更新してないです。まだ大学が終ってません。集中講義を今受けてるんですけど、とにかく難しい…あと時間も無い。来週になったら本格的に更新したい と思います。そんなわけで、ごめんなさい。
さて、一体何を書くというのでしょうか。私に一体何を書く資格があるというのでしょうか。
大学の講義は一通り終了しました。課題提出もありますが、これからは一応夏休みです。あと一週間ぐらいでバイトも終わり、特に次のバイトは入れていません。多分入れないと思います。のんびりしたいのかもしれない。
こうして日記を前にして書くと、何も書けないことが分かるんだよね。出来事の記憶は多々あるのに、何か書くべきことがあったような気がするのに、書けないんですね。気ままに、書きたいときに書けばよいか。
最近、このサイト自体をSDカードに保存して、携帯電話J-SH53で見れるようにしました。割と見やすいですね。骨組みのHTMLがシンプルだからでしょうか。
ああそうだ、写真館なんか作っても面白いかなぁと思ったんだ。デジカメケータイの写真。ますます無題なぺえじは方向性がよく分からなくなっていきますね。でもいいです。別に。つれづれに。
こんばんは。最近特に何もやってない気がします。本当は、とてつもなく重いことをやらかそうとしているのですが…日記も読み返してない。
ん、とりあえず、書く。
書いてて、別のページにしました。長くなるし、多分これから何度か更新することになるだろうと思ったからです。いざ、自分が感じたことを書いてみると、なかなか言い表すことの出来ないことが分かります。でもこれは、全く新しいことを思いついたのではなくて、もっともっと、今までの私の感じてきたことを明確にしていく方向のような気がします。
私は多分、表面の世界と背景の世界の狭間に生きているんだと思う。2003年5月以前は、自分はどんどん、表面の世界に慣れて、その世界に漬かってしまってた。自分を取り巻く環境、周囲の人たちは、本当に策略ではないかと思うほどよく作られていて、自分はそのおかげで、今こうしてある。自分は本当の達人になる方向に、進むべきな気がしてる。そしてね、きっと、その背景の世界から、何かを掬い取っていくんだと思う。それはきっと測ることの出来ない大変さなのだろうけど、自分はやると思う。
長々と、よく分からない文章ですね。私にもまだよくわかりません。
あまり更新しませんね。本当は忙しいわけでもないのに。
何だか最近、自分の周りの色々なものごとが、大きく動いているように感じました。今までそれぞれバラバラにあったものが、それぞれ関りを持ち始めているようにも感じました。何だか大きな運命の流れのように感じました。今後、何もない事はありえない、ということだけ、現時点では分かります。どうなっていくんでしょう。
先週、ある武術家の先生の稽古会に参加しました。実際にそういうレベルの高い方に技をかけてもらうと、また新たに世界が開けた気がします。そして、自分はまだまだだなと、最後はそう感じてました。体の動かし方を知っているのと、実際にそれを実践できるかは別問題ですね。自分も道場に通うのだろうかと。通うことは決めてたけど、いつから行くか…
バイト先のセブンイレブンを卒業しました。送別会なんかも開いてくれた。丸々2年だからなぁ。もう生活の一部になっていたような。働くのが最後だと思うと、不思議な感じがした。
そして誰か問題。先週、不思議なんだけど、近づけた、ような気がした。全てが何だか上手く流れているようで、あまり自分が生きてる気がしなかったんだけど、やっぱりなんかハッとさせることがあった。どうなるんでしょうか。本当に自分に試練を与える存在です。勿論与えているつもりなんて全く無いんだろうけど、メタレベルで必要な存在なんだな、多分。こういう人。後から思えば、以前集団から去っていったときに似た感覚が残ってるような…。何か、あまり喋らないから、よく分からんけど、何かあるような気がする。元来自分は直感に任せるたちなのですが、語られる何か、背景の世界を見極めていかねばならんのだろうなと思っている。
…ってね、こんなことが書いてあって、どう思う?自分は、いい人じゃないんすよー。本当は、人のこころの操作に長けた、悪魔みたいな者だよ。
さて、昨日の日記は何故書かれたんでしょうか。で、どう思う?
てのは誰に宛てて書かれたんでしょうか。
うーん、何ていうか、大バカだよねとしか言いようが無いな。歪んでるよ。救われなきゃならんのは自分自身なのに、気づいてないんだなぁ。だから迷惑かけるんだよ。結局、自分がよく分からなくなってる。さてどうしたもんかね。
何かが足りないのは自分であって、それが何なのかまだ分かってもいない。世界の背景どころか、自分の背景が分かってないんじゃないかな?多分。
昨日の日記は、多分、対象の無い何者かに向けられたものなんじゃないかな。きっとそうやって、自分を正当化したいんだよ。卑怯な人間だよね。
話は変わるけど、大体皆、この時期から就職とか進学とか決め始めているね。資格のために勉強してたりさ。で、自分は何をしているんでしょうか?何もしていないっていうのが正解っすね。何やってるか。見た目モラトリアム人間だよね。どうしようか。
自分の中にとてつもなく大きな問題があって、それこそ私がえせ哲学とかなんやら振り回している原因なんじゃないかというところまでは分かるけど、それと戦うには、まだ自分には力が無いようですね。だから誰かに迷惑かけた。自分のせいですね。多分自分に必要なのは、それを上手く解決する術なんじゃないかと思う。多分、戦ったら破滅するような気がする。戦うという選択肢ではない気がする。
そんな事いうと、大学一年の頃の方がまともだったのでは?
という疑問が投げかけられるかもしれませんが、あの頃もどうだか。それ以前から、兆候はあったのだから、遅かれ早かれ、こういうことになってたんじゃないかな。むしろ、あのまま社会に出て行くほうが恐ろしいかも。
そろそろ院試の勉強でもしてみる?ていうか、こんな事書いてる学生は適正試験か何かで落とされそうな気もするが…。
そして、哲学書を読もう。哲学に触れたときの感銘は本当だし、きっと自分にとって力になるはずだ。
今思い出したけど、以前日記をそのままあげてください
とか言われたんだっけ(2002年12月、2003年8月)。どうでしょうか?多分ボクはそのまんま書いてますね、最近。ていうか、この日記に本当も嘘も、良いも悪いもないんじゃないかな。このサイトにあることの全てが、流離い人の行なってきたことそのものなんじゃないかな。そんなわけで、4月6日に日記じゃない
とか否定しましたが、やっぱり日記ですね。まぁこんなおかしな日記をためらわず公開している著者も十分おかしいけどね。
もうなんか今日は疲れた…
こんばんは。流離い人です。今日は、JavaScriptを使って、LINK要素のナビゲーションを実現してみようと思って、プログラミングしてました。オブジェクト指向は何となく知ってましたが、実際にプログラミング言語を使うには、文法と予約語が分かってないとダメですね。 DOMのAPIもあまり覚えてなかった。でもそれなりに動くものができたので、このページで実験します。不都合あったらすいません。
久しぶりに、もじら組などの資料を読みました。ソースコードツリーにも興味を持ったんだけど、あれのライセンスってどうなっているのでしょう?ボクは法律にまだ疎いので、よく分からないですね。Mozillaソースコードから得たものを使うには、どうしたらよいのでしょうか。まぁ多分FAQにあるあたりだと思うけど、どう書いていいか分からない…もうちょっとAPIとか固まってきたら、拡張機能作ってみても面白そうですね。
何言ってんの?って感じですか。そりゃそうですね。
ボクはすこし分かった気がしました。そんでもって、18日から何か変わっちゃったけど、その理由も多分こうなんじゃないかなと思います。
と思ったけど、書かないほうが良さそうなので、書かないことにしました。
早いもので、来週は夏合宿です。
昨日、何か目的があるでもなく、何となくさまよいました。たまにやりますね。2003年9月18日にもやりました。不思議な放浪だったので、日記を多少手直しして書きました。何だったんでしょうね。
哲学ってなんだ 自分と社会を知る
(竹田青嗣著)という本、興味深いですね。何だか自分のことが書いてあるような気さえします(第五章 自己を哲学する
)。つーかやっぱりこれも誰かの紹介だったんだけど…。自己意識と無意識
、他者関係の現象学
っすか…。
ボクはいつになったら考えたことを書くんでしょうか。今は何かまだ煮詰めきれてない感じがするし、書こうという気もしないので、何も書かない。
多分、私は他人との関わり方に問題があるんだと思う。普通の人以下でちょっとおかしいんだと思う。本当の他人と関わることをしてこなかったから、おそらくその歪みが今あるんだと思う。
2003年9月29日に、この徒然日記は自分の為に書いていて、読んでもらう対象は私だと書きました。これは確かだと思うけど、それなら日記帳でもよいし、この徒然日記を作る必要もなかった。恐らく、本当はこの日記を通じて、世界と関わりを持ちたかったのかも知れない。歪んだ方法だけど、多分、当時の自分にはこれしかなかったんだろうな。
私が欲しかったのは、もう一人の私だったんだ。
そう書きました。このもう一人の私というのが、人間にとって何か重要な役割を担っているのか、それともただ私が生み出した歪んだ産物なのかは分かりませんが、このもう一人の私
、という言葉に、語られぬ何かがあるようにも思えます。これは、もしかしたら他人のことなのかもしれません。他人の像ではない、他者が私には必要だったのかもしれない(
2003年12月、2004年2月、参照)。そういや、2004年5月26日の日記はまさにそのものかな。歪んでいるね。
私は、歪んだ方法でしか他者とぶつかる事ができない、ていうか出来てたかどうかすら微妙だったかな。皆さんや誰かたちに迷惑かけたり、傷付けまくったけど、やっと何とかここまで来れたのかな。邪悪だったのは自分(この日記の著者)なので、謝ることはないです。