大学後期始まりました。1時限目が多いので結構眠いです。
突然思い付いたわけでは無いのですが、突然思い立ちまして、列車で県内を旅してみました。旅って言うほどのものでもないんすけど。以前友人らが名古屋一筆書きの旅をしたのをヒントに、調べたらできる見込みがあったので。
いざ、行った事のない路線へ進んでみると、何とも不思議な感じがする。景色は…何もない。緑が広がっているだけ。それでも、街から離れていくのは新鮮な感じがする。人が乗っていない。列車を待つ時間は1時間単位。駅で潮の香りがした。列車から海が見えた。友人の駅。
…どうして、自分はここにいるのか、分からなかった。何故?…人が乗っては降りていく。一人になる。不安になる、何度か。本当に帰れるのか。既に違う世界に入っている。…
何か、書き写している今、書き写す気がなくなりました。引用は止めて、書きます。
この旅には、目的地が無かった。ただ回っただけ。目的地を探しながら、目的地の無い降りぬ旅をしたのかもしれない。そして、何も見えなかった。暗くて。本当は、有るはずだったんだけど。半分眠りながら夢に出てきた、自己ホショウという単語は一体なんだったんだろう。自己保証、自己補償、自己保障?
検索したら、…へー……、て思えました。因みに私、誰かに、母のよう
などと言われたことがあります。
久しぶりに(2年ぶりに)、派遣の仕事をしてみた。以前ほど、人見知りはなくなった感じがするし、派遣先でもスムーズにやっていけました。…近場なので自転車で行ったところ、自転車が無くなってました…まぁ、自分が悪いんすけど。
なぜか、気持ちが沈んだり、憂鬱になったりしませんでした。何故こういう状況になったのか、考えられるけど、あまり後悔しないような。以前だったらあそこであーしなければ…などと後悔してたところでしょうが、そういう感じにはなりませんでした。…たまには歩くのもいいかも。一度くらい経験しとくもの。過ぎたことは仕方がない。そんな感じ。
最近、色々身の回りにおきていたりしますが、良くも悪くも、退屈しない日々です。このように悪いことでも、別に悪いことでもないかなーと。後悔せずに、反省できるようになった。…後悔から反省へと。キルケゴールがあれか、これか
で書いていたような記憶が…
以上、ここまで。最近、TOEIC-IPまた受けようかなと思っています。本物も。あと、情報の資格。何も持ってないから。
他者の現象学
って、実用書ですね。何となく。全部は読みませんでしたが、そう思いました。精神医学の分野が興味深かった。でもあまり引き込まれる本ではなかったな。要するに、私にとっては、よく分からない本だった。難しいのもあるね。
話はかなり変わりますが、途中下車せずの旅の途中、任意の数値を、他のある任意の数値の組み合わせを用いて、表すことが出来るか、とふと思いました。そんなもの、12 が 1 と 2 を使えば出来るように、0〜9 までの数字があれば表すことができるじゃん、と言えそうですが、字ではなくて、数そのものです。因みに 0〜9 までの文字で表すことが出来るのは普段私たちが用いている十進数表記の場合です。十六進数では 12 は c になりますね。私は漠然と、全ての数をある任意の数の演算の組合わせでできないかなと思いましたが、そんなこと可能なんでしょうか。
昨日、スライド資料を用いた授業であるにもかかわらず、不手際によりスライドも配布資料も無しで講義進行というありえない状況だったので、講義無視してこの問題に取り組みました。
色々考えた結果、演算は加減乗除の四則演算のみにしました(他の演算には累乗とかがあるけど、考えるのが難しいから)。取り扱う数は自然数のみ。このように問題を私の理解できる範囲に限定し、こう定義しました。ある整数 n までの自然数の集合 N を、四則演算の組合わせを用いて表すことの出来る最小基数の自然数集合 M を求める。ただし、自然数集合 M の要素(元)は一度しか用いることは出来ないが、同じ要素をいくつも持つことが出来る。…とまぁよく分かんないっすか?
例えば、 n = 2 のとき、1 と 2 を表す為には、M は { 1, 1 } もしくは { 1, 2 } の組み合わせであれば表すことができます。前者は乗算で 1、加算で 2が出来ます。後者は 2 - 1の減算で 1、 2 × 1 の乗算で 2を表すことが出来ます。こんな感じで n を増やしていくと、n = 4 で M の基数(要素の数)は 3 になります。M = {1, 1, 2}, {1, 1, 3}, {1, 2, 2}, {1, 2, 3}, {1, 2, 4}, {2, 2, 3}, {2, 3, 3}, {2, 3, 4}, {2, 4, 4} になると思います。n = 8 もしくは 9 になると、M = {1, 2, 4} となります(4 - 2 - 1 = 1, 4 * 1 - 2 = 2, 4 - 2 + 1 = 3, (2 - 1) * 4 = 4, 4 - 1 + 2 = 5, 1 * 4 + 2 = 6, 1 + 2 + 4 = 7, 1 * 2 * 4 = 8, 4 * 2 + 1 = 9)。まぁ私の計算が合っていれば。
これって、究極的には、N (Nは自然数全ての集合)は有限の自然数の集合 M をある演算にかけると表すことが出来る…というところまで行くのでしょうか。無限を有限で表すのは無理なような気がしますが。そしてさらには数全体、演算全てに対しても…。数学科の先生に聞いたりしたら面白いんだろうなー。今度聞いてみます。あと、この問題は、プログラミングである程度までは答えが出そうですね。手計算では恐らく n = 10 を越えたあたりからとんでもないことになりそうなので…。そういうの作ってみても面白そう…だけど、プログラミングやってないからなー、ちゃんと作れるんかな。
現役最後の合宿が終りました。特に何もおきてません。見る夢が面白くなっているだけですね。私はよく夢を日記などに書きとめます。結構、面白くはないですかね?常識に囚われていなくて。
2003年12月24日の日記に初登場した他人の像について書いてみました。以前と違うのは、他人の像が他人との関係に関係しているというあたりです。何かキルケゴールみたいだけど。
何だか最近、かなり体や意識の調子が良いです。ちゃんと肋骨を使う感覚がつかめるようになりました。正中線を通せば合気揚げも出来るし、順体操法で崩すこともだんだん出来るようになった。肋骨を柔らかくずらして使えば合気のようなものが使えると判った。まだ体の合気は難しくてできないけど。高岡英夫先生の言う中次合気くらいはできるかもしれない。離れ合気の方法も先輩がつかんだし、呼吸法も結構解ってきた。今年からやたら部の稽古の質・量的な向上が見られました。後輩達はいい時代に入ったなぁ。やる気のある者は皆合気が使えるようになるんじゃないかな。
17日から殆ど日記を書いてません。時間が無いのも確かにあるけど。昨日の日記に、書く必要もなくなったのかもしれない
、と書いてあった。
さて、今の私の力で、どこまでやれるのか。哲学者としてはほぼセンスの無い私が、皆にたいして出来ることは?もう自分では薄々気づいているんだけど、やっぱり私は普通の人ではなかったらしいです。何だかどうやら選ばれているような感じがするのです。とかなんとか自分で書いておかしいですけど、そういう感じです。自惚れはしてないつもりだけど、やはりそんな感じが最近特にします。
物心ついた頃から、何だか他人とは違うような感じがしてたし、これも誰にも言ってなかったと思うけど、自分で言うのもなんですが、私は結構他より秀でていました。ただ、私はそれがちょっと嫌だった。自分の能力を限界まで出したくなかったんだと思う。絵とかも賞に出したくなかったし。皆よりよいというのが何か悪い気がしてしまうんだと思う。よく出来ると思われたくなかったんだ。そういう頭のよさがありながら、同時に問題児でもあったと思う。いや、事実として残っているはずだ。小学校にはまだそういう例として残っていると思う。もっと幼少期にはまた違う問題もあった。精神的問題から来る異常行動かもしれなかった。非凡な子だった。
何書いてんだって感じですが、私は天才でも達人でもないけれど、何も無い普通の一般人ではないと思う。最近、それに薄っすら気づき始めた。何らかの能力があるんだと思う。どこまでいけるか分からないけどね。
何も語らず、沈黙しなければならないこともある。まだ何も終ってはいない。