘法律’を作るヒト) が中途半端な知識で勝手に‘ルール‘を決めてしまうのを控えるべきです。更に悪いのは例え適正でない図面であっても加工や熱処理側でムリして実績を作ってしまうと、リピート依頼があったときにまた苦労する結果となってしまう事例です。図面訂正してもっと作りやすくすればコストや納期においてもメリットがあるのに、「前もコレでやったでしょ」と押付けられては、ちょっと手を出したくなくなります。加工業者や熱処理業者が文句の付けようがないルールを作れる設計者を目指して下さい。ホントにヒドい図面って「ホントウにヒドい」んです。自分の描いた図面が、出て行った先で笑いモノになっているのって、想像するとキツいですよね。私も今まで数え切れない数の図面を描いていますので、過去の自分の図面が何処かで散々文句を言われながら出回っていないかとちょっと心配になります。
とは言え何のヒントもないまま「最適な熱処理」などと注文されても、何をどう焼けばイイのかなんて見当が付かないですから、ここでは「どんな性質に注目すればいいのか」を起点としてハナシを進めてみます。目的に応じた熱処理のヒントになれば、と思っています。
強い材料というのは大きな力が掛かっても変形したり壊れたりしないことを求められます。つまり引張強さや降伏点の高い鋼材が‘強い’ということになるのですが、引張強さは硬さと相関しており、このままの解釈では「硬い=強い」ということになります。しかし硬いものは一般に脆さも併せ持ち、硬いほど靭性が低下して衝撃荷重に弱くなります。つまり硬さと靭性のちょうど良い頃合いのものが‘強い材料’であると解釈して下さい。硬さが同一であれば、靭性の高いものほど‘強い’とか‘強靭’と表現します。
鋼を強くするには調質 (焼入れ+高温焼戻し) によって結晶粒を微細化させ、ソルバイト組織を得る方法が一般的です。鋼材はS-C、SMn、SMnC、SCr、SCM、SNC、SNCMといった機械構造用鋼を選択します。炭素量が多いほど調質による強化が高くなる (つまり硬くなる) ので、必要とされる強度によって炭素量が決まります。また合金鋼になると合金添加による焼入性の向上により、太い製品でも芯部まで焼入れされるので、製品サイズによって鋼種を選択します。合金鋼は複数元素の添加により焼入性が相乗的に改善されるので、大きな製品では添加元素の種類が多い鋼材を使うことでJISに準じた強度を実現できます。つまり大きな製品を調質する場合は、材料の重量による原価アップに加え、重量単価そのものも高くなってしまうのが辛いトコロですね。
小さな製品でもあえて合金鋼を使う場面もあります。焼入硬さは炭素量によって決まってくるので、完全焼入れであれば炭素鋼でも合金鋼でも大差ありません。しかし合金添加された鋼のほうが焼戻軟化抵抗が大きく、焼戻後の性能では合金鋼のほうが優れているため、必要な性能によって鋼材を使い分けることになります。例えばS45Cの調質後の降伏点は490N/mm2以上ですが、同じ炭素量のSCM445では880N/mm2以上と剛性が高くなります。
構造用鋼として使用量の多いSS400は引張強さが400N/mm2以上で、降伏点は圧延時の板厚にもよりますが概ね200N/mm2前後です。もしこれを機械構造用合金鋼であるSCM435の調質品に置換えると、引張強さ932N/mm2以上、耐力785N/mm2以上となり、製品断面積を半分以下にできることになります。力学設計で弾かれた必要強度を実現するのに太い材料を使わざるを得ない場合、調質鋼を利用することで重量削減を狙うことができます。先程の「材料単価の増加」は、使う材料の重量が減れば相殺されます。ただしここに熱処理費用が乗っかってきますので、トータルでは割高になるでしょう。しかし機械要素の軽量化は、その機械を動かすのに必要なエネルギーを減らすことに繋がり、自動車で言えば燃費の向上、産業用機械なら電気代の削減となります。
小さな製品ではオーステンパという熱処理を利用する手もあります。等温変態によってベイナイト組織を得る方法です。同じ硬さ (つまり同じ引張強さ) に調質した鋼に比べて伸びや絞りが改善し、衝撃値が大きく向上します。つまり硬い上にネバっこい部品を作ることが可能で、板ばね部品のように高サイクルの繰返荷重を負担する部分などで利用されます。処理可能サイズの小さいことが泣き所ですが。
熱処理以外では加工硬化の利用が挙げられます。冷間加工によって転位密度が上がり、お互いに絡み合うことで、転位が固定され塑性変形しにくくなります。使い古したノック式ボールペンがあったら中のバネを取出してニッパーで切ってみて下さい。同じような太さの針金を切るよりはるかに硬いことが解ります (刃こぼれしないように注意して下さいね)。このような常温使用の小さなバネは高炭素鋼の引抜材を使っており、冷間加工によって硬く強くしています。
加工硬化に熱処理を組合わせた処理もあります。冷間加工後に300℃程度に加熱するブルーイングでは、転位の隙間に炭素などの元素が集まって安定させることで転位が移動しにくくなる、コットレル効果と呼ばれるメカニズムで硬くなります。熱処理後に冷間加工するパテンチングという方法もあります。等温変態によって微細パーライト化した線材を伸線加工することで強化するという工程で、ピアノ線などに利用され、1500N/mm2クラスの超強力鋼となります。冷間ではなく熱間加工と熱処理の組合わせもあり、S曲線のベイに等温保持し、過冷オーステナイト状態で塑性加工を加えるオースフォームでは、焼入れによるマルテンサイトが塑性加工による外力で更に微細化され、2000N/mm2クラスに達します。自動車メーカーのサイトを見ていると、フレーム材としてこのような加工熱処理によるハイテンの使用をアピールしているページをよく見かけます。このようなサイト内では、例えば‘1500MPa級ハイテン’のような表記がされていますが、‘MPa=N/mm2’ですので、「断面積1mm2当り1Nの力を受ける応力が1MPa」ということになります。本サイト内では「断面積1mm2当り」であることを強調したいために‘N/mm2’と旧来の圧力単位に即した表記で統一しています。
硬さを得るには何と言っても焼入れです。何のために硬くするのかによって必要な硬さが求められ、その硬さにするにはどの鋼材を使えばいいかということで材料選定します。「焼戻し温度を高くすれば軟らかくなるんでしょ」と変な硬さ指定で処理依頼をすると、硬さによってはその鋼に適さない焼戻温度を採用せざるを得なくなって、衝撃値が低くなるなどの弊害も出てきます。
硬さの利用で一番に思い浮かぶのが刃物の硬さで、切断対象より硬いことが必要になります。野菜を切る包丁なら野菜より硬くなければならないし、紙を切るハサミは紙より硬いワケで、硬さの差が大きいほどいいのですから、刃物はとにかく硬いことが求められます。炭素量の多い鋼材を選び、その鋼材の最も硬い状態で使うことが基本となります。つまり高炭素鋼を完全焼入れして、低温焼戻しで硬さの低下を最小限に抑えて内部応力を低減させ、焼戻温度以下の環境で使うという条件になります。このような用途ではSK材の使用が考えられますが、包丁やハサミのように、水に触れたり、ヒトが手で触ることの多い刃物は、錆びるのをイヤがってSUS材を使用するのが現在では主流です。
工場内の刃物では旋盤で使うバイト、フライス盤のエンドミル、ボール盤のドリルなどが代表的ですが、これらはSK材ではダメです。加工時に発生する熱で刃先温度が上って軟化してしまうので、高温でも硬さが低くならない鋼材が必要です。このような用途になるとSKSでも物足りなくなり、SKHの出番となります。高速連続切削が当り前の現在では、更に高性能な超硬合金の刃物が使われています (これはもう鋼じゃないですケド)。
硬さが必要な場面は他にもあって、摺動面や転動面の耐摩耗性を高くしたい場合はSK、SKS、SUJなどの使用が考えられます。焼入れ+低温焼戻しで硬いマルテンサイトの所どころから更に硬い炭化物が顔を出し、摩耗しにくい組織にして、接触面は研削仕上げで良好な表面粗さとします。使用環境が高温であればセミハイスやSKH、高温用のSKDなども選択対象となりますが、潤滑油の使用に制限があり難しくなります。
先述の「硬い=強い」の図式から、繰返荷重を受ける機械要素の耐疲労性を向上させるために、製品表面のみを硬くすることもあります。製品強度は材料の引張強さや降伏点を根拠としていますが、機械が壊れる原因はこのような軸方向に対して平行な荷重で壊れることよりも、軸方向と直角なラジアル荷重であることの方が多く、回転しながらこのような荷重を受ける場合、ある一箇所に注目すると引張と圧縮を交互に受け持つようなカタチになります。またこのような荷重は表面部分が最も大きく、中心部は引張と圧縮が反転する部分でゼロになり、表面の強さが重要であることが解ります。構造用鋼を調質し、強靭さを与えた上で表面だけを高周波焼入れしたり、ショットピーニングで加工硬化させるなどして表面を硬くする方法が利用させています。これらの硬化処理は表面圧縮残留応力を発生させるので「引張りで壊れる」という宿命を持つ金属材料にとっては、製品表面で引張荷重をキャンセルする働きを持たせることは効果倍増となります。「硬いほど疲労に強いなら全部硬くてもイイじゃん」というツッコミもあるでしょうが、芯まで硬いと衝撃に弱くなる上、全体焼入れの場合、表面に引張残留応力が発生するという宿命付けられた部分もあり、賢い方法とは言えません。
金属は加熱すると軟らかくなり、熱間加工はこの性質を利用しています。鉄を赤くなるまで熱し、ハンマーで叩いて形を変える鍛冶屋さんの映像を見たりしますよね。工業分野での大量生産ならなおさらで、材料を熱くするためにエネルギーを必要としますが、加工時に必要な力は少なくて済み、トータルでは省エネになっています。そもそもムリな冷間加工で製品表面がひび割れたりしたら使い物にならないのですから。
常温で行う機械加工でも、加工品は軟らかいほうが加工性は良くなります。硬ければ削りにくく、軟らかいほど削りやすいのは当り前ですよね。鋼を軟らかくするには焼なましを行います。中でも球状化焼なましは極軟状態となるので、炭素量が多い鋼では必須の熱処理となります。乱暴な言い方をするとS-C材とSK材とでは炭素量が違うだけなのに、SKのほうが値段が高いのは、材料出荷前の球状化焼なましが響いてくるためです。
始めは軟らかい状態でも冷間加工を行うと加工硬化で硬くなります。一回の塑性加工で製品化できるものでない場合、後工程になるほど硬さがジャマして加工がツラくなってきます。そこで加工工程間に熱処理を挟む軟化焼なましが行われます。冷間加工された鋼は再結晶温度が下がり、短時間で再結晶するので、少ない熱エネルギーでも鋼を適度に軟化させることができます。加工プロセスの間で行われることから中間焼なましと呼ばれます。
一般に硬いものほど脆くなります。つまり衝撃荷重を受ける部分が硬いのは考え物です。硬い上に衝撃に強くしたいなら、適切な材料で適切な熱処理を行う必要があるのですが、これとて限界があり、衝撃を受け止める軟らかさが必要な場面も多く存在します。
このように鋼を軟らかくする必要のある場面も多く存在し、そのために行う熱処理が焼なましというコトになります。冷間加工で硬くなった組織を軟化させるには再結晶温度以上、パーライト化による軟化や球状組織を得るためにはA1点またはA3点以上に加熱して除冷するのが基本です。軟らか過ぎない適度な硬さを要する場合は、冷却速度を少し速めた焼ならしをすることもあります。
ムリヤリ硬くするのが焼入れ、ムリに軟らかくするのが焼なましということになるのですが、無理をさせずに自然に冷やしてやる熱処理が焼ならしで、これが鋼の標準状態ということになります。焼入れでは硬さが最大となる一方、処理品の受けるストレスも最大で、割れや曲がりを発生しますが、焼ならしではストレスが少なく、トラブルフリーの熱処理です。また、焼なましは強制的に軟らかくさせることによりパーライトが粗くなりますが、焼ならしは結晶が細かくなって強靭さを得られます。適度に硬く粘り強い、鋼本来の性質となります。焼入性の悪い鋼種で調質すると、表面と内部の性能差が大きくなってしまいますが、焼ならしだと内外差が小さくなり、かえって好結果を生むこともあります。
焼ならし作業は均一オーステナイト状態から空冷する操作になるのですが、大物になると冷却速度が遅くなり、焼なましと大差なくなってしまいますので衝風冷却や、場合によっては液冷とするコトもあります。また季節によって冷え方が違うので、冬場に良かったものが夏には強度不足となるケースもあります。冷却に気を使う点では焼入れよりもデリケートなものかも知れません。標準状態は、亜共析鋼なら初析フェライト+パーライト、過共析鋼なら初析セメンタイト+パーライトですから、冷却速度が適正かどうかは、結局処理品を切断して組織観察するしかなさそうです。冷却が速いと表面にマルテンサイト組織が現れ、冷却が遅いと結晶粒が微細化しません。
圧延材は加熱状態で塑性加工され、その後放冷されるので焼ならし材だと勘違いされている向きもあります。冷却方法だけ見れば確かに「自然な冷却」となるのですが、熱間加工の加熱温度は加工性を重視して焼ならし温度よりもかなり高い温度となります。また加工中に温度が下がり、放冷開始温度を制御したりはしていません。更に冷却開始に適した加熱保持をしているワケではなく、加熱温度、保持時間、冷却速度に気を使った熱処理とは言えない状態です。温度や時間、冷却速度をコントロールできなければ焼ならし品とはならないので、圧延後の自然冷却は焼ならしではありません。圧延品を再加熱して空冷することで焼ならし品と呼べるようになるのですが、とは言っても加工残熱を無駄にするのはモッタイナイので、圧延後にそのまま熱処理を行えば省エネになりますよね。
焼ならしで鋼を標準状態にするのは、ガチな熱処理に比べてやや物足りなさを感じますが、使い方によっては有効な手段となります。炭素量の少ない鋼では、焼なましで軟らかくなり過ぎ、粘っこく (と言うよりネチっこく) なって切削性が悪化するのですが、焼ならしすることでサクサク削れるようになりますし、焼入性の悪い構造用鋼で調質の内外性能差を軽減するために適用すれば、ウィークポイントを無くすことができます。「硬いけど内部はショボい」より「たいして硬くないけど内外差は少ない」ほうが好ましい場合もあるワケですね。
摩耗に強い部品を作りたければ、摩耗のメカニズムを理解しておかなければなりません。摩耗に関する研究はトライボロジーという学問体系として確立されており、専門書もあるので、勉強してみるのもいいでしょう。対象となる部品がどのように摩耗していくかを考えて、それに適した対策を講じることで大きな効果が得られます。
摩耗の進行は、引っかき摩耗、凝着摩耗、転がり摩耗に大別されます。引っかき摩耗は相手材が硬い場合に、文字通り引っかかれて擦り減るものです。摺動面の相手材がサンドペーパーになっている状況を想像してみて下さい。スライドさせるたびに摩耗していく様子が理解できますよね。もちろん摺動面をサンドペーパーにすることはないのですが、例えば炭素鋼に対してスライドさせると、セメンタイトがサンドペーパーの砥粒のように働きます。また摩耗が進行すると摩耗粉が摺動面に留まって更に摩耗を進行させます。次の凝着摩耗は、相対する2面の微小突起が相対運動によって接触したときに付着し、引離される段階で脱落して擦り減るものです。それぞれの材質が合金を作りやすいほど進行しやすく、また高速運動で突起衝突時の温度が高くなるほど発生しやすくなります。転がり摩耗はボールベアリングのボールとレースとの関係のように、部分接触するところで発生する摩耗です。接触面より少し内側に最大剪断応力が発生し、そこから亀裂が伸びて剥がれ落ちるように減っていく現象です。
表面がデコボコしていれば擦り減るのも道理で、耐摩耗部分は研削仕上げ以上とするのが第一歩です。表面粗さが小さいことが耐摩耗のスタートとなります。表面粗さの記号としてよく使われる三角マークなら、三角3つ以上にはしておきたいですね。コストはかかるケド。
摩耗対策で最初に行われるのは潤滑です。滑る部分に油を差すってコトですね。相対運動する面が油膜によって直接接触しなければ擦り減ることもないワケです。つまり油膜を如何に切らさないかということが重要で、摺動面の面粗度を小さくする、油溝などを適切に配置する、接触面を広くして面圧を下げるなどの工夫により潤滑の効果を引き出すことができます。潤滑油は循環させてフィルター濾過すると、摩耗粉を分離できるため、引っかき摩耗を低減させることができます。潤滑効果を持続させるために定期的なオイル交換やフィルター清掃が必要なのは、自動車のエンジンで誰もが経験していることでしょう。凝着摩耗に対しても潤滑は有効で、そもそも直接接触しなければ凝着も起こらないし、また潤滑剤によって摺動面の温度が下がるので凝着を抑えることができます。凝着を防ぐ方法として良く使われるもうひとつのテが異物質の使用です。シャフト部分が強靭さを求められることを理由に鋼の焼入品とされた場合、軸受を銅合金製のメタルベアリングとしてやることで凝着を抑えようという方法です。軸受を樹脂性にすることもあり、鉄と樹脂なら凝着を起こすはずもありませんが、剛性には少々難があります。鋳鉄も耐摩耗用途で使われます。鋳鉄の中の黒鉛が潤滑剤として機能するので、オイル潤滑が難しい部分などに有効です。自動車のピストンリングに使われていたりします。
滑りが良ければ摩耗しない、というアプローチもあります。浸硫処理で摩擦係数を低下させたり、テフロンコーティングで滑りやすくするなどの方法です。この場合も表面が滑らかでなければ引っかかるのですから、仕上状態を良好なものとしたところでコーティングを上乗せするようにしなければなりません。
熱処理を施すことで擦り減らないようにしたい場合、摩耗に対抗するにはとにかく硬さです。硬ければ硬いほど擦り減らないワケです。例えばS45Cは調質して201〜269HBで使うのが「教科書通り」な熱処理ですが、充分に小さなものでバッチリ焼入れされたものは55HRC程度が期待できます。低温焼戻しでも50HRC以上なので、耐摩耗用途にも使い得る材料となります。過共析鋼になるとセメンタイトが耐摩耗性に効いてきます。SK105を焼入れて低温焼戻しすると60HRCを超え、均一分散した球状セメンタイトが表面に顔を出し、硬い素地からもっと硬い‘石ころ’が所どころに散在する状態となって、耐摩耗性が高くなります。
熱処理後の硬さだけでなく、熱処理によって得られる組織、特に炭化物の状態によって耐摩耗性は左右されます。例えば焼入れによって60HRC前後で使用する鋼材を並べてみると、SK105、SUJ2、SKS3、SKD11などがメジャーどころでしょうが、硬さは同じでも研削加工では後列のものほど嫌がられます。後に並んだ鋼材ほど研削加工しにくいのです。研削しにくいということはすなわち磨耗しにくいということで、つまりは耐摩耗性が高いというコトになります。これらは炭化物の種類と量に大きな違いがあり、SK105に含まれる炭化物はセメンタイトのみですが、SUJ2になると1.5%添加されたCrがクロムカーバイドを形成します。クロムカーバイドはセメンタイトよりも硬く、研削性を阻害します。SKS3では1%Cr+1%Wにより、クロムカーバイドとタングステンカーバイドが組織中に分散しますが、タングステンカーバイドは鋼に含まれる炭化物の中では最も硬い部類のものです。SKD11では10%を超えるCr添加と少量のV添加が多くの炭化物を形成し、非常に研削しにくい、つまり耐摩耗性の高い状態となります。
機械が機能実現のために動く部分は潤滑によって摩耗しにくくすることができますが、例えば生産品に直接触れる治具部分で油分が許されない場合などは、潤滑できない状態での耐摩耗性となりますので、相手材より硬いほど持ちが良くなります。ただし加工硬化による硬さは耐摩耗性には効果がありません。加工硬化は冷間加工によって転位が移動できなくなることによる硬さで、組織そのものが硬くなっているワケではないため、擦り減り方は冷間加工前のものと大差ありません。マルテンサイト化による硬さが、耐摩耗性には必要です。
「擦り減るのは表面なんだから、表面を硬くすればイイんでしょ」というアプローチが表面硬化処理です。熱処理なら浸炭や窒化、高周波加熱などによる表面焼入れ、硬質膜を形成させるコーティングなどが行われます。熱処理によらなくても硬質クロムメッキなどは立派な耐摩耗処理です。硬い表面がなくなるまで擦り減ってしまっては、もはや軸受に対してガバガバ状態で、完全に寿命となるので、表面だけ硬くすれば用を足します。ただし厄介なのが転がり摩耗で、摩耗起点が最表面の少し内側となるので、メッキなどの薄膜では防ぎ切れない摩耗です。窒化のように硬化層が薄いのもダメです。浸炭焼入れや高周波焼入れの場合、最大剪段応力の発生する位置より深くまで硬化させるように設計しなければなりません。
温度が高い環境での耐摩耗性が必要なものもあります。高温ではオイルが機能せず、耐摩耗部品の硬さで勝負ということになるのですが、硬さというものは温度が高いほど低下するワケで、高温でも硬さが下がりにくい鋼材が選ばれます。例えば高速度工具鋼は高温焼戻しによる二次硬化が大きく、工具鋼中では最大級の硬さが得られる上、高温になっても硬さを維持する特長があります。高温状態から常温に戻ったときに硬さが下がりにくい、いわゆる「焼戻軟化抵抗が大きい」だけではなく、「高温環境中で硬さが下がりにくい」つまり「高温硬さが高い」のですから、加工熱で刃先が高温になるような切削加工にも使えるわけです。
耐摩耗性というと「焼入れで硬くする」という方法を真っ先に思い浮かべがちですが、決して硬いとは言えない銅合金、鋳鉄、樹脂などを耐摩耗部品として使うこともあるし、硬さを利用する場合も、炭素鋼や軸受鋼などでは低温でしか使えない点に注意しなければならなかったり、そして何より、どうやって潤滑するかを考えるのが最も有効だったりもします。潤滑は摺動摩耗にも転動摩耗にも有効な減摩対策なので、まずは潤滑方法をよく考えて下さい。また潤滑油の防錆能力も耐摩耗にとって有効です。錆びは脆いため摩擦によって脱落しやすく、フレッティングコロージョンと呼ばれる腐食摩耗の原因となります。摩耗の進み方を正しく想定して、有効で低コストな方法を検討しましょう。焼入れさえしておけば減らないってワケでもないですよ。ホントに。
金属製品の破壊で最も怖く、最も厄介で、そして最も多く事故に繋がるのが疲労破壊です。列車や飛行機、船舶など交通機関の事故、鉄塔や橋、歩道橋など構造物の倒壊、そして遊園地のジェットコースターや公園のブランコに至るまで、疲労破壊が原因とされる事故のニュースは後を絶ちません。延性破壊の場合、破壊に至るまでの時間が長く、前もって基準を超えた変形を発見できれば事故には至らないのですが、延性材料を使っていながらも脆性破壊する金属疲労は予見が難しい現象です。
一般構造物の場合、軟鋼を使うのが基本です。充分な強度を持たせた上で、風や波、移動体 (人やクルマ、エレベータなどですね) の負荷変動を分散し、局部的に集中させないような設計をします。東京タワーなんかを見ていると、鉄骨の組み方によって力を分散させ、どのようなストレスに対しても応力集中を起こさないようにしているのだろうなぁと感心します (建築設計ができるわけではないので詳細は知る由もない)。近代の高層ビルになると強度の高いハイテンを使っていますが、金属疲労に気を使うのは同様です。
機械構造物でも疲労に関する設計は適切な安全率の設定と応力の分散が基本です。機械部品は機能実現のために複雑な形になってしまうのですが、部品の形状変化が激しいと応力集中を起こすので、できるだけ緩やかに形が変わるようにしなければなりません。段付加工部分をテーパにしたり、大きなRを付けたりという工夫です。例えば歯車の刃底はカクっとしたものが多いのですが、疲労が問題になるほどの大きな変動負荷を受けるのであれば丸底にすると疲労強度が高くなります。
熱処理による耐疲労性向上では硬さを利用します。硬いほど引張強さが高く、つまりは強くなるのですから、疲労破壊の起点となるクラックの発生を抑えることができます。ただし衝撃負荷に対する脆性破壊の危険性が高くなるので、少々アレンジが必要です。機械部品の受ける荷重は曲げや捻りです。純粋な引張荷重で壊れる場面というのはなかなかお目にかかることはありませんし、そもそもそんな壊れ方をする機械は単純な強度設計ミスです。曲げや捻りは表面が最大負荷となり、反対側に向かって直線的に負荷が減って行き、中心部ではゼロになって反対面では逆向きの負荷となります。つまり中央部は負担が少なく、表面が硬ければ疲労に強くなることになります。そこで浸炭焼入れや高周波焼入れなどで表面だけ硬くしてやると、疲労強度はグンっと良くなります。
表面硬化による耐疲労性の向上策は、表面圧縮残留応力の発生というもうひとつのメリットがあります。浸炭焼入れの場合、表面は高炭素マルテンサイトによる膨張が大きく、中央は低炭素マルテンサイトもしくは微細パーライトとなっているので焼入膨張は少なく抑えられます。この結果、表面部分はお互いに押合った形となり、圧縮残留応力が発生します。高周波焼入れでも同様で、中央が調質によって残留応力の少ない状態になっているところに、表面のみ焼入れすることでマルテンサイト膨張するため、圧縮残留応力を生みます。通常の焼入れは表面から中心に向かって変態が進むことによりマルテンサイト膨張の発生時期が遅れる芯部が外側を押すようになり、結果的には表面に引張残留応力を生み出すので耐疲労性にとってはマイナスに働きます。ばね鋼の焼入品などは疲労対策として浸炭焼入れや高周波焼入れを利用できませんが、ショットピーニングによる表面圧縮残留応力の発生を利用するという方法が採られます。
表面硬化を耐疲労性を目的として利用する場合、硬化層深さが重要な要素となってきます。表面圧縮残留応力は中心部に向かって減少していくのですが変化が直線的ではなく、急激な減少を示した後、引張残留応力に転じる部分があって母材硬さに至ります。これに対して曲げや捻りの負荷は、表面の最大負荷から中心のゼロ点までが直線的に変化するので、この“圧縮残留応力が急激に減少する部分”や“引張残留応力に転じる部分”が比較的浅いと、そこがウィークポイントとなってしまう可能性があります。またこのような圧縮残留応力の減少部分は、円周方向の圧縮応力により表面が押合っていることで、芯部とは離れたがっている、つまり直径方向への引張残留応力は最大となるワケですから、剥離亀裂発生の危険性もはらんでいるコトになります。硬化層深さを適切にすること、残留応力分布が急激な変化をしないことでこれらのリスクを回避できるようになります。また硬化層が深いほど、圧縮残留応力の変化が緩やかになる傾向もあるので、耐疲労においては応力変化の激しい浅焼きは禁物です。
とはいっても、圧縮残留応力がどのような変化を示すかを測定するのは難しく (X線回折で測定できるらしいケドちょっと厄介)、評価に困ってしまいます。マルテンサイト化による体積膨張が圧縮残留応力を生むのですから、応力分布は硬さに対応していることになり、中心部に向かって硬さの変化が少ないなら応力変化も少ないと考えて差支えないでしょう。硬さ曲線を作ったときに、硬化層深さが適正であることに加え、硬さの変化が緩やかであれば疲労に強いと評価できます。
靭性とは材料の粘り強さであり、衝撃吸収エネルギーや抗析力が大きい、引張試験において伸びや絞りが大きいことと関係付けられます。そして一般に軟らかいほど衝撃値は高くなります。実際に硬さと衝撃値にはそれなりの相関がありますが、硬さが同じでも衝撃値に違いの出るケースもあります。硬さとの関連ではない原因で脆性を示す例としては、低温脆性、赤熱脆性、青熱脆性、焼戻脆性などの他、結晶粒度との関連も頭に入れておかなければなりません。耐衝撃性を高めるにはこれらのケース毎で異なった対策を採ることになります。
低温脆性は環境温度が低くなっていくと、ある温度から下で急に衝撃値が悪化する現象です。まるで金属が凍り付いて割れやすくなるかのような印象ですね。この「ある温度」を遷移温度と言い、遷移温度が低い鋼ほど低温でも安心して使用できます。低温脆性対策については後述します。
赤熱脆性は高温での脆性で、鋼が赤くなるほど熱くなった状態で脆さを示すためこう呼ばれます。鍛造割れなどの原因となり、Sが多いと脆化しやすくなるので、Sの少ない清浄な鋼を選ぶことが肝心です。
テンパカラーが青みを帯びるような温度で加熱することにより脆性を示すのが青熱脆性で、300℃付近での加熱によって脆化します。300℃と言えば構造用鋼の焼戻しではタブーとされる温度帯であり、靭性を要する部品はくれぐれも300℃で焼戻ししないようにして下さい。その一方で高合金鋼では靭性の極大値が300℃付近にある鋼種も存在しますので、この辺りは材質と要求硬さとの兼ね合いってコトですかね。青熱脆性を逆に利用した例として、加工硬化した線をバネに成形した後、300℃付近に加熱するブルーイングという処理もあります。素材としての靭性が低下するのは焼入鋼と同様なのですが、引張強さの極大値がこの温度帯で現れるので、弾性限度が高いことを求められる冷間成形バネにおいては好都合な温度になります。構造用鋼の300℃脆性は低温焼戻脆性とも呼ばれ、熱処理業者にとっては「やってはならない」焼戻温度の代表格です。用途によって避けられたり (構造用鋼における300℃脆性)、逆にあえて利用されたり (冷間加工品における青熱脆性) する、ちょっと興味深い温度での脆性ですよね。
材料選定においては不純物の少ない物が靭性面で有利です。特にP (低温脆性) やS (赤熱脆性) は少なくなければならないため、JIS鋼材のほとんどで上限を厳しく規制されています。清浄な鋼を使えば偏析も減って、衝撃荷重に対する弱点が少なくなります。原子の結び付きが弱いところから亀裂になるのがダメなのですから、溶媒となる金属元素と親和性の低い不純物が脆化を促進するのは、当たり前と言えば当たり前です。
その一方で、不純物がどうであっても脆くなるのが熱処理の不備による脆化です。先述の低温焼戻脆性の他に、500℃付近で現れる高温焼戻脆性もあり、構造用鋼では2つの焼戻脆性に注意が必要です。しかし焼戻工程が適正であっても、焼入温度が高いなどの理由によって結晶粒が粗大化するのも、靭性面では招かれざる状況です。また同じ硬さであっても完全焼入れから高温焼戻しで靭性を高くしたものと、不完全焼入れで同じ硬さにしたものとでは衝撃吸収エネルギーは不完全焼入品のほうが低くなります。つまり熱処理によって鋼に強靭さを与えるには、過熱や長時間保持による結晶粒の粗大化を防ぎつつ、十分な冷却速度によって完全焼入組織を得た上で、脆性を示す焼戻しをしないように調質してやらなければならないという、結構イロイロな「やっちゃダメ」なことを避けるようにしなければなりません。そして完全焼入組織を得るには製品サイズに応じた適正な材料選定が不可欠で、高靭性な部品が作れるかどうかは、図面を描く段階で決まってしまうコトになります。
バネを伸び縮みさせると、大きく変形して元に戻るトコロから軟らかさを感じます。しかしこれに反してバネの材料となる鋼は結構硬く、40HRC以上はあるでしょう。バネで重要なのは縮んだ後で“元に戻る”ということです。縮んだまま戻らないのは塑性変形しているということで、塑性変形のしにくさが求められるということは、すなわち硬さが求められているというコトです。
小さなバネではピアノ線などの加工硬化鋼線が使われます。固い素線をコイル成形するのは、ちょっとムリヤリっぽい感じもしますが、成形後のスプリングバックも考慮して成形寸法が決められています。大きなバネではばね鋼を熱間成形し、焼入焼戻しで所定の硬さを得ます。ばね鋼には単なる炭素鋼の他、合金添加鋼もありますが、どの鋼種であっても目的とする硬さに大差はなく、処理品の径によって焼入性を考慮した材料選定となります。炭素鋼でバネを作るならS55CやSK85など、焼入効果能のある材料であれば採用可能です。しかしコイルばねの場合、このような材料で焼入可能な直径のバネとなるとピアノ線で作ってしまえる範囲とカブってくるし、大径になれば焼入性の観点から合金添加されたSUPを使うことになるので実際の使用例は見たことありません。ただしSUP材は熱間成形の大型ばね用という色合いが濃く、鋼板として流通していないのか、皿バネや薄板バネではSK85などの採用がほとんどです。このようなバネで使用する‘ばね用冷間圧延鋼帯’(JIS G 4802) という材料が規定されており、S55C-CSPやSK85-CSPなど、末尾に‘CSP’が付きます。Cold Stripの‘CS’とSpring2文字目の‘P’を記号としています。ところでCSP材には高炭素のS-C材、工具鋼のSK95とSK85、ばね鋼のSUP10があるのですが、S-C材の中にS60C-CSP、S65C-CSP、S70C-CSPと、本家のS-C材にはない炭素量のものが存在します。随分と以前なのですが、材料欄に“S70C”と書かれているものに出くわしたことがあり「S70Cなんて存在しないでしょ」と何がなにやら解んなかったコトがあったのですが、後になって考えてみると、このS70C-CSPのコトだったのかなぁと思ったりもします。炭素量からするとSK材の範疇に入るのですが、旧記号において最も低炭素なのがSK7で、これは今のSK65に相当するのですが、SK60とSK70はもともと規格になかったので、苦肉の策としてCSPに限ってS65Cなどを規定したのでしょうか。だとするとその内S65C-CSPがSK65-CSPと改められるかも知れません。
SUP材やCSP材をバネとして使用する際の焼戻しは450℃以上の温度で、低温焼戻しではなく、かと言って調質にまでは至らない温度の採用となります。硬さの狙いとしては40〜45HRC程度で、硬過ぎては折れてしまうし、軟らかくなれば反発の弱い、ヘタリやすいバネとなってしまいます。このような硬ささえ得られればバネとして機能するので、焼戻しがやや中途半端な温度に感じられます。
バネに施す熱処理のもうひとつがオーステンパです。オーステナイト化の後、Ms点よりやや高い温度に等温保持して下部ベイナイト組織を得る熱処理で、別名ベイナイト焼入れとも言います。SK材などの薄板バネなどで利用され、焼入焼戻しで同じ硬さに仕上げた製品より高靭性を示します。また焼戻しが不要というのも量産品にとっては大きなメリットです。ただし製品サイズに制限があり、鋼材の成分にもよりますが、小径品や薄モノにしか適用できません。
鋼は炭素量が多いほど硬く、脆くなるので、一般に低炭素鋼のほうが衝撃値は高くなりますが、それに伴うかのように遷移温度は低くなってきます。セメンタイトが析出せずにフェライト単相となるような極低炭素鋼では遷移温度が例えば-100℃程度にまで下がり (熱処理などによって変化します)、人間の活動範囲においては事実上脆性が問題になることはありません。しかしフツーの炭素鋼では遷移温度が氷点近くにまで上昇するので、ヒトの生活圏温度でも脆性を示すようになって破壊の危険性が生じてきます。低温特性を良くするということは、一般的には低炭素化するということになります。また化学成分が同じなら、Pなどの不純物が多いほど、また結晶粒が粗大化するほど遷移温度は高くなります。
低温脆性を防ぐ方法としては、純鉄を使うとか、18-8ステンレスのようなオーステナイト鋼を使うのが有効です (面心立方格子で構成された材料は低温脆性を示さない)。しかしこれらの鋼では機械的性質が物足りない場合、どうしても炭素鋼や合金鋼を使いたくなります。その場合は調質して使用するほうが、焼なまし材よりも遷移温度が低くなります。成分としては不純物の少ない清浄な鋼を使い、低温脆性改善効果のあるNiやMnを含む鋼をチョイスするのも良い方法です。部品形状的には、切欠のない、のっぺらぼうな形状が良く、これは普通に靭性アップのためのアプローチと同じです。
身の回りの低温容器といえばプロパンガスなどのガスボンベがあります。材料として使われるのはSLA (L:Low temperature A:Al killed/JIS G 3126) 材というアルミキルド鋼で、SM材と同じくMn添加でPの影響を抑え、Si、Mn、Alでトリプル脱酸した強脱酸キルド鋼です。プロパンよりも低温となるアセチレンやアルゴン、酸素などのボンベではNi合金鋼の出番となり、SL-N (L:Low temperature N:Ni/JIS G 3127) 材などを使用することになります。Niは鋼の温度特性を向上させるのになくてはならない元素で、耐熱鋼や耐寒鋼に多用されます。更に沸点の低い液体窒素などになると、SUS材のお出ましです。低C高Niの低温特性向上に加え、鋼のオーステナイト化によって低温脆性を防止します。
熱処理を利用することによって低温に強くするには、調質や焼ならしによる結晶粒の微細化が有効です。どうやら金属材料にとって結晶粒を微細化させるというのは機械的性質向上にとってオールマイティで、ワタシは微細化に対する否定的な見解というものを見たことがありません。低温脆性対策としても結晶粒は細かいほどイイというコトです。
低温の次は高温です。対象品を使っている環境そのものが高温である場合、何℃であるかが決まれば対応は比較的簡単です。例えばボイラにSB材を使用する場合などがヒントになるでしょう。圧力容器自体は300℃程度の高温環境ですから炭素鋼でOKですが、水を熱する熱交換器部分は燃焼ガスに直接当るのでMo添加のSB材が必要になります。Moは鋼の高温強さや耐クリープ性の向上に効果があり、SB材でも使用温度上限を引上げることができる合金元素です。更に温度が上がって500℃クラスとなるとCr-Mo鋼が必要になり、600℃クラスではステンレス鋼が必要になります。
低温用ではアルミキルド鋼を使うのですが、Alはセメンタイトの黒鉛化を促すので高温用では使えません。高温用の工具鋼など、清浄鋼を要する場合は脱酸材のみに頼るのではなく、真空脱ガス等の物理的手法を併用しています。低温用でもうひとつ主要な合金元素であったNiは高温用でも使われます。700℃クラス以上の高温環境では、いままで添加元素であったNiが、Feに替って主役となる耐食耐熱超合金 (NCF/JIS G 4901/4902) が使われます。航空業界に携わる人ならインコネルなどのNi基合金名をよく耳にするのではないでしょうか。このようにNiは低温、高温のいずれにおいても重要な元素で、鋼の温度特性を良くするための主要合金元素です。
高温に曝されるもので主要な性能のもうひとつが高温硬さです。つまり高温構造用鋼では「高温になっても引張強さの低下が少ない」ことが求められ、Ni添加などが行われてきましたが、加工物との接触で刃先が高温になる切削工具では「高温になっても硬さの低下が少ない」ことが重要になり、硬さに関して貢献度の少ないNiは出番を失います。高速度工具鋼などを見れば解るように、WやMo、Cr、Vといった高温でもカーバイドが安定な炭化物生成元素の添加がメインです。
高温対応の熱処理におけるアプローチは焼入焼戻しです。構造用鋼ならソルバイト組織とすることが、工具鋼ならマルテンサイト中に高温で強いカーバイドを微細分散させることが重要で、焼戻温度は使用環境温度より高く採ることが基本となります。構造用鋼にとってはまたしてもソルバイト組織ですね。「機械構造用鋼は調質して使うのが前提」であることの意味が理解できるのではないでしょうか。工具鋼では高温焼戻しで硬さが低くならないことが必要になり、焼戻温度が高くなるほど硬さが低下するSK材などは高速切削に使用できません。SKD61などの高温金型用鋼やSKH51などの高速度工具鋼が対象です。これらの鋼は焼戻温度が高くなると残留オーステナイトが分解してマルテンサイト化することによる二次硬化や、高温焼戻しされても硬さが下がりにくい焼戻軟化抵抗の大きな点が特長で、また高温加熱中であっても硬さの低下が少ない材料です。
焼割れなどの熱処理によるトラブルでも、疲労破壊など使用時のトラブルでも、機械部品はデコボコの少ない単純形状のものが有利です。機能上どうしてもデコボコがある場合は、Rを付けたり面取りするなどしてピン角をなくすようにします。形状変化が大きいものほど、言い換えれば曲率半径の変化が急激なものほど、割れや疲労に敏感です。しかし“刃先”となると、丸くダレていては機能せず、カドが立っているほど切れるのですから、硬くして使用するものにとって悩ましい形状ですよね。形状設計における対策が取れないってコトです。
台所で包丁の切れ味が悪くなったときは砥石で研いで刃を立てます。ノミやカンナなどの大工道具も同様ですが、ノコギリやヤスリなどでは目立てが非常にメンドくさく、かつ難しいので、目立てが職業になっていたりもしました。ところが今みたいに大量生産、大量消費の時代になると、ワザワザ目立てするより、新しいものを買ったほうが安いし速いというコトになってしまいます。つまり使い捨てですね。カッターナイフは刃こぼれしたら先端を折り取って新しい刃先を作り、折った先っぽは捨ててしまいます。機械加工現場でもスローアウェイチップといって、工具の先端部分だけを使い捨てチップとしているものが多く存在します。
製品形状に合わせて特別に作った刃物である金型の場合、使い捨てというワケには行きません。当然ながら研削で新たなカドを立てて再使用します。金型を再研削している間は生産がストップするので、研削してから次に研削するまでのスパンをできるだけ長くしたいモノです。つまりカドが欠けにくくなるような工夫で刃先寿命を長くできれば、生産性も良くなります。そして刃先寿命を延ばすには材料や熱処理で何とかしないと、というコトになります。硬さを抑え気味にして欠けにくくする方法は常套手段ですが、一体どのくらいの硬さまで下げれば欠けなくなるのかはケースバイケースで、刃物形状に適した硬さを決定するには地道なデータ取りが不可欠です。焼入屋さんとの連携が必要となってくるワケで、信頼できる外注先を手に入れることが重要です。
現在、金型材料の主流は低温金型用鋼のSKD11でしょう。空冷鋼なので焼入変形が少なく、仕上加工の余肉が少なく済むので重宝されています。バイトなどの小さな刃物なら焼入後に仕上加工してもそれほど苦になりませんが、金型ともなるとサイズが大きく、仕上加工は非常に時間がかかる作業になってしまいます。以前はSKS3などを使っていたようですが、油冷なので変形が大きく仕上げが大変だったそうです。変形が少なく、硬さも60HRCが狙えるのでSKD11は金型用鋼としては文句のない鋼材ですが、顕微鏡組織は必ずしも‘最適’と呼べるようなシロモノではありません。炭化物が大きく、かつカド張っているので、材料内部に無数の破壊起点があるようなものです。チッピングと呼ばれるカド割れが発生しやすく、刃物としての切れ味が悪くなって、再研削までの刃先寿命に難があるというのが泣き所です。SKD11はCrを12%も含む高合金鋼で、CrはCとの親和性が高くクロムカーバイドを形成するのですが、これが球状化しにくく、巨大炭化物として不均一に分布する組織になってしまうという、今まで散々「組織の微細化」と叫んできた理想像からは程遠い鋼材です。そのため材料側からのアプローチが盛んで、各特殊鋼メーカーから多くの改良鋼が販売されています。カーバイドが細かく均一に分布していることが耐チッピング性に有効なので、当然そのような工夫がされていますから、カタログで顕微鏡写真を見比べて割れにくそうな材料を試してみるのがイイでしょう。「ダイス鋼でダメならハイスで」と安直に考えて素材をグレードアップさせる金型屋さんも多いのですが、実際の金属の‘姿’を見て結果を予測するようになることを目指して欲しい気もします。ただし材料メーカーとしては、比較対象鋼の“最悪”な組織写真を、PRしたい改良鋼の“最良”な組織写真の隣に印刷したくなる心理も考慮して判断して下さい。
鋼は鉄の埋蔵量が多く価格的にも安い金属であり、熱処理によって性質を変化させることが容易なため利用しやすい材料ですが、錆びやすいのが泣き所です。錆びるということは、酸素と化合して酸化鉄になるというコトなのですが、酸化するかどうかという点で言うと、実はアルミニウムやクロムなどは、鉄よりも酸化しやすい金属です。これらの金属が錆びないのは、酸素との結合が非常に強く、いったん酸化物になるとそこから先に進行しないためで、表面が非常に薄い酸化物皮膜で覆われることにより腐食が進まなくなり、結果的に腐食しないというメカニズムです。一方で鉄が錆びると表面の酸化鉄が触媒となり、内部に向かって酸素が移動して行って、腐食が進みます。
Crは合金鋼添加元素としてお馴染みですが、これの添加量を増やすことで、Crの酸化物皮膜による腐食の進行防止を図ったのがフェライト系ステンレス鋼です。Cr添加量は13%以上と多く、その分コスト高となってしまいます。成分表を見ると解るのですが、ステンレス鋼は焼入強化機構を利用するマルテンサイト系ステンレス鋼以外は非常に低炭素です。炭素が多いと腐食しやすいということです。つまり純鉄は鋼材に比べて錆びにくい金属で、鋼が熱処理で性質を変化させることができる点ではありがたいものの、そのために重要な要素である炭素が腐食を助長するとは、イタしカユしですね。
錆びにくい鋼の代表であるオーステナイト系ステンレス鋼はCr18%、Ni8%が代表的な組成で、18-8ステンレスと呼ばれます。Crによる保護皮膜に加え、Niの多量添加で鋼をオーステナイト化させることで更に錆びにくくしています。オーステナイト化のためには固溶化熱処理が必要で、処理内容は焼入れと同様です。つまりオーステナイト系ステンレス鋼における固溶化熱処理とは、組織を総て残留オーステナイトとする操作であると言えます。通常は材料出荷段階で固溶化熱処理が行われていますが、オーステナイト組織は冷間加工などのストレスによって変態するので、プレス加工品や溶接品は、製品形状になった後で固溶化熱処理を再度行わなければなりません。
素材自体が錆びにくいのに越したことはありませんが、機械的性質の要求からどうしてもステンレス鋼以外の強靭鋼を利用する場合は他の防錆策を講じることになります。手軽なのはペンキ塗装やメッキなどで表面を隠してしまう方法です。硬質クロムメッキであればある程度の耐摩耗用途に利用することも可能です。防錆目的で黒染めを行うというのを聞いたりもしますが、黒染めは防錆能が低く、人の手が触れるような場所での利用はおススメできません。
結局のところ、鋼材の錆びはある程度‘仕方のないもの’として付き合っていかなければならない側面があります。機械寿命に至る前に、腐食でダメになってしまう機械要素というものはそれほど多くないでしょう。そして錆びないようにする最も有効な手段は「使い続ける」ということです。使われている機械というものは潤滑油が各部に行渡り、これが防錆油として働くので、常に使って油膜を切らさないことでさびの発生を抑えられます。また使っている機械というものは定期的に掃除されると思うのですが、キレイに掃除された機械は錆びにくいものです。放置されて埃がたまると、埃が空気中の湿気を捉えて錆びに繋がってしまいます。
海洋沿岸部における耐塩水性、化学プラント設備に求められる耐薬品性、高温部品における耐酸化性など、特殊な環境における腐食に強くするには個別の腐食環境に応じた対応が必要になります。こうなってくると、もはや鋼材のカバーできる領域でなくなることもしばしばで、アルミニウム合金や銅合金、チタン合金や耐熱超合金など、鋼以外の材料でなければ満足できない場面もあるのですから、これらに関する知識も求められます。とは言え鋼の持つ優れた機械的性質を使いたいという要求も捨て切れないので、ここではステンレス鋼に絞った使用例をいくつか掻い摘んでみましょう。腐食のメカニズムは色々なパターンがあり、ひとつの鋼種で何にでも強くするということは不可能なので、ステンレス鋼には多くの種類があります。
オーステナイト系ステンレス鋼の場合、まずは最も代表的かつ入手性の良いSUS304を選択することになります。SUS304で問題となりやすいのが粒界腐食で、炭素量を更に抑え粒界腐食に強くしたのがSUS304Lです。ほんの少しではあってもCが存在すると、Crと結合して炭化物を作ってその回りが低Cr化するため、部分的に耐食性が悪くなるという現象を抑えるため炭素を極限まで減らしているワケです。高温酸化に強くするため高Cr、高Ni化を進めたのがSUS309SやSUS310Sですが、合金元素の増加に伴い材料費は高くなります。ハロゲン侵入による孔食が問題となる場合、Mo添加のSUS316/317系統が使用されます。
オーステナイト系ステンレス鋼の耐食性を発揮させるには固溶化熱処理を要しますが、処理品が大きくなると加工後の熱処理が困難になってきます。そこで大モノでは固溶化熱処理を必要としないフェライト系ステンレス鋼を使います。高Cr化による耐食性のみを利用したステンレス鋼で、オーステナイト化を促すNiを添加しません。SUS405などの13%Cr系とSUS430を基本とする18%Cr系とがあり、一般にCr量が多いほど耐食性は良好です。
耐食用途で怖いのが、粒界腐食や孔食、応力腐食割れなどの部分腐食による破壊です。全体が徐々に錆びていくのは寿命を見定めやすいのですが、下手に耐食性が高くて一部分だけ腐食が進むというのは、知らない間に寿命を向かえて突然壊れるという危険性をはらんでいます。高温や強酸、塩素イオンなどの腐食環境はこのような特殊なコワれ方を助長する場合があり、ステンレス鋼では部分腐食に対して特に気を使った鋼種が多く存在します。また熱処理に不具合があると脆化する場合があり、保持してはいけない温度帯が存在するので注意して下さい。
どのような材料にも内部応力は存在します。内部応力というのは金属材料が鋳造や熱間加工、熱処理などで冷却される際に冷え方の内外差で生じる熱応力、冷間加工や機械加工で生じる加工応力、焼入れなどの同素変態を利用した熱処理において生じる変態応力などがあり、外観からは存在を察知することができない応力です。機械加工に従事している人なら、切削加工中に素材がどんどん曲がっていく現象に遭遇したことがあるのではないでしょうか。これは内部応力で押合ったり引合ったりしている部分が機械加工で除去されて、残った部分の内部応力が表面化した結果です。精密加工をする上で、素材に内部応力が残っているのは好ましくありません。
内部応力は加熱によって緩和されるので、熱間加工や荒加工が終わって仕上加工へ移る前に応力除去焼なましを行うのが有効です。焼入れなどとは違い、熱処理によって新たな変態応力が内在するような状態にならないので、熱処理変形も微小です。応力除去焼なましは変態点以下で行う低温焼なましですが、加熱温度が高いほど、加熱時間が長いほど内部応力の低減が容易です。冷却は炉冷として、冷却中の熱応力を発生させないようにすると尚良い結果が得られます。応力除去焼なましは、熱処理工程としては焼戻しに順ずるものであり、使用設備としても焼戻炉が利用できるため、コストもそれほど高くないハズです。精密加工品で変形に困っているのなら、一度試してみて下さい。
鋼において最も嫌われる不純物の代表と言えばPとSです。これらは鋼を脆化させる性質を持ち、しかも部分的に集まろうとします。PやSの偏析は機械的性質に大きく影響し、しかも完全除去ができないので、成分表では許容上限値を決めている状態です。どうしても極少量残ってしまう不純物の影響を、それでも何とか少なくしようという対応が‘偏析を少なく’するというコトで、熱処理的な方法としては拡散焼なましを採用します。「取除けないならチらしてしまえ」というアプローチです。
溶鋼からインゴットとして固まる際、結晶は成長しながら不純物をなるべく追い出そうとします。そのまま外に吐出せればいいのですが、インゴットは外から固まっていくのでそうも行きません。また金属は多結晶体ですので、‘結晶の外’というのは結晶粒界のことであり、結果として不純物は粒界に偏析する傾向があります。弱い部分が部分的に固まっているから問題となるワケで、これを細かく、全体に万遍なく散らすことができれば弱点が薄まっていくリクツです。そのため、融点ギリギリまで加熱して原子移動を容易にし、しかも液相から固相への変態による不純物の追出し作用を効かさなければ、PやSの偏析を軽減できます。液化させることなく固体のまま不純物を全体にバラまく、といったイメージです。
拡散焼なましは鋼の製造過程ではかなり早い段階で行われる材料屋さんの仕事であり、切削加工を行うような部品で施されることはないのですが、鋳鉄製品など鋳造を行う工場では均質化を目的としてしばしば行われています。1000℃以上での長時間加熱なので結晶粒の粗大化を伴うため、拡散焼なまし後には焼ならしや完全焼なましを行って粗大化組織を改善します。
PやSは、始めから少ないにこしたことはなく、当然ながら材料供給サイドでも絶対量を減らす努力が続けられています。特に高級工具鋼など、不純物を極限まで減らしたい鋼材ではESR法等を活用して不要元素を除去しています。
熱処理は製品の姿形をいじくることはなく「赤めて冷やす」だけの処理です。しかし元の温度に戻れば、形状も元に戻っているかというとそうは行きません。見た目の形が変わってなくても内部では原子が盛んに動き回り、‘元の状態’とはとても言えない変貌を遂げています (だからこそ硬くなるのですが)。特に焼入処理の場合、マルテンサイト化による体積膨張、ストレス増加による内部応力などで寸法や形状が変化し、場合によっては変形がひど過ぎて使い物にならなくなるコトもあります。
変形を減らすには処理品に与えるストレスを少なくするのが有効です。速く冷やせばムリがたたりますが、ゆっくり冷やせばストレスは減ります。しかしゆっくり冷やしていてはヤキが入らず、熱処理の目的を果たせません。水冷で変形がひどければ油冷でも焼入可能な材料に変更する、油冷でもダメなら空冷鋼を採用する、というやり方で、処理品の変形に関する手当てというものは材料選定の段階から始まっているということです。
処理品を変形させている実行犯は言うまでもなく焼入屋です。焼入ストレスが焼入変形となって現れるので、焼入屋が「焼入れをしなければ」変形しないことになります。しかし焼入変形に関する主犯格となると、これは設計屋だと言ってもいいでしょう。「この材料でこのように焼入れしなさい。工程はこのように進めなさい」と図面に描いて“指図”しておいて、実際に手掛ける人の「このような変形をもたらすんですけど」という声は届かないような場合が多いのですから、やっている方としてはたまりません。あなたは「自分の図面がヘボいせいで、加工現場に苦労をかけてないだろうか」と考えながら図面を描いていますか?
材料選定以外にも変形を抑える、もしくは変形してもおシャカになりにくい設計というものを考えてみましょう。まずは形状設計です。焼入部品は「単純形状」「均肉」「最小化」「緩やかな変化」を念頭に形状を決めて下さい。逆に形状が複雑なもの、肉厚変化の大きなもの、不必要に大きなもの、シャープコーナーを持つものはトラブル要因を含んでおり、形状の悪さゆえに曲がったり、時には割れてしまうこともあります。究極の理想形は‘球’です。カド部がなく均肉でこれ以上ないくらい単純なカタチをしています。もちろん球形状の製品なんてそうはありませんが (ボールベアリングのボールくらい?)、設計時の意識として持っておくことは大切です。
次に工程設計ですが、ヒドいのは機械加工で仕上げてしまっておいて、熱処理では寸法も形状も変化させないでくれ、というリクエストです。よほど小さなものであればできないことはないという場合もありますが、加工図面には幾つもの寸法公差や幾何公差が書込まれており、これら総てをクリアするというのは事実上不可能です。熱処理後の仕上工程をどうするのか、余肉はどの程度必要かなど、焼入前加工までの工程設計が適切でないと、最後の最後で「フリダシに戻る」のイベントが発生してしまいます。
加工工程によって材質を考える場合もあります。例えば耐摩耗性のため55HRC以上は欲しい薄い板状の部品で、半円形状の大きな切欠きがあり、製品自体はアルファベットの‘U’の字を縦につぶしたような形状の製品を想像してみて下さい。薄いので大きく反るであろうコトと、U字の切欠が開いたり閉じたりする変形が考えられます。板厚から「SK105でも焼入れ可能」と判断し、そのまま図面を描いてしまう前に「ちょっと待った」と言っておくのが、ここでのハナシです。板厚方向の反りは避けられないので、焼入屋さんに矯正作業をがんばってもらうことになるのは仕方ないですが、U字部分の変形は工程的に改善できそうです。板のまま焼入れし、後工程でワイヤーカットを行うように工程を組替えてみると、ワイヤーカットで内部応力が開放されて変形する心配があります。ワイヤーカット後の変形を抑えるには内部応力の除去が必要で、そうすると高温焼戻しが有効です。しかしSK材を高温焼戻しすると、例えば500℃付近の焼戻加熱で、40HRC程度にまで硬さが低下してしまいます。材料をちょっとグレードアップしてSKS3にしてみても、500℃の焼戻しでは45HRC程度と、まだ必要な硬さを下回ります。それならということで、もっと焼戻軟化抵抗の大きなSKD11を選んでみると、高温焼戻しでも55HRC以上が確保できますのでスペック的にはクリアです。しかも空冷鋼なので変形が小さく抑えられ、反りの問題も解消するかもしれません。
「焼入後にワイヤーカットする」という工程変更により、材質を変えるべきかも知れないトコロにまで話が及びましたが、材料費は高くなるし、ワイヤーカットの費用も発生するので、全体的にコストアップしているのがイタいですね。しかし熱処理で処理品をダメにすると、それまでにかかった総ての費用が無駄になるのですから、どっちを採るべきかはリスクとの相談となります。この改善例には更に続きがあって、ワイヤで取去る部分にできるだけ大きな穴を開けておくと冷却材の通りが良くなって処理品の冷却ムラが少なくなり、反りが軽減されます。ワイヤーカットのスタート穴なら小さなもので済むのに、反らせないために大きな穴を開けて工数アップするとは「そこまでコストかけないとダメなの?」と言われそうですが、焼入れする立場としては「そこまでコストかけても反るものは反りますよ」というのが正直なトコロです。
熱処理で曲がったものは熱処理で直す、というのがプレスクエンチやプレステンパなどの矯正焼入れ、矯正焼戻しといった処理です。処理品のサイズや形状によってどのような方法を採るかは違ってくるので、変形を嫌う製品の熱処理では、是非とも事前相談しておきましょう。場合によっては“お灸”と呼ばれる、部分的にアセチレンバーナーで炙って曲がりを直す方法もあるのですが、加熱された部分だけ極端に内部組織が違ってくるので、使用時のトラブルが懸念されるものでは採用しないのが賢明です。
一口に‘加工性’と言っても、どのような加工に対してのコトなのかによって熱処理内容は変わってきます。金属材料に施される製造工程の第一歩は鋳造ですが、鋳造性の良さまで検討事項に加えるのは少々路線が違ってしまうので、ここでは論じません。ただし量産品の鋳造工程では当然ながら検討すべき内容になります。
次に熱間圧延工程を考えます。熱間加工は再結晶温度以上で行われる塑性加工のことですが、鋼の場合、塑性変形能の高い面心立方格子を成すオーステナイト状態で圧延されます。しかも温度が高いほど加工に要するエネルギーが小さくて済むため、かなりの高温で行われているのが実情です。熱処理の立場からすると、高温加熱は結晶粒の粗大化を招くため歓迎されないものです。そのため圧延後の結晶状態が良くない材料は焼なましや焼ならしで組織を整えてやるべきなのですが、結晶がメチャメチャでかい粗悪品に出くわしたこともあります。入手経路の確かな材料を使いましょう。
加工現場には材料取りされたもの、または面削されたものが入ってくることになると思います。丸棒なら黒皮の定尺品で購入する場合もあるでしょう。いずれにしてもここでの加工性は切削性を意味するようになり、つまりはサクサク削れる材料は「加工性が良い」というコトになります。切削性の面から言えば材料が軟らいほうがいいのですが、軟らかすぎて粘っこいのも削りにくかったりします。そのため高炭素鋼では球状化焼なましでその鋼材にとって最も軟らかい状態を目指し、低炭素鋼では焼なましでは軟らかすぎるため焼ならしで適度な硬さにするなどと、材料によって異なる熱処理を行って切削に適した状態になるよう操作します。
熱処理後の仕上加工では研削を行います。こちらも硬い材料、特に炭化物が硬い特殊工具鋼などは研削性が悪くなります。炭化物の硬さは物性なので操作できませんが、炭化物の分布状態が熱処理によって悪化すると研削しにくくなります。つまり炭化物ができるだけ細かく一様に分布している状態が、その材料のその硬さにおいて最も研削しやすいということです。ただでさえ硬く焼入れされた工具鋼は研削しにくいのに、石ころ状態で散らばっている炭化物が大きく、不均一に研削面で顔を出していては、砥石側が負けてしまいます。小さな砂粒状に炭化物がばら撒かれていれば、まだマシですよね。
必要となる機械的性質が与えられ、それを実現するために熱処理まで含めた材料選定を行う、というのが手順ではありますが、そのためにはどの材料がどのような用途に向くのか、その材料にはどのような熱処理を行うことができるのかと言うことを知っておかなければなりません。ココからは機械設計でよくお目見えする鋼材について、適用される熱処理や代表的な用途例を見ていきます。
最も多量に消費される一般鋼材で、機械構造物や機械部品でも多く利用されます。ただし焼入れなどの硬化処理とは無縁な鋼材と捉えて下さい。基本的には低炭素圧延鋼材なので、浸炭焼入れくらいはできそうですが、成分や組織に対して浸炭に向くよう規定されていないですよというのがJISの立場です。浸炭焼入れするには浸炭焼入用の機械構造用鋼を使用しましょう。SS材で耐摩耗処理となるとせいぜい窒化やハードクロムメッキくらいでしょうか。
焼ならしなどの結晶粒調整を目的とした熱処理なら適用できそうですが、材料出荷段階で引張強さを確保しているのですから、必要とされる場面はなさそうです。削ったらそのまま使うか、メッキや黒染めなどの表面処理を行うくらいで製品化されます。大物になると塗装されますね。熱処理現場にSS400が持込まれるのは、ほとんどが‘異材’としてです。
丸棒としてよく出回っており、これまた機械加工現場ではお馴染みの材料です。調質により強靭化して使用することを前提としており、熱処理対象鋼材ですが、切削後そのまま使用されることも多いでしょう。
S45Cを焼入れする場合、最も注意したいのが製品サイズです。焼入性が非常に悪く、質量効果が顕著なため、相当小さなものでなければ焼ムラが出ます。連続冷却変態線図を見る機会があれば解ると思いますが、S45Cを完全焼入れするには、本当にほんの一瞬でMs点以下にまで冷やさなければなりません。理想的な焼入れがされれば焼入硬さで55HRC程度が得られますが、小指の先ほどのボリュームまででしょう。それでも切断して中央部分を観察すれば、組織としては怪しいものです。JISでは「有効直径37mm」と記載されていますが、これは調質を行ったときの引張強さや降伏点、伸び、絞り、シャルピー衝撃値が参考値を満足するのに有効であるサイズということで、完全焼入れでなくてもスペックは出てますよ、という立場での最大直径ですから鵜呑みにはできませんね。
大きなサイズのS45Cで機械的性質を向上させたい場合、焼ならしを行うという選択肢もあります。通常のS45Cは圧延したままで供給されますが、これに焼ならしを施すと結晶粒の調整が行われる上、焼入れよりも熱処理ムラが軽減されるので、機械的性質が向上、安定します。ただし得られる組織は調質による微細粒状組織 (ソルバイト) とは違い、微細層状組織 (パーライト) ですので、衝撃値では敵いません。どうしても調質で高性能なものを作りたければ、JIS通り水冷で焼入れするか、ソルト焼入れによるマルテンパで硬さのバラつきを小さくする方法となるのではないでしょうか。水冷はホントによく割れるのでご注意を。
焼入性が悪いとは言え炭素量が0.45%と高めであり、焼入硬さが確保できれば耐摩耗部品として使うこともできます。高周波焼入れなどで表面のみ硬化させる焼入れなら原理的に質量効果と無縁なので、大きな部品の一部のみに耐摩耗性が必要な場合は重宝します。シャフトの軸受接触部分や、ギアの歯先部分のみを硬化させたものがよく利用されます。
調質を行う強靭鋼としてはメジャーな鋼材です。CrとMoが主な合金元素で焼入性が良好です。φ50〜60くらいまでならJISの参考値をクリアできるので、S45Cに比べてずいぶん使いやすいでしょう。また衝撃値が同レベルなら降伏点が高いというメリットも見逃せません。つまりS45Cよりも更に強靭さを要求される場合に使うことができます。サイズの問題 (質量効果の回避) でSCM435を使う場合と、必要とされる機械的性質が高いことによりチョイスされる場合とがあるワケです。
SCM435の調質品を使った身近な機械要素として六角穴付ボルトがあります。ネジのアタマ部分に‘12.9’などと刻印されているのがネジの強度区分で「引張強さは1200N/mm2クラス、降伏比がその90%ですよ」ということを謳っているのですが、軟鋼で作られる一般的な六角ボルトの強度区分が4.8ですから、その高性能ぶりが解ります。ネジと言えば曲げ荷重や繰返荷重への耐性が問題になることがあります。断面図を描くとギザギザの連続である様を見ても想像できるように、細かいノッチが無数にある構造で、しかも首下部分が90°の凹角になっているのですから、形状的に弱点の多いカタチをしています。その上、ナットで締められる境目は、締付けで引張られる部分とそこから先の無理に引張られることがない部分とで荷重負担に急激な変化があり、使用状況からも過酷な環境に置かれる機械要素です。実際にネジが破壊するのは首下かナットとの締結部分であることがほとんどで、そういった意味でも高強度であることにメリットが発揮できる部品なのではないでしょうか。ちなみにこのような現象からも理解できるように、‘高強度ボルト’は日常的に採用される一方、‘高強度ナット’というものはあまり見掛けません。ナットには強度的弱点となる凹角がなく、荷重負担の極端な変化点がないので、ボルトほど神経質になる必要がないためでしょうか。高強度ナットが存在しないワケではないですケド。
機械構造用合金鋼には、焼入性を保証することが義務付けられたH鋼というものが存在します。他の鋼材では焼入温度や熱処理によって得られる強度など、多くの‘数値’が参考値扱いで、「守らなければJIS準拠とは言えない」と指摘されるほどの強制力はありませんが、H鋼は焼入れの結果得られるHカーブがJIS規格の中で (参考値なんてあやふやな立ち位置ではなく) ハッキリと明記されており、「この範囲を実現できないならH鋼を名乗るべからず」というスタンスですので、H鋼には使用者に対するそれなりの安心感と、材料供給者や熱処理業者に対する大きなプレッシャーを与える意味があると思います。ただしここで誤解して欲しくないのが「H鋼なんだから仕様を満たせないのは材料屋が悪いか、熱処理屋が悪いかのどちらかだ」と短絡的に捉えないようにという点です。先述の‘凹角’が強度的弱点になりうるコトと似てるのですが、このような形状は焼入れでも「最も硬くなりにくい」部分であるという事実があります。JISでのHカーブ保障義務はJISの試験規格に則ったサイズや形状の試験片に対してのもので、焼入れされにくい大きさや形状に設計されたものがJISでのスペックを満たせない場合、設計に携わるセクションに責任がないとまでは言えないというコトになります。そういった意味でも、設計者が熱処理に関する知識を深めることは意義深いものだと感じます。
「高炭素化するほど硬くなる」という性質の極地にある材料で、高濃度の炭素だけを主な合金元素とする鋼です。焼入性に関する合金添加がなく質量効果が大きい点はS45Cと同様で、SK材はS-C材の延長線上にあると言えます。ただし刃物として使用すること、焼入前の切削性を良くすることなどを目的として球状化焼なましされた状態で出荷されるので、その分価格は高くなります。
用途を想像する際に解りやすいのが「カッターナイフはSK材ですよ」という説明です。つまりカッターナイフのように薄くて小さいものを硬くする用途ではSK材が適しています。また細かく球状化されたセメンタイトが刃物としての切れ味を良くするので小型のナイフなどにイイのですが、SK材は錆びやすいのが難点です。台所で使う包丁や、風呂場で使うヒゲ剃りなど、水場で使用する刃物にはマルテンサイト系ステンレス鋼が利用されています。ただし切れ味と材料価格の点ではSK材に敵いません。カッターナイフは錆びて切れなくなれば刃だけを交換すればよいので、錆の問題は無視できます。刃物以外では弾性限の高さを利用したゼンマイや、硬さに由来する耐摩耗性を利用したブッシュなどの利用例が考えられます。いずれにしてもサイズの小さなものばかりですね。小さなゼンマイをSK材で作る場合、焼入焼戻しではなくオーステンパでベイナイト組織にされたものが多いようです。
焼入性の悪い鋼材ですが、炎焼入れや高周波焼入れのように部分的な焼入れであれば質量効果に関係なく硬くすることができます。この辺りの事情は炭素鋼〜低合金鋼について共通の認識と捉えて問題ありません。加熱領域が小さければ質量効果が薄まるということですね。大きな部品でも「刃先だけ」「外周だけ」「軸受部だけ」など、限定した範囲の硬化処理で済むなら、焼入性の良い (=単価が高い) 材料を購入しなくてもSK材でこと足りる場合があるので、コストメリットと併せて材料を選択しましょう。
材料記号の数字部分は炭素の重量パーセントを示しており、SK105は炭素量が1.05%前後であることが解ります。この辺りはS-C材と統一されてスッキリした感があるのですが、未だに旧記号のSK3で呼ばれることのほうが多いのではないでしょうか。JIS改定から既に相当な年月が経っていますので、新しく図面を描く際にはもうそろそろSK3ではなくSK105と記入しましょう。
機械構造用炭素鋼の焼入性を改善したのが機械構造用合金鋼であるという図式に対して、炭素工具鋼の焼入性を良くしたのが合金工具鋼であると理解できます。ただし合金工具鋼では焼入性にのみ改良を加えたのではなく、耐摩耗性の向上など、何らかの付加機能を持つものが多く存在します。
SKS3はC、Mn、Cr、Wがそれぞれ約1%添加されており、Cが焼入硬さ、MnとCrが焼入性、Wが高硬度炭化物生成という各々の主目的を持ちます。高耐摩耗鋼でありゲージ類に多用されるので、似たような要求事項に通じる用途は多いでしょう。またSK材では焼入性の問題で硬さが得られないようなサイズの部品に採用される場合もあります。硬さのムラが少ない、安定した耐摩耗性を求められる用途に好適というコトですね。
SKS材くらいになると残留オーステナイトの問題が表面化してきます。高炭素な上に合金添加されているため残留オーステナイト量が増加して、経年変化が無視できないレベルにまで大きくなってきます。特にSKS3をゲージとして使う場合、基準となるはずのゲージで時間経過と共に寸法が狂ってくるようではゲージとしての機能を果たしていないことになります。SKS3は焼戻軟化抵抗が小さく、高温焼戻しによる残留オーステナイトの分解は軟化を伴うので、サブゼロ処理後に低温焼戻しとするのが一般的です。一方で寸法にそれほどシビアでない治具部品などにSKS3を使用している場合は、必ずしもサブゼロしなければならないというものでもありません。ただし残留オーステナイトの遅れ変態による置割れが問題視される場合はサブゼロ処理などの対策を打っておいたほうが無難でしょう。
代表的な空冷鋼で、冷却が緩やかということは焼入変形も少なく、金型用鋼として多用されます。現在世の中にある冷間金型のほとんどはSKD11を使用しています (ただしSKD11ほどの焼入性でも硬化困難な大型金型ではフレームハード鋼で表面のみ硬くする場合もあります)。60HRCの硬さを確保できる上に変形が少ないのですから、耐摩耗性を要する治具部品での採用も多く、特に仕上工程を簡略化したい場合には重宝します。仕上工程簡略化のためには焼入れによる表面劣化を防ぐことも重要で、雰囲気熱処理や真空熱処理を採用することになる上に鋼材費も高いのですが、後工程が省略できればトータルコストメリットから見れば充分にペイするレベルですね。
SKD11でまず問題となり得るのは残留オーステナイトの多さで、通常は低温焼戻しで使用する鋼材なので残留オーステナイトの遅れ変態による置割れや置狂いは無視できません。一方で焼戻軟化抵抗の大きさとも相まって、高温焼戻しによる大きな二次硬化があるので、安定性を求めるのであれば低温環境で使用する部品であっても高温繰返し焼戻しを行うのは理にかなっています。500℃前後までの焼戻硬さが55HRCを下回ることはないので、目的に応じた幅広い焼戻温度を選択できる点は面白い鋼材ですね。ただしJISで参考として謳われる標準的な熱処理は低温焼戻しです。
次に問題視されるのが巨大炭化物です。組織写真を見ると炭化物形状に関してはホントに無残なもので、大きな炭化物が圧延でちぎれて飛び石のように連続的な並びをしているのを見ると「これでイイのか?」と言いたくなります。球状化が困難で炭化物サイズがバラバラな上、炭化物形状が角張っているので組織内に無数のノッチを抱えた状態になっており、衝撃荷重に対して不利な点を考慮しなければなりません。炭化物が均一微細分散していないということは、紙や木などの軟らかなものを切る用途では切れ味の悪さが目立ってしまい、このような刃物に使用するのは適材とは言えません。しかし炭化物分布を改善した改良鋼も各社で開発されており、今後の用途拡大に期待が持てます。究極はパウダーメタルの粉末冶金というコトになるでしょうが、ハイスでさえまだコスト的課題のある材料製造法なので、広く普及するのは当分先になるのではないでしょうか。
材料の特長として変形が少ないということは焼入変形に対する要求事項がより一層厳しくなるもので、SKSなどの油冷鋼に比べて相当少ない変形量に抑えることを求められますが、ここで気を付けたいのが“変形量”と“変寸量”の混同です。変形量は例えば焼入れ前後で平面度がどれくらい悪化したかというコトになります。これに対して変寸量は焼入変態による体積変化が寸法にどれくらい影響を与えたかというコトです。理論的には3√(ΔV/V)[%]の変化率となるのでしょうが、実際には圧延方向によって寸法変化に違いがあって、なかなか一筋縄では行きません。形状の影響もあり「変寸ゼロ」はあり得ないワケで、公差が厳しい部分を仕上げてしまっての熱処理依頼は考え物です。
空冷鋼であるが故の便利さを享受できる材料なので、そのメリットを更に引延ばそうと各特殊鋼メーカーで多くの改良鋼が開発されています。変形、変寸の更なる低減や異方性の改善、巨大炭化物の解消による靭性アップや被削性の向上、かじりの低減やコーティング皮膜の密着性など金型としての性能強化を狙った改善等、様々なアプローチがされているので、現在の使用材に不満があれば変更テストしてみるのもいいでしょう。
高温での硬さ維持や高温使用後の硬さの低下が少ないことを身上とする鋼材で、ダイキャストや熱間鍛造などの金型に利用されます。概ね600℃前後の焼戻しが一般的なので、高温環境での使用部品であれば金型以外での用途もあります。炭素量が0.4%程度と工具鋼にしては低く最高硬さもそれに伴って低下しますが、高温使用時にも軟化しにくい一方、被加工材は高温加熱によって軟化するので高温金型に適した鋼材となります。
焼入焼戻し後の硬さが50HRC前後と「硬いが全く刃が立たない程でもない」という部分が好都合なのか、プラスチックやゴムの成形型としても使われます。プラモデルをやる人なら感じたことがあると思いますが、精度の悪い樹脂成形品はバリがひどかったり、組合せ面の段差が大きかったりします。つまり樹脂型はプレス型などに比べて精度面で厳しいワケで、熱処理後に全面仕上加工となります。その際にやたらと硬いと満足に削ることができなくなってしまうので「硬さは欲しいが硬過ぎてはNG」という要求が発生し、その場合は50HRC前後が限界ってコトですかね。仕上加工後の後工程で窒化やPVDコーティングがある場合、高温焼戻鋼である点が好都合なのも選定理由として挙げられるのでしょう。
空冷鋼であること、焼入温度が1000℃以上と高いことについてはSKD11と同様で、表面劣化のない真空焼入れを採用することになります。「どっちみち高温での使用時に表面がヤけてくるんだから焼入れ結果が美麗である必要はないんじゃない?」という疑問も湧いてきますが、焼入時の酸化脱炭は硬さを始めとする表面の機械的性質に影響を与え、より大きな金型ダメージの要因となるので軽視してはいけません。真空熱処理などの無酸化焼入れは表面の見た目がキレイであることが目立ちますが、見た目だけではなく、性能面でも必要性の大きな焼入れ方法です。焼戻しは使用温度以上で行うことが必須で、しかも二次硬化が大きいため繰返し焼戻しを要するので、熱処理の手間としては焼入れよりも焼戻しのほうが大きなウェートになってきます。その分納期やコストも掛かりますね。
熱間金型は使用時に大きな熱移動があり、急激な加熱と冷却に曝されます。いわゆるヒートショックと言うヤツで、これにより表面にヒートチェックと呼ばれる熱亀裂が発生しやすくなります。始めは微細なクラックでも、使っているうちにどんどん成長して、最後には金型に対して深刻なダメージを与えます。SKD61は耐ヒートチェック性の高い鋼材ですが、前提としてキチンとした熱処理が行われていること、とりわけ焼戻しがキッチリされていることが必要です。熱間金型で早期に使用時割れが出るような場合は熱処理屋さんに相談しましょう。
ドリルなどの切削工具に使われるMo系ハイスで、硬さと靭性のバランスが良好です。工具鋼の中でも最高クラスの硬さを持つので耐摩耗性を要する部品に使われます。また加工熱による温度上昇にも強いため耐熱性を求められる用途でも採用されます。SKH51はドリルのような折れにくい切削工具としての位置付けがされる鋼材ですが、高温耐摩耗用途ではSKH2などのW系ハイスもあり、高温硬さの面ではW系のほうにやや分があるので、折損などが問題にならない部分であればW系ハイスの採用も考えられます。W系ハイスの利用例ではバイトなどの切削工具が身近です。折れても折損部の除去に苦労することがないような用途向けというコトですね。
ハイスは材料も高価な上、熱処理代も高く、しかも処理時間が掛かるためリードタイムが長くなってしまいます。つまり機械部品へのハイスの採用はコスト面では悪いことばかりです。しかしそれにも勝る高性能さにより部品寿命を長くすることができればメリットが出せるようになります。機械部品として使用するには、機械の奥まった位置で交換作業が困難な部分の耐摩耗部品をSKHにするなど、限定的なものになるのではないでしょうか。金型部品でSKD11ではもたない部分をSKH51に材料変更する事例もよく目にします。同じ硬さに仕上た場合、靭性面で有利な傾向があることを利用しているワケです。またハイスはマトリクス系やパウダーメタルなど、炭化物の挙動に気を使った改良相当鋼が各社からリリースされており、このような材料を選定すると靭性面では更に有利になります。最近ではマトリクス系のダイス鋼も出てきてはいますが、パウダーメタルタイプのダイス鋼はまだまだといった感で、この辺りはハイス材に頼ることになります。
SKHの焼入れはMo系で1200℃前後、W系では1300℃近くにまでなります。靭性重視でアンダーハードニングにした場合でも1100℃程度まで加熱するので、鋼の焼入れとしては最高ランクの高温処理です。また残留オーステナイトが多く二次硬化が大きいのですが、1回目の焼戻しで残留オーステナイトが総てマルテンサイト化するには至らず、2回目の焼戻しでも若干の硬化現象が見られるため、もう一度加熱して合計3回以上の繰返し焼戻しが基本となります。SKDの場合が最低2回だったので、更に一手間必要になることがこのことからも解ります。
Mo系のハイスは酸化雰囲気中で加熱すると表面からモリブデンが飛んでしまいますので、雰囲気炉や真空炉、ソルトバスなどによる無酸化焼入れを必要とします。中でもソルトバスは加熱、冷却効率の良さや、小回りが効くこともあって、ハイスの焼入れと言えばソルトという図式が定着している感もあります。そもそもハイスの焼入れなんて、加熱温度の高さから他鋼種との抱合せができない上に出回る量が知れていて、何100kgも積載可能なバッチ炉で処理しようというのもムダが多いですよね。
バネは弾性限度が高いこと、耐疲労性が高いことを求められるので、総じて硬いことが必要となります。しかし硬すぎると却って疲労強度が下がり、概ね45HRCまでは硬さに応じて疲労強度が上がっていくのですが、それ以上では急激に悪化します。ノッチがあるとこの限界値は下がっていくので、表面が平滑で単純形状のものは40〜45HRC程度、やや複雑形状となる場合は35〜40HRC程度に硬さを調整します (ただし硬さが下がれば弾性限も下がる)。つまりばね鋼は適切な炭素量で熱処理されることが前提の鋼材です。構造用鋼と工具鋼の中間的な炭素量で、焼入性を考慮した合金添加を行います。その中でもSUP10はCr-V添加鋼で焼入性も良く、回転トルクに対する強さがある上、炭化物生成元素による耐摩耗性の良好さもあって、バネ以外にもドライバーやスパナ、六角レンチなど、手工具材料としての利用も多い鋼材です。
バネとしての性能は硬さが主役なのですが、構造用鋼のような強靭さや工具鋼のような飛び抜けた硬さとは少々趣の異なったもので、両者の中間といった感じです。そのためばね鋼では焼戻温度も450〜550℃辺りとなり、調質にしてはちょっと低めの中途半端な温度という印象になります。
ばね鋼を利用した製品というとほとんどが熱間成形バネで、乗用車のショックアブソーバに使うコイルバネやトラックの後輪懸架などで見られる板バネなんかを想像してもらえればいいでしょうか。機械要素としては大型のバネになります。バネとしての性能は焼入焼戻しであろうが加工硬化であろうがオーステンパであろうが、乱暴な言い方をすれば、とにかく必要となる硬ささえ実現できればOKです。そのため手のひらサイズの小さなコイルバネではピアノ線の冷間成形品がほとんどでしょう。小さな板バネやテーパワッシャなどではSK材をオーステンパすることもあります。そのため機械設計をしていてSUP10を選択する場面に遭遇することは少ないと思われます。先述の手工具のような用途があれば使えるのですが……。
ばね鋼の使用方法での失敗例をひとつ。セットカラーのような仕組みでシャフトに固定する部品をSUPで設計したことがあるのですが、省スペースのため本体とホルダ部分とは一体型で、ホルダ部分が自由に動けるようにするため、スリット加工で部分的にたわませるような仕組にしていました。狭い部分でも機能を果たす上に材料も高級でモンクないだろ、と考えていたのですが、スリットの底部分がシャープノッチなため45HRCに熱処理された自慢の一品は組立作業中に割れてしまって使い物になりませんでした。本体部分の耐摩耗性、クランプ部分のバネ性など、複数の要求を満たせることを目論んでいたのに、そもそも形状が悪くて失敗したのですから設計者が無知だったという結論ですね。やはりばね鋼はバネに使う鋼材なのです。
組成としてはSK105にCrを1.5%添加したモノとなり焼入性が向上しているにも係らず、実売相場としてはSK105より廉価なので、耐摩耗部品材料として使いやすい鋼材です。また炭化物の球状化に関しての規定もあって、焼入硬さが安定している点も大きなメリットとなります。ボールベアリング用なので流通量が多く、大量生産品であるが故に高品質でありながら安く買えるということでしょうが、同様の理由により丸棒でしか入手できないのがネックです。
φ25mmまでなら全体加熱でも60HRCが狙えます。ベアリングレースのようにパイプ状なら外径と内径の差が相当直径となります。大きなサイズの場合、SUJ3を使えばφ50〜60mm程度まで硬さを確保できます。表面焼入れであれば質量効果を無視できるので、直径に関する制限は考える必要がありません。
回転運動の支点となるピンやスライドシャフト、ローラー、ポスト、ブッシュなど、摺動や転動での耐摩耗性が必要な部品に適しています。現場内で使用するゲージなどにも使いやすいでしょう。ただし低温焼戻鋼なので焼戻温度を超えるような環境では使用できません。焼戻後に60HRCを確保するには200℃程度までの焼戻しとなるので、安心して使えるのはせいぜい150℃程度まででしょうか。熱処理加工現場でも加熱炉の撹拌ファンの軸受に当然ながらSUJ2やSUJ3で作られたボールベアリングを使っていて、炉内の熱がベアリングに伝わらないような工夫として、断熱性の高い素材で熱絶縁したり、ファンシャフトにベアリングを冷やすためのファンを付けたりします。
耐食鋼の代表である18-8ステンレス鋼で、「錆びない鉄」として水周りなどでよく見かけます。NiとCrによる耐食性に加え、組織がオーステナイトであることで腐食に強くなっています。Niの多量添加によって常温でもオーステナイト組織を保った鋼であり、冷間加工などによりマルテンサイト変態を起こすと耐食性が悪化するので、プレス成形品などは固溶化熱処理をした上で製品化されます。産業用途では耐食性を利用すること以外に、耐熱鋼として600℃程度までの高温環境部材として使用されています。600℃以上の温度になると鋭敏化による粒界腐食の危険性が高くなるのでSUS310SやSUHなどといった更に耐熱性の高い材料が必要になってきます。
ステンレス鋼を耐食用途で使う場合に怖いのが粒界腐食や孔食、応力腐食などの部分的な腐食の進行です。部分腐食により実効断面積が徐々に減少し限界を超えたところで破断するので、全体的に変形しながら破壊する場合に比べて進行が急激な壊れ方をします。もちろんこのような腐食を事前に察知できれば手当てできるのですが、「ステン使ってるんだからサビとか大丈夫でしょ」という心理も働きやすく、これらの腐食を見逃してしまうことも多いと考えられます。錆びないハズのSUS材も製品化に至る過程で弱い部分が出てしまうので、このような弱点を克服させてから使用しないと思わぬしっぺ返しを食らいます。アルミニウム合金や銅合金などは‘素材として錆びにくい’のですが、オーステナイト系ステンレス鋼の場合は‘素材と熱処理の組合せによって錆びにくい’ようにしてあるワケで、熱処理によって錆びにくさをキャンセルさせるような工程を経てしまうと腐食に絡む問題が表面化してきます。
オーステナイト系ステンレス鋼では組織がオーステナイトだから錆びにくくなっているのですが、塑性変形などのストレスによってオーステナイトがマルテンサイトに変態します。マルテンサイト化した部分は腐食しやすいので、例えば板材をL字に曲げると曲げた部分が平面部分より錆びやすくなってしまいます。切削加工も加工物の表面では連続的な塑性変形を伴いながら進行していくので、何も削っていない場合より腐食しやすくなります。溶接による熱影響部分も炭化物析出によるクロム欠乏層が発生すると粒界腐食に弱くなります。このような「加工による耐食性の悪化」がある場合は、加工後に改めて固溶化熱処理を行うことで耐食性を回復させることができます。
マルテンサイト系ステンレス鋼は焼入れ可能なステンレス鋼として、ハサミ、包丁、カミソリなどの日常的に使う刃物に利用され、中でもSUS420J2と、ここに採り上げたSUS440Cとがよく使われています。ステンレス鋼は炭素が多いと錆びやすくなるため基本的には極低炭素鋼なのですが、それでは焼入れができないので、耐食性はやや落ちるものの、刃物として使用できることを優先させた鋼材というコトになります。
一般用途ではSUS420J2を使うことが多いと思われますが、工場内での耐摩耗部品となるとSUS440Cがより硬く、ステンレス鋼中で最大の硬さが得られます。耐食性が必要な軸受部品や刃物などに使用します。焼入方法はJISでは油冷で58HRC以上となっていますが、空冷でも55HRC程度には硬くなるので真空加熱ガス冷却を採用することが多いでしょう。1000℃以上にまで加熱した上で油冷を要する鋼材というのは種類や絶対量が少なく、単品処理で一釜分集めようとすると納期的にかなり待たされることになります。空冷ならSKD11などの空冷鋼と混載できるので、処理機会は格段に増えることになり、結局妥協しておいたほうが生産計画は立てやすいですね。どうしても最高の硬さを必要とするのであれば、量産でSUS440Cの油焼入れを行っている会社を探すことになると思います。
ステンレス鋼を強靭鋼として使用する場合、ちょうど構造用鋼における調質と同じようにマルテンサイト系ステンレス鋼で高温焼戻しする方法があります。先述のSUS420J2であれば、板材は刃物として使うので‘980〜1040℃急冷 150〜400℃空冷’が焼入焼戻しの標準的な条件ですが、丸棒を構造部材として使う場合は‘920〜980℃油冷 600〜750℃急冷’と、条件が違ってきます。焼入温度、冷却方法、焼戻条件の総てが違っているワケで、ちょっと混乱しますよね。ちなみに高温焼戻品は硬さが217HB以上、低温焼戻品では40HRC (371HB相当) 以上となっています。
析出硬化系ステンレス鋼は炭素による焼入れではなく、固溶体からの微細な異相析出により硬さを得る鋼材で、強化機構としてはアルミニウム合金などと似た内容になります。材料購入時に特別な発注をしなければ固溶化熱処理済みで納入され、機械加工後には析出硬化を行うことになります。硬さは析出硬化処理温度によって選択でき、温度が低いと硬さ重視、温度が高いと靭性重視になる点は焼戻しと似ています。硬化後の変形や変寸が微小で、仕上余肉は熱処理をしない場合の研削代に近いレベルにまで小さくできます。
耐食強靭鋼としては非常に高レベルな材料で、変形も少なく扱いやすい鋼材なのですが、材料費が高価なのが痛いですね。焼入れに当る操作が不要なので、熱処理コストはやや抑えられるとは言っても‘焼け石に水’でしょうか。とは言え耐食性や耐熱性が必要な高負荷シャフトなどで使用されます。一般の機械設計をしている設計者から見ればかなり特殊な材料でしょう。
機械性能を向上させるために高性能を実現できる材料を選択し、熱処理まで行って仕様を満足させるということは、“高性能=高コスト”であるというのが一般論です。しかし世の中の要求事項は“高性能かつ低コスト”であることが多いもので、仕様を満足させつつもコストダウンを実現しなければならない点が機械設計者を悩ませる大きな問題です。高性能でありながらコストアップを避けるための方法を考えてみましょう。
まずは熱処理を活用することで、むしろコストダウンになるという事例を見てみます。引張強さを基準に設計した場合、普通鋼であるSS400ならσB>400N/mm2なのに対して、調質したSCM435ではσB>930N/mm2が期待できます。つまり断面積を半分以下にできるというコトになり、直径なら70%程度にまで小さくすることが可能で、その分鋼材原価は下がります。ただし熱処理費用は上乗せなので、この部品のみに注目すればややコストアップの傾向です。強度負担する部品というものは機械の中での重量構成比が高く機械全体の重量に大きく係るのですから運動エネルギの低減にも効果があり、SS400のシャフトをSCM435に変更した場合、駆動モータを小さくすることができる可能性が生まれます。更に小径化によってベアリングのサイズダウン (すなわちコストダウン) が可能です。このように、ひとつの部品を見直すコトで重量低減の波及効果により全体としてコストダウンになるような設計であれば、熱処理をどんどん活用すべきです。
特殊鋼に熱処理することで自然とコストダウンできる事例を見てみましょう。機械の中で定期的に壊れる部品があり金属疲労で寿命になっている場合、耐疲労性の高い鋼材で適切な熱処理を施すと3倍のコストがかかるとして、部品寿命が2倍に延びたのであれば、一見メリットがないようにも見えますが、その部品交換にかかる作業時間や交換作業中の稼働停止による生産性の悪化を防ぐことができてトータルではコストダウンになります。材料費や外注費なんかはタカが知れていて、生産活動で一番コストがかかるのは人件費です。稼働時間内には作業者が存分に生産活動を行える環境であるほうが工場としても効率的で、働く側も気分のイイものです。部品代のみに注目すればコストアップですが、工場内全体では余分な経費を抑えることが可能になってきます。
次は安い材料を使うというコトに付いてです。耐摩耗性が必要なスライドシャフトにSK105を使っている場合を想定します。焼入れと低温焼戻しにより60HRCを確保して高い耐摩耗性を持たせ、部品寿命を長くすることが狙いなのですが、ここで材質を検討します。市場価格ではSK105よりSUJ2のほうが廉価で、丸棒であれば置換え可能です。Cr添加鋼でありながら、ベアリング用として多量に流通しているためSUJ2のほうが安く手に入るというのは、盲点になっているのではないでしょうか。更に良いことに、SK105よりSUJ2のほうが焼入性が高く、同等部品のサイズアップ版を設計した際、質量効果でSK105をSKS93やSKS3にランクアップしなければ60HRC確保が難しくなる場合を想定しても、始めからSUJ2を採用していれば材質変更しなくて済むかもしれません。
硬さが妥当であるかも検証してみて下さい。摺動状態で充分に潤滑材が供給される環境であれば、相手材も含めて硬さを低くしてもいい場合があります。例えば50HRC程度でも問題ないのであれば、機械構造用合金鋼も含めて材料の選択肢は大きく広がります。面圧が低いなど、もっと硬さが低くてもよければSS材にガス軟窒化などの表面処理だけでクリアできる場合もあります。他にも必要なのが摺動摩耗に対する硬さのみであれば、熱処理方法を高周波焼入れにしてやることで、S45Cなどのありふれた材料でも50HRC以上の確保は容易です。
熱処理を要する部品は熱処理代が余分にかかってイヤだと感じるのも仕方のないことかもしれませんが、熱処理を活用することでコストダウンできるということを知って下さい。加工をやっている人なら、加工効率や加工精度のために指定されていない部分まであえて高精度に仕上ること (捨て研みたいな) があると思います。その部分だけ見れば余計なことをしているようでも、トータルではつじつまが合ってくる、そんな「あえてのムダ」によって全体をスムーズに進めてコストダウンを図るのにちょっと似ている気もします。必要な性能を材料の物性で得るのか、熱処理によって得るのかというコトであり、トータルで一番安い方法と言うのであれば熱処理してもOKな場面というのは結構あるものです。ただし量産品は熱処理によってコストアップすることが避けがたく、安くするために材料を非調質鋼にシフトするのが自然な流れです。
「焼入れして硬くすると脆くなるから甘焼きにしたい」という要求をよく耳にします。これはある意味正しいことなのですが、ヤキを甘くするというのは危険な行為でもあります。例えば構造用鋼を調質によって30HRCにした場合、完全焼入品に適切な焼戻しをしたものと、ヤキが甘い (焼入硬さが低い) からと言って焼戻し温度を低めに設定して同じ硬さにしたものとでは、硬さ (引張強さ) は同等でも、衝撃吸収エネルギーは完全焼入品のほうが優れています。リリース前の性能評価をじっくりと行える量産部品で、ノウハウに基いて中途半端な焼入れをすることはあるかもしれませんが、単品対応での甘ヤキは、リスクを考えるとやりたくないモノです。
硬さと耐摩耗性にはある程度の相関関係があり、硬いほど減らないというのはその通りなのですが、焼戻しをしないままで焼入れ直後の最高硬さを保っているものが減らないというのは幻想です。焼入品には変態応力による内部歪みが大きく残留し、外からのアクションで大きなダメージを喰らうことすらあります。ちょうど押しくら饅頭をしているところに一人ムリヤリ詰め込むと、どこかで「イチ抜けた」をしたくなるようなもので、硬い割には摩耗が激しくなります。低温焼戻しによって内部ストレスを減らしてやれば、強固に耐える状態になり、最低限の硬さの低下で好結果を得られます。そもそも焼戻しをしないと、最悪の場合は置割れなどでおシャカになってしまうことすらあります。くれぐれも焼戻し工程を省略するなんてコトは考えないで下さいね。
構造用鋼のように焼戻し温度によって硬さが素直に低下する鋼材では、ある程度そう言えるのですが、それでも大きな組織変化の起こる温度帯では脆性を示すことがあります。300℃脆性とか、高温焼戻脆性などで、温度の選び方と焼戻し冷却方法の採り方によって、脆さが出てくる場合があり注意しなければなりません。
またダイス鋼のような高合金鋼では二次硬化が顕著で、高温焼戻しで得られた硬さと同じ硬さになる低温焼戻しを行った場合、低温焼戻品のほうが衝撃吸収エネルギーが高くなります。例えばSKD11を250℃で焼戻した場合と、520℃で焼戻した場合とでは、両方とも58HRC前後でありながら衝撃値は高温焼戻しししたほうが低くなります。
JISの参考値で衝撃値を設定する場合、かなりの制約があることを知っておかなければなりません。試験片の形状や寸法が決まっていることは他の性能試験と同じですが、破壊する部分を限定させるためにノッチが入っていることが実際の使用条件との大きな違いです。当然ながら衝撃荷重を受けるような部品ではできるだけノッペラボウな形状に設計します。コレに対して衝撃試験片ではノッチを入れてその部分から破断するようにしているので、形状が適切であればJISの数値よりも高い性能を持たせることができます。もちろん数値の高い材料を使用するにこしたことはありませんが、衝撃値が低いから衝撃荷重は全く受けられないというものでもありません。金型で板材をプレスしている場面を想像しても解る通り、圧縮方向の衝撃荷重はワリと平気です。まずいのは剪断方向の衝撃荷重で、受荷部分に段があったりした場合は間違いなく衝撃に弱くなります。荷重方向や部品形状に気を配ることが大切です。
衝撃値に関してはJISハンドブックを見ていても参考値が表記されていない鋼材が多く、特に工具鋼などでは皆無です。耐摩耗部品なので衝撃荷重を受けないコトが前提なんでしょうかね。Webで探しても中々見つかりません。このようなデータは材料のカタログを入手すると得られることがあります。各社でオリジナル工具鋼を開発していますが、開発鋼の有意性を示すための比較対象としてJIS相当鋼のデータが必要ですから、複数のカタログを総合しておよその見当を付けることができます。
JISハンドブックには熱処理後の硬さや抗張特性が参考値として記載されている鋼材があり、S45Cなら調質後の引張強さは686N/mm2以上と書かれているので、これを基に設計を進めることになると思うのですが、ここで「ちょっと待った!」が入ります。設計根拠として引張強さが必要で、それを調べた結果686N/mm2という数値が得られたところまではOKですが、これには色々と前提条件があり、その条件をクリアした上での数値だということを頭に入れておいて下さい。人間と言うのは目的となる情報が見つかった段階で、それ以上詮索するのをやめてしまうトコロがあります。引張強さの数値を見付けた段階でハンドブックを閉じてしまうのは危ないですよというハナシです。
S45Cという材料は質量効果が大きく、ちょこっと大きなサイズになると途端にヤキが入らなくなってしまう鋼材です。φ10mmの部品を調質した場合と、φ50mmの部品とでは、大径のほうが性能面では不利になります。そんなものの調質性能をどうやって決めているかと言うと、サイズや温度について総てに縛りを設けているのです。JIS参考値一覧を良っく見ると、下のほうに小ーさな字で「機械的性質の数値は標準試験片についてのものである」と書いてあります。これは「φ25mmの試験片で測るとこの数値になりました」ということです。そしてこの性能値を満足できるであろう最大サイズが「有効直径37mm」ということです。これ以外のサイズで性能評価したら違ってますよと言われても「そこまでは……」というのがJISの立場です。また熱処理条件も焼入れが「820〜870℃水冷」となっています。単品モノを焼割れリスクの高い水冷で焼入れする熱処理屋さんはそれほど多くはないでしょう。普通は油冷で焼入れします。つまり実際の有効直径はφ37mmよりもずっと小さくなります。そういったことをチェックせずに大径品を熱処理依頼すると、熱処理屋さんは硬さで出荷検査しますから、引張強さはまぁOKであっても衝撃値は低くなってしまい、JIS参考値通りには行きません。また表面と芯部とで性能差が出るので、その辺も認識しておかないとアブない結果となってしまいます。
焼入れで最も悩ましいモノのひとつが質量効果で、表面は良くヤキが入るのに芯部は不完全焼入れになっているのは、実は“当り前”のコトで、どのような鋼材でも結果的に処理品表面と中心付近とでは機械的性質に差が出てきます。つまり焼入処理を経た部品というのは表面が良くて内部は悪いというのが一般的な認識です。材料段階での偏析なども中心のほうが悪いですしね。しかし焼入品は熱処理後に仕上工程が必要で、組織的には最良であるハズの表面を削り落としてしまわなければなりません。大気加熱で表面が脱炭している場合などは別ですが、熱処理後の仕上余肉は少ないほどイイですね。熱処理変形を考慮した最小余肉としたほうが、仕上加工もラクですから。
ところがそうも行かない実態もあって、例えば材料購入段階で‘調質済み’の材料を買い、旋盤で仕上げまでやってしまって製品化するというモノがあります。調質により30HRC程度にまでは硬いので、ナマの状態よりは削りにくいのですが、加工後の熱処理変形を気にしなくてもいいというメリットがあります。ここで気を付けて欲しいのが、機械加工で削る部分が多い場合です。何度も言うように焼入処理品は芯に近い部分ほど“ダメ”なモノなので、機械加工でそのダメな部分を残し、ダメじゃない表面を取り去ってしまうのですから、そういった意味では余りイイ方法とは言えません。単純なシャフト形状で、端部に軸受を嵌める小さな段差がある、くらいのものであれば、リードタイム短縮にもなるし賢い選択と言えますね。似たような注意点として、金型のパンチを作る際に、タップ加工などを行ったブロック材を焼入れし、研削後にワイヤーカットで部品とする場合があります。焼入れに不安のない端っこを捨てて、不安の残る真ん中を使うのですから、良くはないという点では同じなのですが、金型で多用されるSKD11は焼入性がベラボウで、くり抜いた中身の硬さが極端に悪いということはありません。清浄鋼で偏析などの問題も実用上は気にするレベルではないと言えます。要するに芯部を使うならそれに見合った材料を使えばいいコトです。ところが材料費をケチりたいためにSKS3の大きなブロックを焼入れして同じようにワイヤーカットでパンチを作ると、サイズによっては問題が出てきて、硬さが足りなかったりすることもあります。
焼入れを行った鋼材は中心に近い部分ほど性能が落ちると考えて下さい。標準試験片で抗張試験を行えばJISハンドブックのような強さが計測できますが、大きな鋼材の端っこと真ん中で試験片を取って比較試験すれば、必ず芯部の結果が悪くなります。調質材は削れば削るほど性能を悪化させることになるワケです。
合金鋼のほうが炭素鋼よりも高いし、言葉のイメージも手伝って合金鋼のほうが硬いと思っている人がいます。ところがマルテンサイトの硬さは炭素量によって決まり、同一炭素量の合金鋼と炭素鋼とでは硬さに大差ありません。合金鋼のほうが焼入性が良く、太いものでも硬くできるだけで、硬さの限界値は炭素量によって決まるものです。つまり硬さ‘だけ’が必要な部品の場合、小さなモノなら高い合金鋼を選択しなくても炭素鋼でOKです。ただし硬さ以外にも必要なスペックがあり、炭素鋼では間に合わないのであれば合金鋼を使わなければなりません。また工具鋼になると、炭化物の硬さを利用した耐摩耗鋼があり、焼入性向上以外の目的で合金添加されている鋼材もあるので注意して下さい。
設計者として駆け出しの頃は全く新しい部品の設計よりも、既に流れているもののモデルチェンジを手掛けるコトが多いと思いますが、寸法や公差精度を見直して終わるような設計の場合、熱処理的に問題ないかを検証して欲しい場合があります。サイズアップ版であれば質量効果が問題にならないかをチェックしないと、ヤキが充分に入らないこともあります。極端な話、サイズが2倍になった場合は質量が23=8倍になります。逆の計算をすると3√2=1.26なので、およそ25%の寸法増加で質量は2倍になります。重くなって焼入性の問題が出てきていてもそれに気付かず、材料変更することなく加工部門に図面が流れてしまって、最後の焼入れで「硬さが低い」と大騒ぎになるワケです。
特に前任者が熱処理に詳しく、コストと性能のギリギリを見極めて図面化していた場合、少しでも大きなものに変更するときは材質を見直す必要が出てくるのですが、後任者がそこまで詳しくないと見過ごされてしまいます。逆にサイズダウンの場合、安くて焼入性に劣る材料に変更してもOKな場合もあり、寸法変更時は材料の焼入性に注意を払うことで、余計なトラブルを防いだり、材料費のコストダウンができたりします。
工具鋼関係の焼入れをしていると、工具の硬さとして60HRCがひとつの指標になっているような感じがします。SK材やSKS材、SKH材など、軒並み60HRC以上を狙える鋼材です。60HRCという数値は、鋼として充分に硬いレベルだと言えそうです。しかしこの‘60’という数値がアタマにべったりと貼り付いている設計者が居るみたいで、SKD61やSKT4などの熱間工具鋼まで「60HRC以上」と指定されてきたりします。これらは高温特性を良くするための成分配合になっており、焼きっ放しでも60HRCなんて硬さにはなりません。工具鋼なら何でもかんでも硬くなるというワケではないのです。
「SK105の焼入れで60HRC以上」というリクエストに対し「このサイズでは60HRCはムリです」と言うと「だったら50くらいでもイイよ。硬くさえなってればOKだから」と返されることがあります。これはやっているほうとしてはモヤモヤ感の残る内容で、焼入性の良いSKS3などに材料変更するか、部分焼入れで必要な箇所のみを硬くするなどの変更をして欲しいのですが、その‘モヤモヤ感’の理由を説明しようとすると長い時間が必要だし、説明したところで解って貰えるとは限りません。結果的にオーダーに従って焼入れするのですが、カドは硬く中央が軟らかい、要するに不完全焼入れの状態で出荷しなければならないのは不本意極まりないものです。
全面接触の摺動ならまだマシですが、部分的に接触する場合は軟らかい部分ほど耐摩耗性に乏しく、そこから減っていきます。何より硬さの差は金属組織の差であって、同一部品内に強い部分と弱い部分があるといった強度面でのバラつきも出てしまいます。焼入性の悪い構造用鋼で有効直径を決める場合、中心部で50%がマルテンサイト化する最大径としているのは、引張荷重を“全体で”負担しているからであって、要するに「妥協点の最大公約数」みたいな「仕方ないよね」のMAX値がこの数値であるということです。焼入れを行う立場からすると、焼ムラはできれば避けたい現象で、ぜひ理解して頂きたいものです。
サブゼロ処理は寸法安定性に効果がある、という情報を持つ設計者から「寸法変化がイヤだからサブゼロを」というオーダーを受けたことがあります。しかしココで言う‘寸法安定性’とは焼入れしても加工時の寸法を維持するってことではなくて、経年変化による寸法の変化が少ないということです。焼入後の寸法変化はサブゼロ処理を行ったほうがむしろ大きくなります。
鋼は高炭素化、高合金化することで残留オーステナイトが多くなります。焼戻しによって残留オーステナイトはある程度安定化しますが、長い時間を挟んで寸法を観察すると、残留オーステナイトの遅れ変態によって体積膨張が生じ寸法的には大きくなります。普通の治具部品程度なら問題ないのでしょうが、長期間に渡って高精度を要求されるマスターやゲージではこのようなちょっとした寸法の狂いが許されないので、サブゼロで残留オーステナイトを極限まで減らそうという処理をすることになります。残留オーステナイトはパーライトやマルテンサイトよりも体積が小さいため、100%マルテンサイト化したものよりも寸法変化は少ないのですが、サブゼロすればそれに見合った体積膨張が生じますので、熱処理変寸は大きくなります。
空冷鋼は焼入れ時に変態応力のアンバランスが少なく、結果的に変形の少ない焼入れが可能です。しかし焼入変形“ゼロ”ではなく、液冷に比べれば劇的に少ないものの、焼入れ後の仕上げ加工を省略してしまうのはちょっと乱暴です。ただし変形が小さいのですから、仕上余肉を少なくすることは可能です。
変形が少ないとは言え寸法変化は他の焼入鋼と同様に存在し、0.1〜0.2%程度の変寸を考慮しておくべきです。変化量は圧延方向にも拠るので、材料取りの方向が違うと結果が変わってきます。こういった意味でもシビアな寸法公差の部品は焼入後に仕上加工を必要とします。熱処理変寸に関しては要は‘程度問題’であり、例えばφ30-0.1-0.5の公差が「高さ調整カラーを抜き差しするのでヨユーを持たせたくてマイナス目にした」という意図で図面指示されている場合、それこそ-0.6でも-0.7でも問題ないケドとりあえず-0.5で下限としておいた、程度の意味合いであれば熱処理変寸を気にする必要はないのですが、「ベアリングとの嵌合いでφ30h60-0.013が必要なんです」という意図で付けられている厳しい公差は研削仕上げとするのが当り前ってコトです。
焼入れ後の表面処理でイオン窒化やPVDコーティングをすると図面指示があるのに、焼入れ依頼では‘低温焼戻し’になっているモノに出くわすことがたまにあります。これらのコーティング処理では500℃前後に加熱されるので、焼入れ後はコーティング処理よりも高い温度で高温焼戻しを行う必要があります。低温焼戻しのままでコーティング処理を行うと、硬さの低下や寸法変化が生じ、場合によっては使い物にならなくなってしまいます。
このような温度帯でのコーティングを前提とする部品は、500℃以上に焼戻しをしても硬さの低下が少ない合金工具鋼や高速度工具鋼を使うのが普通で、具体的にはSKD11、SKD61、SUS420J2、SKH51などが対象となります。これらは二次硬化鋼なので複数回の高温繰返し焼戻しが必要です。コーティング処理時の加熱を焼戻し代わりにするなんてコトはしないで下さいね。
焼入品は表面に行くほど硬いのがイイ、というリクツから、構造用鋼に高周波焼入れなどの表面硬化を行ってから更にタフトライドなどの窒化処理をして、最表面の耐摩耗性向上や摩擦係数低減を狙おうという案件に出くわしたことがあります。硬さが表面に向かって徐々に高くできて良さそうに見えるのですが、処理内容まで踏込むと「そうは問屋が卸さない」ということが解ります。
構造用鋼の表面焼入れでは焼戻温度を高くすると硬さの低下が著しいため低温焼戻しを施すのですが、タフトライドは500℃以上の温度で処理されるので、ここで焼入部分の軟化が起こります。組合せ熱処理の場合、各工程でどのような温度に置かれるのかをしっかりとチェックして設計しましょう。
アセチレンバーナーで表面だけ熱し母材吸熱で焼入れをするフレームハードは、特別な設備を必要としないので手軽な焼入方法のひとつと言えますが、ナンでもカンでも焼入れ可能というワケではありません。冷却材で冷やす場合と異なり冷却速度を管理できないので、熱移動が少なければ焼入れされないことになります。つまり、充分なサイズの処理品を部分的に硬くしたい場合に有効で、小さな処理品では加熱が表面だけに留まらず、全体加熱に近くなります。「冷却速度が不足しているのなら水かけて冷やせばイイじゃん」と言われると、それは炎焼入れってコトになります。
またフレームハードや炎焼入れ、高周波焼入れといった表面焼入れは“表面だけ”を加熱したいので急加熱処理となるのですが、合金鋼の炭化物は溶込むのに時間が掛かるので高合金工具鋼には向かない焼入方法です。セメンタイトはオーステナイトへの溶込みがスムーズで、短時間で炭素が拡散するため加熱時間が短くても焼入れが可能ですが、クロムカーバイドやタングステンカーバイドは高温で長時間保持しないと炭素を放してくれませんので、表面加熱のレベルではオーステナイト中の炭素量は少なく、焼入れしてもナカナカ硬くなりません。例えばSK105は表面焼入向きの鋼材ですが、SKS3とかSUJ2などの合金鋼になると炭素拡散がやや遅れ気味となり、SKD11とかSKH51などの高合金工具鋼になると、かなり長時間の加熱が必要になります。ただし高合金鋼になると焼入性は向上するので、長時間加熱により全体的に熱くなってしまっても、冷却速度が足りないせいで硬くならないというようなことはありません。
フレームハードを含めた表面焼入れには炭素鋼や低合金鋼が好適であり、炭素拡散に時間の掛かる高合金鋼は不向きです。フレームハード向きの鋼材も各社からリリースされており、このような材料を選定するのもイイですね。合金添加で焼入性の高い鋼材であっても、マトリクスに炭素が拡散しなければ硬くはならないという焼入れの原理を押えていれば、どのような材料にどのような焼入方法が適しているかを理解できると思います。高合金鋼は焼入性の高さゆえに表面焼入れには向かないってことになります。
高周波焼入れのような表面焼入れではマルテンサイト変態する部分が少なく、変態応力もそれに見合った分だけ少ないハズです。このことから焼入変形が少ないとする文献をよく見かけますが、これにはちょっとした但し書きが必要です。単純な丸棒の表面を焼入れする場合、全体加熱焼入れよりも変態応力が小さいのは事実ですので、比較すれば変形量が少なくなっているでしょうが、例えば薄板の片面のみ焼入れすると大きく反ります。つまり発生する変態応力を相殺できるような位置関係で行われる焼入れでは変形が少なく、発生応力が小さいとは言えアンバランスになるような焼入れであれば反って当たり前というコトです。そういった‘条件’をクリアした上での適用では良い結果が得られるので、変形の少ない表面焼入れを行うには焼入れの工程設計にまで踏込むことが重要です。「本には焼入変形が少ないって書いてあるのに、えらく反ってるじゃないか」と言われることもあるのですが、発注者がこういった (熱処理屋にとっては基本的な) コトを理解していないための読み違えにも問題があると言わざるを得ません。
熱処理工程を単なる熱膨張の範囲内で捉えていると、元の温度に戻れば寸法も復元すると勘違いしてしまいます。しかし実際のところ熱処理には様々な同素変態が絡んでおり、細かな条件を省略すれば転位が多い (加工硬化が進む) ほど体積増、結晶粒が細かい (結晶粒界が多い) ほど体積増、そして無拡散変態 (マルテンサイト変態) が多いほど体積増となり、残留オーステナイトの発生は体積減となります。特にマルテンサイト化による体積増大は影響が大きく、炭素鋼の完全焼入れでは1%程度にもなります。異方性を無視してどの方向にも同じように大きくなるとすると、寸法で0.3%程度の変化が見込まれるということです。100mm当り0.3mmも伸びるのですから、無視できるモノではありませんね。
どのような購入形態であれ、早く手に入れたいなら早く発注するのは当り前ですよね。発注点からのリードタイムが一定なら、早く持ち込んだ処理品から熱処理されるので早く納品されます。ただし誤解されるとマズいのが熱処理では必ずしもリードタイムが一定ではないということです。焼入温度は鋼材によって違い、特殊な温度を必要とする処理品の場合、一定量集まるまで処理を保留したり、曜日を決めて焼入れすることにしていたりと、依頼が早くても納品は結構待たされるパターンもあります。またバッチ炉の場合、一日の中で決まった時間に出し入れされるので、炉が開くタイミングで受入検査や清浄などの準備が終わっていればそこで挿入されますが、タッチの差でこのバッチには入らなかったりもします。早い時間に持込んでも、挿入タイミングが遅ければ「なぁんだ、夕方に持ち込んだって同じだったじゃないか」という状況も多いものです。
このような質問は後を絶たないモノで、相談を受ける側としては何度回答したか数えられないくらいですが、結論としては「目的に応じて最も適した処理方法は変わってきます」ということなんです。構造用合金鋼なので、構造部材といて使用するならJIS参考値の記載通り「焼入れ:830〜880℃油冷 焼戻し:530〜630℃急冷」の調質処理により降伏点834N/mm2以上の強靭鋼として使うことになるのですが、耐摩耗用途で硬いまま使いたいのであれば、低温焼戻しで50HRC以上にすることもできます。強靭かつ耐摩耗であれば調質した後で更に表面焼入れを行うテもあります。窒化などの表面硬化法で硬質膜を形成させるコトも‘有り’でしょう。
選択された材料に対し、用途に伴う要求スペックを満たすようにさせるのが熱処理の役割ですから「この材料にとって最良の熱処理は何?」という質問自体が間違っています。スペックを満足するためにある材料が選択され、その時点でどのような熱処理がされるかは決まっていなければおかしいワケです。設計者は材料や熱処理に関する知識を持合せた上で図面を描かないと、不適切な材料であっても機械加工が動き出してしまい、熱処理段階になってから「コレだったら違う材料のほうが良かったのに」と言われても後戻りできない状況になってしまいます。材料のことで熱処理屋さんに相談するなら決定図面が出来上がる前にしましょう。
注釈欄などに焼入温度や焼戻温度など、えらく細かい条件が書込まれた図面を見ることがあります。量産品で工程管理のため条件設定がシビアなものならともかく、単品モノで図面作成日時からして最初の加工品であろう部品にここまで熱処理条件が書いてあるのは腑に落ちません。硬さ指定は当然必要ですが、温度や保持時間まで記入するのはやり過ぎでしょう。‘硬さ指定’は機械加工に対する‘寸法指定’に相当します。また‘ソルト焼入れ’とか‘真空焼入れ’などと、熱処理方法を記入するのは、表面粗さに併記して‘L’(旋盤加工)とか‘G’(研削加工) などと加工方法を指定するのと同じレベルと言えます。それでは加工時の送り速度や切込量まで図面に記入するかと言えば、余程のことがない限りそんな図面はありません。つまり熱処理条件まで事細かに書込むのは「やり過ぎ」だと言えます。
熱処理屋さんは材質とサイズ、また情報が得られれば使用目的などを加味して、最適な条件になるように努めているハズです。混載のため他の処理品との妥協点を設定する場合もありますが、あまりに無茶なことはしないものです。もし熱処理屋さんのやっている内容が知りたければ温度チャートを提出してもらえばイイでしょう。チャートから読取れる温度や時間があまりにも常識外れな範囲に及んでいるなら説明を求め、納得いかないなら他の熱処理業者にも相談してみるなどの対応は必要かもしれません。
焼なましも焼戻しも“材料を軟らかくする”というニュアンスがあり、混同しているケースがあります。焼入れ済みの工具鋼に追加工が必要になったから軟化させたい場合に「焼戻しして下さい」という依頼を受けることがありますが、これは‘焼なまし’の間違いでしょう。焼なましは変態点より高い温度まで加熱して冷却を遅くすることで軟化させる処理で、この場合は完全焼なましという呼び方をします。軟化以外にも内部応力除去や偏析低減など、目的によって様々な焼なましがあるので注意が必要です。焼戻しは変態点以下の加熱によって主に焼入れした鋼の硬さ調整やストレス低減を目的に行われる処理で、焼戻しだけの熱処理依頼というのは稀です。硬さが下がり切っていなかったり、放電加工などで硬化した表面層の応力低減で焼戻し依頼がないワケではありませんけどね。熱処理用語を間違えると、思っていたのと違う処理がされてしまうことがあるので注意して下さい。
同じく用語の定義に関する勘違いです。オーステナイト系ステンレス鋼や析出硬化系ステンレス鋼の固溶化熱処理は、処理結果として軟化するため‘焼なまし’と呼ぶことがあります。当然スラングであり、正確に処理依頼をしないと思った通りの処理がされない可能性があります。オーステナイト系ステンレス鋼は溶接時の内部応力緩和のため応力除去焼なましを行うことがあるのですが、固溶化熱処理のつもりで焼なましを依頼すると応力除去焼なましで納品されるコトがあり得るってワケです。
熱処理にかかるコストと言うものは中々理解しづらいモノかもしれません。製品重量で請求額を決めている場合が多いようですが、重量当りの単価は材質や処理内容によってまちまちです。例えば構造用鋼の調質の場合、材料取りしただけの素材なら表面脱炭を気にする必要はなく (どうせ後から削り取っちゃうからネ)、大気炉加熱でOKですが、機械加工済みで仕上余肉が少ないと脱炭が部品性能に響いてくるため無酸化焼入れを要します。設備の内部にマウントされる部品と違い、目に付く部分で使用されるものでは焼戻し加熱による酸化皮膜までも嫌われるケースがあり、こうなると焼戻しも無酸化加熱が必要になってコスト高になります。材質が特殊で他の処理品と混載できないような加熱温度を要する場合、最悪はその部品のみで1チャージの処理となる場合もあるでしょう。ハイスのように焼戻しを何度も行わなければならない材料も処理費用増大のもとです。細長い処理品では変形が大きく、それを修正するための手間がそのままコストに響いてきたりもします。
このように熱処理コストが膨らむ要因は色々とあり、それを避けるには変に特殊な材料を使わず、また世の中で普通に行われている熱処理方法を採用するのが得策です。もちろん量産部品に関してはこの限りではないのですが、単発小ロット部品では他に抱合せできる処理品がないと、最悪の場合1個単価で1チャージ分請求されたりもします。