DENONのPMA-390というアンプが手元にあるのだが、以前からソースダイレクトにして も左右のバランスがちょっとおかしいと思っていたのだが、突然ボリュームを細小に しても左チャンネルから盛大に音が出るようになってしまった。この機種は日本製と 中国製があるようだが中国製のものだ。とりあえずバラしてボリュームに接点復活剤を かけても変わらない。ボリュームあたりのオペアンプなどを叩くとノイズが出る。 経年変化でハンダのクラックが可能性が考えられる。底板を外してボリューム付近の 回路のハンダをやり直した。これで直った。
昨今のビジネスは売れる物とか金になる物がすぐ要求される。世の中のスピードが 速くなったからという人もいるが、人の気持ちがそういう風に流れる時代なのかも しれない。昔は価値があるものに金が後から付いてきたような気がする。 パソコンだって、私が始めた当初はハムショップの片隅にちょびっと置かれ ているだけだったのに、価値があったからこのような状態になったのだと思う。
インターネットのCTRなどは価値よりも金を優先する考え方で、非常に悪しき物で これだけを振り回している会社には未来は無いと思う。
新しい物は時間が経った物にくらべ正しく判断する事が難しいので、CTRのように 数字に頼ってしまうのではないだろうか。その価値を判断できる人にこそ価値が あるのではないだろうか。
過剰に新しい物に飛びつくのでもなく、過剰に懐古趣味になるのでもなく自分らしく していたい。
小さい頃に機械化の波がこれからは人がいらなくなるとか、人が作るより機械が 作る方が正確な物が作れるとか話があったような気がする。実際には人はいらなくは ならなかったし、人が作る物も残っている。例えばワイングラスを機械で作ると ステムに貼付け跡があり、あまり気持ちのよい物ではなくなる。最近のAIの話は そんな昔話と似ている気がする。
こいう話をする人には二種類いて、本当に信じている人と、興味本位な人だ。
昔のコンピュータはROMに入っているプログラムも多かった。最近では昔のような一回 しか書き込めないROMはほとんど無くなり、Flashベースになっている。Flashは10万回 の書き込みが可能だが、ほとんどの場合一回の書き込みや、良くアップデートする場合 でも100回くらいしか書き込みを行う事はなく、スペックと釣り合わなくなっている。 このように昔とは変わっているので、昔と同じようにハードを流通させて商売をして いくのは難しいのではないかなと思う。
SONYの修理の窓口は昔の100分の1くらいになってしまった。物があふれてきて売れない 時代に、修理にこそビジネスを開いていくべきなのではないかと思うのだが。
以前から興味があったGPSをソースにしたNTPサーバを設定してみた。かなり苦戦したが 現在は安定して動いている。ハードウエアは3000円くらいの費用でできた。私がUNIX な仕事を始めた頃には同じものに数百万円の費用が必要だった。すごい時代になった ものだ。
猫のお留守番を動かしているMac mini G4を上記のNTPサーバを参照して時刻を合わせる ようにしてみた。もともとインターネットのサーバを参照していたが、ネットワークを 落としている事もあって、ずれる事もあった。ラジオが好きで小さい頃からエアチェック をしていたが、夢のような仕組みだ。
80年代の日本のミュージックビデオを見直している。お金がかかったものが多い。いま から思えばこの時代は戦後だったんだと思う。バブルの崩壊が戦後の終わりだったの かもしれないと思う。このときにまた昔の不景気と同じように景気が良くなると思って いたのが、経済的な大きな間違いだったのではないかと思う。
いろいろ物事を手早くやる事が苦手なのだが、時間かければ出来たりする。頑張って 早くやろうとも思わないが、人間は有限の時間の中に置かれているので、やはり時間を 意識して生きて行くのが良いのかもしれないとも思う。音楽がすばらしいのは時間に 対しての意識の表れだったりするからではないかと思ったりもする。
希望・夢があった時代に生まれたと思う。東日本大震災からこちら、昔と同じ希望や 夢は持てなくなった。とは言え絶望しているわけではない。今日あきらめても明日は うまくいくかもしれないと思ったりする。
電気製品を分解して、金属を取り出すという話がある。一見エコのように聞こえるが、 効率はあまり良くないと思う。完全に分解しなくても、昨今の電機機器は部品取りを しても十分使える事もおおく、また分解しないで別用途にしたり、プログラムを書き 換えて使う事もできると思う。そうなると金属を取り出すよりも経済的な効果が低く なるので企業にとってはあまり嬉しくないのかもしれない。とはいえ、資源は有限で 効率よく経済が回る方法を考えて、実行して行く必要があると思う。
日清のカップラーメンや、赤いきつねや緑のたぬきや、ポテトチップスのように オリジナル以上のヒット商品が出てこないのは、オリジナルを作った人が 飛び抜けて偉いわけではなく、そういう時代の宿命なのかもしれない。
最近ちょっと思うのだが、自分の自慢する事はあまり良い事ではないのだが、自分と 他人を分けるための方法なのではないかととも思ったりする。他人と自分の区別が つかなくなると生きる意味を失う可能性もあり、そう考えると大目に見るのが良い のかもしれない。
今にして思うと自分が生まれたのは昭和41年で終戦から21年しかたっていない年だった。 それより長い時間自分は生きているのだが、あまりぴんとこない。おそらく小さい頃に あまり戦争の事を教えてもらわなかった事や、自分の両親も戦時中は小さかった事、 いろいろ変わっていた時代だったからなのかもしれない。戦争は悲惨だったという事を 伝えるのは大切だと思うが、それにまして、なぜ戦争に突入しなければなかなかったか をしっかり研究し伝えて行く事が二度と同じ鉄を踏まないための方策なのではない だろうか。
あけましておめでとうございます。